[オフィスFURANO物語] no.7
[これからのオフィスFURANO]
花の仕事
姉の家族、守重一家はオランダのアムステルダムに住んでいる。守重さんが勤めている東京にある「インパック」という会社は、守重さんの兄弟みんなでやっていて、花関係の仕事もしている。そんなに大きな規模の会社ではないのだけれど、ひょんなことから、アムステルダムに営業所を設置することになった。もちろん営業所といっても、一家の住んでいるアパートに机と電話、FAXがあるだけなのだが。とにかく、これからの日本の花産業は急激に伸びるという予想と、花に対する自分達の夢の実現のために、世界の花の中心地オランダに単身乗り込んだのだ。どういう訳か、この「ノリ」の人がまわりに多くいる。守重さんを通じて知り合ったメディカルイラストレーターの奈良島さんもそんな人の一人で、日本では正当に評価されないと、筆?一本で単身ニューヨークに渡り、今ではかなりの額の税金を納めるまでになっている。

文字通り、右も左もオランダ語も分からなかったのに、どんどん仕事が広がっていき、形になりつつある。今のメインの仕事は花束を自動的に作る機械とそれにまつわる包材の輸出入。しかし、ここにきて面白い話が持ち上がっている。これには守重さんだけでなく姉も関わっている。
姉は花のアレンジメントを習得しようと、学校に通っている。10代の子たちに混じって異国の40代オバサンが花を相手に汗をかいている図は、ちょっと異様な気がするが、上達は群を抜いて早いと、姉は自慢していた。学校に何カ月か通っているうちに、アムステルダムの花屋さんで実習をすることになった。その花屋さんが「IVY」(アイビー)と言って、実は、この項のキーポイントで、オフィスFURANOもここに関係してくる。
このアイビーのオーナー「ヤン」さんはオランダでも有名な人で、宮殿や国際会議場などのフラワーアレンジメントを手掛け、雑誌などにも度々載っている。そのヤンさんに守重一家は懇意にしてもらい、人情的な日本人的な付き合いをしている。ぼくも一度お会いしているが、国境を越えて信用出来る人という感じがしたが、当てにはならない。40年近く生きてきたけれど、外国人を評価する局面なんて一度だってなかったからだ。
とにかく、そのヤンさんと守重さんが花に関する新しい「事業」を日本で展開する話が進んでいる。花や花器、包材などを売るハード部門、フラワーアレンジメントや店舗デザインなどのハウツウを売るソフト部門、それらすべてにヤンさんがアドバイスをする。思わず、「オフィスFURANOも乗った!」と言ってしまつた。
企画そのものに関与することも出来るし、那須野さんの写真による関わり、富良野のうちの店舗での展開、葉祥明さんを含めた交流のある人達の参加。どこまでも広がっていく。 富良野も、那須野さんも、オフィスFURANOも、花に対しては遠い距離にはいないと思うので、どんな形にしても協力は出来るし、もしかしたら、根底を覆すほどの大きな事業に発展するかもしれないと、思う。

今年の夏に、ヤンさんは日本にやってきた。守重さんと姉が今後のことを考えると、どうしてもヤンさんに日本を、東京を、見て、知って、実感してもらいたいと思ったからだ。ヤンさんは20年位前に来日して以来日本には来ていなかったので、いくら日本は変わったと説明しても、正確に伝わらなかった。仕事の話をしても、どこか「ズレ」てしまうらしい。意識はしていないが、ヨーロッパ人としてのプライドがアジアの外れの国を過小評価してしまうのかもしれない。
ヤンさんは富良野にも、「へそ祭り」の時期に来た。
カニは小樽から取り寄せるわ、富良野牛は炭で焼くわ、富良野ワインは冷やすわ、メロンは切るわ、飲めよ、歌えの、大騒ぎ。外国人が日本人を曲解するのも無理ないわ。
もちろん、麓郷の森にも案内した。あいにくの雨模様だったのだけれど、行く途中の麓郷街道は黄色い花「オオハンゴウソウ」が咲き乱れていて、とてもきれいだった。
麓郷の森に着いて、五郎の丸太小屋、森の写真館、彩の大地館などを見てまわって、高橋夫婦の住むログハウスで、ヤンさんのおみやげであるオランダ製の紅茶を飲んで、宿泊所である新富良野プリンスホテルに向かうべく車に乗り込もうとした。その時、ヤンさんは重大な宣言をした。「明日、ここに来る途中にあった花や木、草、フキ、ススキ、などを使い、麓郷の森をイメージしたフラワーアレンジメントを行う!」。
さぁ、大変。何もない。花瓶もテーブルもテーブルクロスも。なにしろ王室のあれだ、日本で言えば、天皇家御用達の花職人だ!粗相があってはいけない。まいった。心配で、通訳をしている守重さんの顔をのぞき込むと、笑いながらOK、OKを連発しているので、ホッとした。聞けば、花瓶はバケツでいいし、後は茶色のクラフト紙とガムテープがあればいいと言う。
次の朝は霧雨が降っていたけれども、ヤンさんはものともせず、「グット、モーニング」と元気に起きてきた。見れば麻のスーツに蝶ネクタイの出で立ち。ぼくは雨ガッパと長靴を用意してきたのだが、長靴は履いたけれども、カッパは着なかった。
スーツを泥々にしながら、アムステルダムから持ってきたナイフで次々に"収穫"していった。霧雨に濡れながら、森の中で無心に野花を摘んでいる蝶ネクタイのオランダ人。「絵になるなぁ」。ヤンさんがかたくなにカッパを着ない理由が分かったような気がした。ヤンさんにとって、朝起きてから、花や草を摘んで、そして、アレンジメントをする。この一連の流れ、動きそのものが、「アート」なのだと。アートにカッパは似合わない。
麓郷の森に着いてから、やり始めたアレンジメントは言語に絶する手際の良さだった。正に、流れるようだった。一瞬のうちに構図や配置を決めていくヤンさんを見ていると、ぼくが日本の生け花に漠然と胡散臭さを感じていた訳が分かった。もったいぶるものに、ロクなものはないのだ。
仕上げは、クラフト紙とガムテープだ。まず、テーブルの上とまわりをクラフト紙で覆って、バケツにも同じように巻き付けた。これがまた、味があるのだ。センスがいいのだ。センスはSENSEだ。少なくても、日本の言葉ではない。
出来上りは、素晴らしいものだった。

