すこし古い話になるが、観光雑誌に連載した記事が出てきたので紹介する事にしました。登場人物が既に故人になった方も居られますが、観光地富良野を作った人物でもあるので・・・。

危うし!? 富良野の標準語

最近の富良野スキー場近辺はホテルにペンションの建設ラッシュで地元の者でも余りの変貌に驚くだけである。その先鞭をつけたのがニュー富良野ホテルで、富良野プリンスホテルに次いで2番目の収容能力を持っている。創業は59年12月1日で厚岸の磯田水産の別部門である。
58年暮れ頃に富良野の巷にスキー場付近に大きなホテルが建つ話が広がり、夜の歓楽街の話題をさらった。それと相まって、あちこちの飲み屋でドワハハハという豪快な笑声が聞かれるようになってきた。
僕がスナック「ラベンダー」のカウンターで飲んでいると、たまたま隣の先客にドワハハハの笑声主が連れと2人でグラスを傾けていた。カウンター越しにママさんが僕をその豪傑に紹介してくれた。
「俺! 今度富良野に世話になるニュー富良野ホテルの磯田ダ。まあ飲んでケレ」
「ハァ」「おまえかァ、くまげらワ、世話になる。まあ飲んでケレ」「ハァ」
「俺!厚岸の海育ちでホテルの事はよく判らん。皆んなの世話になる。よろしく。ドワハハハ」「・・・」?づきの印だ、俺の酒飲んでケレ。ネエちゃんビール!!」「・・・」「俺! 浜育ちで言葉は荒いが、気はいたっていい。ドワハハハ」
その間中、握手攻めにあい、僕は只、圧倒されっぱなしであった。確かに気性は良いと思う。後々の事であるが「津軽のじょっぱり」で売り出した南富良野出身の歌手石上久美子ちゃんが磯田常務氏のホテルに宿泊した。久美子ちゃんに翌朝とても上質の蒲団で熟睡が出来たと賞賛されるや、高価な羽毛の掛け蒲団を彼女にその場でプレゼントしてしまう気前の良さである。
ホテルの宿泊客も飲み屋で御馳走になる事は珍しくないようだが、初めて臨席たまわる方に老婆心ながら忠告しておこう。盃を重ねるうちにドワハハハのボルテージが昇った瞬時、肩に平手がバシッ!! とくる。親愛の表現であるから甘んじて受けなければならない。但し現役から遠ざかっているとはいえ厚岸の海の男である。いっぱついっぱつが肩骨にひびく。その覚悟がなければ甘えてはいけない。
とにかく性格は竹を割ったような人で、磯田常務氏ぐらい言葉に裏表の無いのも珍しい。質実剛健温情無比で男の中の男を感じさせる。厚岸時代の磯田常務氏はスキーを趣味としていて毎年富良野へ来られていたらしくそれで富良野が好きになり富良野進出もその事を起因としている。倉本聰氏の著書「北の人名録」からホテル内のレストラン名をラ・ノンブリとした事でも好きな度合いが判かろうというもの。
話は古くなるが、倉本聰氏から僕達仲間の演劇集団ラ・ノンブリのメンバーに、TVドラマ「北の国から」の出演俳優さんの方言指導を頼まれた。しかし北海道は標準語で訛りは無いと否定した。もし訛りが有るように聞こえるなら、それは倉本先生自身が訛っているんだと説を曲げない。それでは普段通り俳優さんと会話してくれれば良いと云うので一同引き受けたわけで、地元青年とマンツーマンの指導となった。僕は田中邦衛さんてな具合である。今でも、日本の標準語は北海道でとりわけ富良野はその代表格とプライド? を持っている程である。しかし磯田常務氏の富良野入植で数十年来誇ってきた標準語も少しあやしくなってきた。

