■ ピクルス byいずみ 2007年01月31日(水)

  148,027 byte今日はピクルスを作りました♪





きゅうり、にんじん、セロリ、
カリフラワー、パプリカを入れました。





3種類の酢で漬けて味見をします。
上手に漬かっていますように!!
 

■ ふらのかぼちゃプリン byオダジー 2007年01月31日(水)

  45,148 byte今日の富良野は、北海道は、四月上旬の気温だそうで、マイナスではなく、プラスになった。朝起きたら、自宅前の工場(父親の作業所)の屋根に積もった雪が、道路にずり落ちていた。起き掛けに30分、除雪を余儀なくされた。まあ、今年はよく働くこと !
今までは、除雪と言えば、父親がやってくれるもの、と勝手に決めていたが、流石に今年83歳を迎える父親に、任せっぱなしにもいかなくなった。「おいおい、今までなにやってたんだ」と、お叱りのお言葉が聞こえてきそうですが、ハイ、除雪はしたことがありませんでした。この場を借りて、謝ります。これからは、なるべく雪が降ったら、早起きして除雪します。
まあ、除雪の話は、これくらいにして、「かぼちゃプリン」の話をします。我が、かぼちゃプリンは、富良野産の「雪化粧」を100%使っております。秋に買いだめた雪化粧を麓郷にある室(むろ)に入れて、時間をみては取り出して、蒸して、漉して、小分けにして保存してある。
プリンを作るときは、そのペースト状に小分けにされた雪化粧に、牛乳、生クリーム、タマゴなどを混ぜ、ココットに入れ、オーブンで蒸しているそうだが、かぼちゃの味が“もろ”にする。
私は、このいかにも富良野らしい素朴なかぼちゃプリンを店で出すだけではなく、商品化したいと思っている。
そのために、ココットではなく、そのまま持っていけるように、フタ付きの耐熱カップを取り寄せ中だ。そのかぼちゃプリンにつける新たな商品名も、考えているが、まだ内緒である。
出来上がったら、また、ワイワイ日記でお知らせします。
 

■ アマリリス成長日記 : 25日目 by しん 2007年01月30日(火)

  137,959 byte第2回目になりました、成長日記。












ようやく、花芽が出てきました!











調子に乗って、一言にしてみました。
(オダジーのまね .......)
 

■ 小椋佳">「彷徨(さまよい)」 byオダジー 2007年01月30日(火)

  47,367 byteジャズの話が続いたので、今日は小椋佳の「彷徨(さまよい)」
昨日の「勝手に私のベスト5 ! 」の私のテーマは、「2月3日の決戦を前に、フォークモードに入っています。小椋佳、彷徨(さまよい)ベスト5 ! 」だった。
実は、石井彰さんとのフォークソング対決に、小椋佳もリストに上げたのだが、「シクラメンのかほり」などのヒット曲もあり、フォークというよりポピュラーソングということで、今回の対決には、はずれた。
私は、意気込んでCDを買ってしまったこともあり、せっかくだから、勝手に私のベスト5 ! で使った。
このアルバムは、私が聞いていた当時はLPレコードだけれど、一枚を通してすべて良い。甘いんだけど、ベタついていない。青春そのものがテーマになっていて、愛とか恋もあるのだけれど、基本的には「自分」という視点が、私には共感できるのだと思う。
フォークにいたり、フォークの近くにいた人が、大ヒットを飛ばすことに文句はないし、私もヒットした曲で好きな曲もいっぱいある。だが、おうおうにしてフォークはフォーク、ヒット曲はヒット曲のように、一人のミュージシャンの中でも、別々な面としてとらえられるが、小椋佳は、すべての曲が一貫している。すべての曲が小椋佳なのだ。厭味がないのだ。
さて、私が一位に選んだ曲は、「少しは私に愛を下さい」でした。
 

■ ジョン・コルトレーンの二枚のジャケット byオダジー 2007年01月29日(月)