それから一週間、ヤンさんの「アート」は彩の大地館を華やかに飾ってくれた。

化粧品の仕事

日里さんの高校時代の親友に鎌田まことさんという人がいる。話を聞くとぼくの中学校の先輩にあたり、よく考えてみると知っている人だった。この鎌田先輩がちょっとすごい。知ってる人は知っている「シュウウエムラ」という化粧品の製造販売やメイクアップスクールなどをやっている会社で重要な仕事をしている。 
鎌田さんのいる事務所は、なんと!南青山5丁目の交差点に面するきれいなビルの中にある。
ついに、富良野の人から「南青山の人」になった人が現れた。しかも知っている人が。快挙と言ってもいいはずだ。なにしろ、南青山5丁目だ!
何年か前に、日里さんに紹介してもらっていたのだが、その時は自分の商売との接点はないと思っていた。しかし、最近になって新しい商品のことを色々考えているうちに、ラベンダーをメインにしたオリジナルの化粧品が出来ないだろうかと思い、鎌田さんがぼくの中で、にわかにクローズアップされてきた。
いつものように早速企画書を作り、日里さんにあらかじめ連絡をとってもらい、南青山にFAXした。

タイトル
「彩(いろどり)の大地」をテーマにした化粧品

  • 趣旨
    富良野は自然の真っただなかにあります。十勝岳、芦別岳をはじめとする北海道を代表する山々、母なる川空知川、東洋一の美林といわれる東大演習林、全国的に名を馳せた広大な丘陵地帯、秀麗な眺めの金山湖、メルヘンチックな夢を与えるラベンダー畑など、世界に通用する自然環境を抱えています。
    その富良野からイメージされることは、大自然の雄大さ、清潔感、ロマンチック、ぬけるような青空、気持ちのよい白い雲、新鮮で美味しい野菜、何処までも続く長い道、丘いっぱいの花、森に住むかわいい動物達、まばゆいばかりに輝く星、刻々と色を変える広大な雪原、さわやかなそよ風、緑豊かな草原などなどです。
    この富良野の持つイメージを集約し、テーマ化したのが「彩の大地」です。
    これまでオフィスフラノでは「麓郷の森」「フォーラムフラノ」を拠点に「彩の大地」をテーマに数多くの事業を展開し、かなりの成果を上げてきました。その中心は写真家の那須野ゆたか氏関係のものですが、商品の売行き、企画展の評判などを考え合わせますと、「彩の大地」のテーマに共感してくれる人達の数は膨大なものだと思います。
    現在進行中の企画として、葉祥明(よう・しょうめい)氏とのものがあります。一昨年から昨年にかけて「彩の大地」をテーマに20点の絵を描いていただきました。磁器をメインに絵はがき、ポスターなどを今年の7月をめどに商品化する予定です。
    当企画の「化粧品」のパッケージ、シールなどのビジュアル関係に那須野、葉両氏の作品を使用したいと考えています。
  • 内容
    1.香水
    「ラベンダーヒル」・ラベンダーをベースにしたもの
    「フェアリーヒル」(妖精の丘)・さわやかで神秘的な香り
    2.口紅
    3.アイシャドウ
    4.ソープ
  • 企画実施
    (有)オフィスフラノ
  • PRODUCER
    小田島 忠弘・日里 雅至
  • 協力
    那須野 ゆたか・葉 祥明

具体的にはまだ何も進んではいないけれど、ぼくとしては鎌田さんに企画そのものに参加してほしいと思っている。富良野で生まれ育ち、いま南青山にいる、そのポジションで富良野の化粧品を考えていただきたい。富良野で生まれ育ち、いま富良野にいる、ぼくらのポジションとのぶつかりあいが、新しいものを生むと思う。
鎌田さんと一緒に仕事が出来るということは、フラニストのネットワークがまた広がることでもある。浜田もそうだけれど、富良野から出て「中央」で活躍している人を見ると、やっぱり勇気づけられる。
富良野に拘って、しかも富良野に拘らない。これがぼくの目標だ。