「歯とカップを一緒にするな!」ワインブルドンとデベソカップ

ヘソの街富良野は、イカダ下り(7月23日)にへそ祭り(7月28、29日)の人気イベントを迎えようとしている。健康的なこの街はスポーツも大変盛んで、その中でもとりわけテニスが面白い。いやテニス協会に面白い人間が多いと言った方がよいかもしれない。
デビスカップにウインブルドンを御存知あろうか?テニスを少しでもかじった方に説明するのは無礼であるが、これから話す事を判ってもらう為に簡単に説明しておこう。
デビスカップは1900年に若きアメリカの代表選手であったD・F・デビスが寄贈した純銀製大カップを争う男子の国別トーナメントであり、ウインブルドンは1877年に開始された世界で最も権威あるトーナメントで、正式名称はザ・ローン・テニス・チャンピオンシップスであるが大会を創設したイングランドのテニスクラブの所在地にちなんでウインブルドン選手権と呼ばれている。
富良野プリンスホテル本郷支配人が会長のテニス協会の面々が、緑に囲まれた富良野のコートでビックな大会をやりたいと常々話題にしていた。富良野では会議といえば何時も酒がつきまとう。ある夜スナックでその事について口角泡をとばす激論となった。
結果、愛称トモちゃんこと日蓮宗・本要寺の斉藤朋久副住職や歯科医院院長の田中一行先生、市職員の原正明氏らが「富良野はヘソの街だからデビスにならってデベソカップってのはどうか?」「それは面白い!」「デビスがカップを寄贈して始まった大会だからデベソカップは田中院長先生に出してもらうべ!」「先生は歯医者だから銀は安く手に入るっしょ」「歯とカップを一緒にするな!」「富良野はワインでも売り出してきているのでウインブルドンをワインブルドンと言うのはどうかね」「それイイ!!」「そして賞品なんかに、ふらのワインなんかを貰っちゃったりして」「ウインブルドン大会の勝者は英国王室ケント公夫妻より栄誉を称されることになっている。これを富良野市長に贈ってもらったら権威ある大会になるべ」
スナックの一室で相談なく市長まで引っ張り出す段取りになっている。
かくして5年前に第1回目の両ビッグ大会が催された。賞品にはナント富良野の特産品メロンに玉ネギ、アスパラ、長ネギ、レタス、トマト、ナス、キュウリ、それにロゼワインと新谷菓子店のワインゼリーで、まるで八百屋かスーパー・マーケットである。
農協の理事長に聞かせてやったら泣いて喜びそうな企画である。
一度は鳥の鳴き声が聞こえる静かな、そして緑深い森の中でパカーン!パカーン!という乾いた打球音を聞いてごらんなさい。それはもう天国そのもの。
関係者は大きくなった大会を見て再に乗りまくり、老舗新谷菓子店からテニスボールの型をした菓子を作らせようとしている。名づけて「ワインブルドン&デベソカップ」

●今年の大会日程は下記の通りです。
第23回ワインブルドンテニストーナメント
日時:平成19年7月8日(日) 午前7時50分開会式
会場:新富良野プリンスホテル
第24回デベソカップテニストーナメント
日時:平成19年8月5日(日) 午前7時50分開会式
会場:新富良野プリンスホテル
連絡先:〒076-0022 富良野市若葉町2番10号 富良野市役所 大内康宏
    TEL 0167-39-2317 FAX 0167-22-4052

ふらのの夏は 祭り、祭り、そして祭り

富良野に本格的な夏がやってくる。ラベンダーの香が薄らぐ頃、ロマンチックな街から躍動的な街へと変貌する。日本全国からやって来たヤング達が、それを楽しむかのように富良野へ居座わるわけで・・・。
今年も口コミで、7月24日(日曜日)に行われる『北海イカダ下りIN空知川』に常連に新参者が加わり大賑わいとなるであろう。
今年で13回目となる川下りは、富良野の名物じっちゃん井上碧翁が夏休みに帰省している学生達と少人数で下ったのが始まりで、余りの面白さに年毎に倍々と参加者が増えていったアドベンチャーゲーム?である。
第8回の時には、倉本聰氏のTVドラマ『北の国から』の田中邦衛、竹下景子各氏ほかスタッフ数十名も楽しんだイカダ下りであるが、この行事の特徴は主催者がいないところにある。
いまや、イカダ下りは全国各地で催されているが、いずれも商工会議所か観光協会主催でなされているようである。
富良野は自分達が楽しむ事から始まっているので、イカダから降りて他人の面倒をみようなんて者は誰一人としていない。だから参加者が全員主催者という事でチョン。
しかるに弁当と命は自分もち、参加費も取られない代りに賞品も当らない。それでも川の流れの変化とムードが良いので新人類から年配者迄、種々な人種が集まってくる。
基本は手造りのイカダである為、シンプルなイカダから大がかりなデコレートしたイカダが目立ちたがりの船頭をかしらに岸辺のギャラリーの声援を受けて馬鹿ばかしくも楽しく下るのである。
数年前になるが、某建設会社のイカダ大小5艇が出品され、仲間の拍手に送られてスタートしようとしたのであるが、人間が乗って浮かんだのは2艇だけ、プロの設計屋をかかえた会社がなんとブザマな姿をと皆の失笑を買ったり、途中の激流で転覆して底が上になってベトナム難民のボートピープルを想像させる状態でゴールするもの数艇、10キロの自然を充分に満喫できる『北海イカダ下りIN空知川』が今年も近づいてくる。(詳しくは、富良野市日の出町3番22号・電話0167-23-2680・くまげら)
イカダ下りが終わると、すぐ28日(木)29日(金)と北海ヘソ祭りがつづく。今年は20回目という記念すべき年でもあり、関係者は張り切っている。
全国的にも、すっかり有名になったこの祭りは、腹にユーモラスな絵を描いて、その腹を出して踊るのであるが、これには沢山の賞品があたる。
図腹かきコンテスト、ヘソマラソン、ヘソ踊りコンテスト、ヘソ力綱引き大会etcと観光客が飛び入りできる催しが盛りだくさん用意されている。
踊りに参加したいが、人見知りする質の人は飲み放題の樽酒が用意されている。しかし、これを飲み過ぎて腹の絵を消さないまま、酔いつぶれて自宅で寝てしまい、後から帰ってきた奥方が掛け蒲団を直そうとしてまくったところ、中から二つ目の顔が出てきて驚いて腰を抜かした話は有名である。
また、今年の富良野の夏に新しい物語ができそうです。あなたもその物語に参加してみては如何でしょうか。

