2002年10月17日 奧ちゃん頑張って!
「社長!オフィスフラノで働かせてもらえないでしょうか」。”奥ちゃん”から突然電話がかかってきた。「北の国から」が大好きで、富良野が好きになった人で、知り合ってからもう二十年になる。大阪で看護婦をしながらアロマテラピストや色彩心理インストラクターの資格を取り、前向きに人生を送っている。
「自分の可能性を富良野で試してみたいんです」。このところ「自分が後ろ向きになってきたかな」なんて感じていた私には、ちょっとまぶしい言葉だった。だが、新しいことに挑戦したい気持ちももちろんあった。
これは神の思し召しだと勝手に決め、奥ちゃんが来てくれるなら、富良野グッズや雑貨を扱っている店の一部でレストランをやろう!と勝手に盛り上がった。 「私、料理なんて作ったことありません。アロマテラピーなら…」と尻込みする奥ちゃんに、人間はその気になれば何だって出来る、オレだって皿洗いぐらいはやるよ、と説得した。プロに助言を受けながら、奥ちゃん、私、妻が厨房を担当してスタートした。今はシェフが来てくれているが、この七、八月、私は毎日毎日皿を洗い続けた。
奥ちゃんは注射器をフライパンに持ち替えて、今日も頑張っている。奥ちゃん、落ち着いたら、アロマテラピーもやろうね。
2002年12月26日 富良野で山頭火
山頭火との出会いは、大学生時代に友人から教えてもらった「まっすぐな道でさみしい」という句だった。聞いた瞬間、戦慄(りつ)を覚えた。こんな普通の言葉、「まっすぐな道」と「さみしい」を単に「で」で繋いだだけなのに、情景が、イメージが、バァーッと広がった。
その後、写真家の那須野ゆたかさんと一緒に仕事をするようになり、いつか那須野さんの富良野周辺の風景写真と山頭火の句を組み合わせた本を作りたいと思うようになった。
それは、二人の気質が似ているのか、富良野と山頭火がどこかで通じているのか、とてもイイ感じなのだ。そして、俳句と言えば書である。書道をやっている叔父の村田鳴雪に句を書いてもらった。これがまた素晴らしい。何気なく、「叔父ちゃん何枚くらい書いたの」と聞いたら、一万枚以上書いたと、こともなげに言われた。がく然とした。私が頼んだのは二十数点なのに。思い込みだけで色んな人に迷惑をかける悪いクセがまた出てしまった。叔父ちゃんすみません。
本はいよいよ来春出版できそうだ。それに先立ち、写真と書を組み合わせた額を十三点、私の店に展示した。「富良野で山頭火」。感じてくれる人がいてくれるとうれしい。