2005年2月3日 葉祥明さんの言葉
絵本作家で画家の葉祥明(ようしょうめい)さんとは十数年前からのお付き合いだ。
私の一方的なラブコールに応えて下さり、富良野をテーマにした作品を二十点描いてもらったのが始まりだった。それらの作品は丘の詩画集やCD「Furano HOLY Hill」として結実したが、今もまったく輝きを失っていない。
私が「お守り」のように持ち歩いている葉さんからの手紙がある。東京でお会いした時、胃がときどき痛むという話をした。ほどなく、葉さんが飲んでいるという漢方薬を送ってくださった。添えてあった手紙にはこう書かれていた。
「薬で治しつつ、根本の原因である、ライフスタイル、生活習慣、人生観、社会観、対人関係を再検討して、できる限り、怒り、憎しみ、心配、不安等々のネガティブな感情を持たないようにしましょう。そして、できる限り夢や理想や喜び、優しさをもって生活しましょう」
読むたびに、葉さんのあの温かいまなざしと語り口が目に浮かび、つづられている言葉をかみしめる。
葉さんとはしばらくお会いしていない。富良野も、北海道も大好きな葉さんにこの美しい冬景色をまた見てほしい。こんど葉さんに会う時は、私の夢や理想が少しでも実現しているように、頑張らなくては!
2005年3月24日 ケータイとにらめっこ
携帯電話が、ものすごいことになってきた。私たちが子供のころに夢みた「テレビ電話」も今では「ケータイ」で手軽にできるし、音楽も高音質で聴ける。メールと一緒に写真やビデオも送れるし、私はまだ使ったことがないがサイフ代わりにもなるという。
先日も東京に住んでいる娘にケータイでテレビ電話をかけ、家族で大いに盛り上がった。今はまだおそるおそる使っている感じだが、あと一年もたてば、きっと私も日常的に何の驚きもなく使っていることだろう。
私が最新のケータイを買った理由は、娘にテレビ電話をするためではない。私の会社はインターネットのホームページなどを制作しており、今後ますます重要なメディアになるだろう携帯電話にもどうにかしてかかわることができないかと思ったからだ。
このところ私は、毎日ケータイの画面とにらめっこをして、いろいろなサイト(携帯電話版のホームページ)を見ながら「勉強」している。サイトにはモバイルバイキングやらショッピングやら、多種多様な情報があふれている。近い将来、ほとんどのことがケータイでできる時代が本当に来るかもしれない。
私がやりたいのは、ケータイのサイトを通じて富良野の良さを多くの人に知ってもらい、実際に訪ねてもらうきっかけづくりをすることだ。富良野の自然やそこに生きる人たちのこと、マチのことなどを発信したい。そんな思いで、ケータイとにらめっこが続いている。
2005年5月12日 忘れていた「田舎」の良さ
最近、いろいろと面白い人に出会う。人との出会いには波があって、誰にも出会えない時期があるかと思えば、出会い始めると立て続けに出会うこともある。そんな時期は自分も行動的になっていて、積極的で、精神的にも良い状態のことが多いように感じる。
最近、南富良野町の北落合地区に別荘を持っている名古屋の方と知り合った。一年に何度も北落合を訪れているそうで、別荘というよりも、もう一つの自宅という感覚らしい。誘われるまま、ずうずうしくも、さっそくお邪魔することになった。
北落合には、富良野や美瑛とはまた違った美しさがある。とりわけ真冬の風景は圧巻だ。一度、「犬ぞりツアー」を撮影する仕事で北落合の丘陵をスノーモービルで走ったことがある。真っ青な空。真っ白な雪原。遠くに山並み。ほかには何もない。だだっぴろい平野のような、独特の景観。まさに別世界を体験した気分で、大感激した。
その時のことを思い出しながら北落合に車を走らせた。五月だというのに、まだ雪に覆われている「別荘」にたどり着いたら、なんと!テラスづたいにサウナ小屋がある。テラスからまわりを見渡すと、明かりはこの家以外にどこにもない。残念ながら曇っていて星は見えなかったが、空がでかくて、星が見える夜にはさぞかしと思えた。
富良野という、都会の人がうらやむような「田舎」に住んでいながら、最近は、ゆっくり夜空を見ることも忘れていた。名古屋という「都会」に住んでいる人に、あらためて「田舎」の良さを教わった気がした。