●今年の日程は次の通りです
北海へそ祭り
7月28日(土)29日(日)
北海イカダ下りIN空知川
7月22日(日) 11時スタート布部大橋
両問い合せ先:市役所商工観光課 TEL 0167-39-2312

一年後に掘りだしたら色白でまろやかな美女が出て来た!

富良野地方の丘陵地は、玉葱苗の青い筋がうねり、とても人間業とは思えぬ美しい景観をみせている。
その見事さ故に、本州の観光客が憧れにも似た心で富良野へ大勢やってくる。
そんな玉葱農家の庭先を借り、土深く日本酒を埋め一年経過させてから掘り起こし、喜喜として飲む集団が宮良野にいる。名づけて銘酒を飲む会『山紫陶酔党』。
その合の発足のルーツは、七年前にシナリオ・ライター倉本聰氏によるテレビドラマ『北の国から』が始まり、その出来栄えが素晴らしく、結果テレビ大賞を受けるのである。
そのような大それた事は、富良野の歴史にない事であり、当然どこかで祝宴会をやらねばと誰れ彼となく言うことしきりであった。
かくして富良野商工会議所会頭・津山茂氏が音頭をとる事になった。しかし受賞者は天下の芸術家で、どうしたものかと思案投首の末、日頃よく付き合いのある僕たち仲間に委嘱してきた。仲間は相談する事を理由に連日飲み歩き、場合には飲み歩くだけの日もあった。
その仲間の一人で電気屋を経営しているチャバ(倉本聰氏の著書によく出てくる)が、受賞作『北の国から』を題材に自分達でシバイを祝いにやろうと言い出した。しかし、それには問題が残った。自分たち素人が、今やすっかり友達になっている主演の田中邦衛さんや竹下景子さんより演技がうまかったらプロの立場をなくしてしまうんでナイカイと。そこで受賞者の作品を脚色して『北の国から・時代劇編』なるものを考えた。当然シナリオライターはチャバが担当する事になった。しかし、後日仲間に手渡されたシナリオは当時理論社から売り出された単行本『北の国から』の抜粋コピーであり、あきらかに著作権侵害である。
だがチャバは意に介さず、これぞハサミと糊だけで作った野心の盗作と、その出来栄えに満足している。富良野青年会議所が中心となっている演劇集団ラ・ノンブリ(フランス語でヘソの意味で、富良野は北海道の中心に位置するところからその名をつけた)が祝いに東京からかけつけた田中邦衛さんと子役の純こと吉岡秀隆君、螢役の中嶋朋子ちゃんや関係者の前で『北の国から・時代劇編』が熱演された。テレビ大賞受賞者の倉本聰氏はそれは自分の事のように大喜びであった。
くわしくは、新潮社出版の『北の人名録』を読んでいただくとして、その時御祝儀に旭川の酒蔵から贈られた二斗樽の薦(こも)かぶり日本酒が演劇集団に無料で払い下げられた。その樽酒の旨い事。それが契機に薦樽を飲む会なるものが出来ようとした。
薦樽は、一番小さいので一斗(一升瓶十本)もあり、それを飲むには最低三十人集めなくてはとメンバーの一人になってもらうべく歯科医院長の田中一行氏に話かけた。
数日後、田中氏が日経新聞に出た日本全国の銘酒を飲ませる日本名門酒会の広告を持ってきた。薦樽を飲む前にこれを手始めにしようと取り寄せた。余りの旨さにカルチャーショックを受け、又、酒各々に個性のある事が判り、薦樽から全国の銘酒を飲む会に進路変更になった。
美酒は造るも飲むも山紫水明でなくてはならぬ。酒は手に持ち口にする器によっても味が変わる。そして美酒に気持ち良く酔わなくてはと山紫陶酔となった。その末尾にその頃行われていた地方選挙の影響もあってか党が乙で良いとなり『山紫陶酔党』とされた。
党主は名付け親である田中一行氏に収まり、年に数回酒席が開催される。
数年前から純米酒ブームが起き、加熱処理されていない生酒ブームと続いてきた。
生酒は香は良いが舌に甘さを感じさせるのが多く、田中党主と考えた結果年中七度の温度が保たれる土の中に寝かせると、それも解決して尚かつ円味のある美酒になるのではと昨年五月二十二日に地面より二・五メートルの深さに一升瓶六十本も埋め込んだのである。
今年の六月十九日に党員と一年一ヵ月ぶりの対面である。
洋画にある埋葬シーンの土葬の穴ぐらを想像するとよい。自分の背の高さより高い平地にスコップで土を掻き出す時のあの興奮。器から口に含む時のチョッピリ味に対する不安を通り過ぎ、そして思い通りの出来栄えに喜んだ。党員に掘り出されたその酒の分類を名付けて『土中貯蔵酒』とした。
どうして旨くなるのか化学的分析は専門家に任せるとして、酒の変化を表現するなら毛ムクジャラのイカツイ男を穴に埋め、一年後に掘り出せば若い色白の美女が出て来たと思うとよい。美味しいふらの牛のバーベキューとふらのチーズを肴に一盃やるは、それはもう富良野の風景のごとく天国である。酒を掘り出して空いた穴に一年潜っていたら、美女になると隣のオバサンに言ったら、頭を殴られてしまった。親切に言ってあげたつもりなのに・・・。