  30,587 byte昨日のジャズレコード額の続きである。壁全体には、二十枚のLPレコードを飾った。二十枚とも大好きなレコードである。選んだ基準が少しあります。
まず、ジャズ界の「巨人」は、何人か入れたいと思った。ジョン・コルトレーン、マイルス・デイビス、ソニー・ロリンズ、チャーリー・ミンガス、バド・パウエル、クリフォード・ブラウンの七枚が、それだ。ジョン・コルトレーンだけは、「ジャイアント・ステップス」「コルトレーン」の二枚選んだ。それは、コルトレーンに敬意を表するというより、コルトレーンに「媚びる」に近い感情がある。
数あるコルトレーンのレコードの中で、何故この二枚を選んだのか、という問いは奥が深い。色々な理屈と色々な弁解がある。コルトレーンは、選ぶレコードで「意味ありげ」になってしまう。それは、聞きやすいスタンダードナンバーから、死ぬ間際に残した過激なフリージャズまで幅が広く、なおかつ、音楽そのものが哲学的だからだ。
私が選んだ二枚は、スタンダードでも、フリージャズでも、どちらでもない。そう言うと、意味ありげになってしまう。この二枚は、偶然でもあるし、私の意志でもある。あ〜あ、意味ありげ。
ジョン・コルトレーンは、ジャズの「踏絵(ふみえ)」だ。聞くか、聞かないかの踏絵。そして、コルトレーンのどのレコードが好きかという踏絵。
極端に言うと、ジョン・コルトレーンを聞かないジャズファンがいたら、「 ? 」とともに、その人とはそよそよしい会話になってしまうと思う。また、ジョン・コルトレーンを聞くとして、その好きなレコードの「解釈」が、私と違っていたら、やはり、そよそよしい会話になってしまう。
ある時、久しぶりに会った、私の友人がコルトレーンを聞くときは、「正座」して聞くと言った。この友人とは、会話が弾みに弾み、普段は決して言わない、私の心の奥の奥の話までしてしまった。
私がお付き合いさせてもらっている、ジャズミュージシャンの方が、何人かいます。プロに失礼とは思いながら、私は、「ジョン・コルトレーンはどうですか ? 」と必ず質問する。これは、シロウトの特権である。プロ同士では、あまりこういうことは聞かないと思う。
全員が、ジョン・コルトレーンのファンだ。これは、当たり前といえば、当たり前で、だから私と知り合ったのだ(強引 ! )。ついでに言うと、ジャズ・ミュージシャンは、まず、コルトレーンで、それからどうするかを考えるものなのだ。コルトレーンに憧れて、ジャズ・ミュージシャンになる人が圧倒的に多いのだ(シロウトの独壇場 ! )。
調子に乗って、書き過ぎました。続きは、また明日・・・。
 

■ ジャズのLPレコード額 byオダジー 2007年01月28日(日)

  66,828 byte私の大好きなジャズのLPレコードを20枚、フォーラムフラノに飾った。写真は、それをバックに、「悦」に入っている私です。
若い頃、ジャズ喫茶をやりたいと思ったこともあった、のを急に思い出した。私たちの時代は、けっこう、ペンションやジャズ喫茶をやってみたいと、一度は夢見た人が多いと思う。
また、思い出した。
私は、ペンションを建てて、部屋の入り口のドアに今回のように額に入れたジャズのジャケットをかけて、1号室は「コルトレーン」、2号室は「マイルス」と、やったらどうだろうと、考えたことがあった。
いやぁ、また思い出した。
一階が花屋さん、二階がジャズ喫茶、三階が自宅というビルを建てたい、と夢見たことを・・・。
実は、近いうちに、フォーラムフラノに私のオーディオシステムを持ってこようと思っている。もちろん、レコードプレイヤーが、ど〜んとあるやつ。私のレコードプレーヤーは、ちょっと凄い。なんと ! マホガニー調仕上げなのだ。十年くらい前、勢いで買ってしまった。ちょっと値段は高かった。
私はオーディオ店の店員の方に、「今すぐほしいわけではなく、そのうちレコードを聞きたいので、どれくらい時間が経つと安くなりますか ? 」と聞いたら、このマホガニーは限定なので、時間が経つほど希少価値になって高くなりますと言われ、即買ってしまった。
もちろん、後悔はしていない。
さて、レコードプレーヤーを持ってきて、最初に聞く、レコードはなんにしょうか、なんて考えるのは楽しいね。コルトレーンか、アート・ペッパーか、はたまた・・・。
そうそう、先にも書きましたが、この額たちは私の親父が作ったものだ。
 

■ “大”排雪デー byオダジー 2007年01月27日(土)