昔、熊がお世話になった、松井正勝さん

今年の紅葉は上手に出来た。半月前に富良野の街はその紅葉の中にあった。神が作りたもうた見事な紅葉は、作者の移り気の速さで今は真っ白な中にいる。スキーシーズン到来である。
昔、富良野スキー場は山の名の通り北の峯スキー場と言っていた。スキー通に北の峯の呼号は知れていたが、富良野の地名を知る者は余りにも少なかった。こんな逸話がある。
札幌駅の切符売り窓口で「北の峯一枚」と買い求める客が結構多かった。それでスキー場と駅名を統一したら良いと北の峯の名が消えた。
昭和49年に富良野プリンスホテルが出来てから北の峯地区は、大きく開けてきたのだが、その頃でも、ここらに熊がよく出没して札幌寄りの島の下から帯広方面の芦別岳の約30キロ間を僕達は熊の銀座通りと呼んでいた。プリンスホテルとそのゴルフ場はまさしく熊の銀座通りの真ん中に位置する。その近くに住むシナリオライターの倉本聰氏は、東京から来た客人にここらは熊がよく出るのでアイヌの熊祭りを唄った「イヨマンテの夜」を唄いながら歩くと熊が近寄って来ないと教え、大の大人達に夜道を歩く間中、唄わせたと言う。
今や大きく開けたこの地に、普段は誰一人として入らない頃から農作物を作って生活をしていた男がいる。
小づくりで短髪の大工顔をしていて顔浅黒く目だけ異様にギョロついている。そこの畑には毎年必ず熊が現れる所で、言い替えるなら熊公の餌を作っているようなものであった。現在、富良野スキー場前になった旅館松竹荘のオヤジさんをやっている故松井正勝氏で、目が鋭くなったのも自分が丹精込めて作った作物を熊に荒らされるのを睨みつけて追い返していたせいかも知れないとか・・・。今は、旅館の裏で宿客に少しでも新鮮な物を食べてもらうべくアスパラや芋を作っている。熊が出なくなった昨今、心なしか松井オヤジさんの目も優しく感じられる。
オヤジさんが気に入ると、野菜でもカボチャでも畑からくれてしまう気の良さで、熊も断ってから畑に入れば、おやじさんに睨まれないですんだものを。

※現在、二代目敬直氏が継ぎ、ホテルベルヒルズになる。