  58,176 byte「そろそろ来るらしいぞ」「あっ、そうですか」「昨日は、隣の町内にいたから今日か、明日かもしれない」「あっ、そうですか」、ここ2、3日の向かいのおじさんとの会話だ。もちろん、「あっ、そうですか」が私である。
たまらず、私もある有力な人に、「私の家の回りに、いつ来てくれるか、確かめることが出来ますか ? 」と、昨日電話してしまった。
「今日か、明日か。日曜日は休みだから、ずれると月曜か、火曜日には行くはず」と、返事が来た。私は、父さんにも、伝えた。父さんも、ここ2、3日、そわそわしている。
何が来るのかというと、市がやってくれる「排雪の車」のことである。それにしても、大雑把な予定だ。おそらく、日程を細かく確定すると、「まだ来ない ! 」「いつ来るんだ ! 」と、市に問い合わせが来るので、“ゆるく”しか伝えないのだと思う。
大雪が降ると、町内の細い道にも除雪車が来てくれるが、雪を道路の両側に押しやるだけで、雪は山のように積み上げられる。もうそろそろ限界 ! という頃に、排雪の車が来てくれる。年に1、2回しか来ないから、みんなはその日に目がけて、溜まっている雪を道路に出す。つまり、道路の両側に積もっている「公共の雪」と一緒に、自分の家の回りにある「私的な雪」を持っていってもらうために、道路に押し出すのだ。
今朝は、8時から、道路に出た。向かいのおじさんは、何時間も前から、「私的な雪」を道路に出していた。私は、「ついに、来ますね」と話しかけた。「もうすぐ、来るぞ」と、おじさん。それから、一時間ぐらいして大掛かりな、排雪が始まった。
まず、除雪車が来て、行ったりきたりして、雪を道路の片側に集める。集めた雪を、ロータリー除雪車が、雪をロータリーに巻き込んで、トラックの荷台に飛ばしていく。あっという間に、トラックは雪でいっぱいになる。次々にトラックが来ては、雪を満杯にして、走り去る。「壮観」である。
写真は、私の自宅の前で、ロータリー除雪車がトラックに雪を積んでいるところです。
結局、11時過ぎまで、かかりました。「あ〜、疲れた」。
 

■ うれしいメール byオダジー 2007年01月26日(金)

  49,323 byte今日、うれしいメールが届いた。
「毎日愉しくブログを拝見しています。この度は弊社の本をご購読頂き有難うございました。那須野さんの湖水地方の写真、懐かしいですね。それにしても、小田島さんがジャズにお詳しいとは初めて知りました。カラオケではお歌いにならないので・・・。さくらんぼ計画も着々ですね。小田島さんの周辺の生き生きしている空気がブログから伝わってきます。私の勝手な推測ですが、オダジーになってますます素敵になられたような。」
と、書いていただき、「今後も富良野、北海道のオダジーワールドを注目させて頂きます。」で、締めくくられていた。
この素晴らしいメールを送ってくれた人は、女性です(特に、うれしい ! )。知り合ってから、二十年以上経っているかもしれない。JTBで出版している「るるぶ」誌で、色々お世話になった人だ。現在は、JTBパブリッシングの“エライ”人になっている。
メールの最初の「弊社の本をご購読・・・」は、私が昨日、ワイワイ日記で紹介した、「ピーターラビットと歩く イギリス湖水地方 ワーズワース&ラスキンを訪ねて」がJTBパブリッシングの出版だったのだ。
るるぶ誌には、思い出がいっぱいあります。その中で一番大きな「思い出」は、一緒に仕事をしている那須野ゆたかさんが、写真と文章で連載した「刻(とき)を探しに」だ。これは、1991年の1月号から12月号まで、毎月見開き二ページにわたって掲載された(写真参照)。
パリ、ブルージュ、ローテンブルグ、バース、エジンバラ、シンガポール、タヒチ、ミコノス・サントリーニ、上海、ニューヨーク、ストックホルム、そしてイギリス湖水地方のそれぞれの場所で、写真家・那須野ゆたかの心象を綴ったものだ。
ずるい事に、私は那須野さんの海外での撮影には、「助手」として、ほとんど同行している。那須野さんと一緒に、夢のような風景を何度も目の当たりにしている。ちゃっかり、那須野さんの横で、シャッターも切ったりした。
こう書いていくと、すべてが過ぎ去った後のような感じだけれど、私は諦めてはいない。何年か後になるかもしれないが、「オダジーのワイワイ撮影旅行」を敢行しようと思っている。オダジーは、まだまだ頑張りますので、また、メール下さい。
 

■ PETER RABBIT FLOWERS byオダジー 2007年01月25日(木)

  69,974 byte私の姉(守重美代子)は花束自動処理装置など、お花関係の会社「インパック」で、事業開発室・室長の立場にいる。現在の主な仕事は、新しいプロジェクト、フラワーショップ「PETER RABBIT FLOWERS」を今春オープンさせることだ。PETER RABBITは、絵本で有名な、あのピーターラビットです。正式に、契約して、使えるようになったそうです。
姉は、もともとフラワーアレンジメントの先生で、今までに多くの生徒さんがいます。今進めているPETER RABBIT FLOWERSも、お花屋さんプラスアレンジメント教室になると思う。
ピーターラビットについては、偶然ですが、私もゆかりが深い。と言うのは、写真家の那須野ゆたかさんと一緒に、ピーターラビットの故郷である、イギリスの湖水地方に、三回も撮影に行ったことがあるのだ。もちろん、ピーターラビットの作者、ベアトリクス・ポターが住んでいたヒルトップも訪ねた。私も、大のお気に入りの場所だ。
湖水地方は、それは、それは美しいところで、那須野さんも素晴らしい作品を沢山撮りました。その作品は写真集「夢のとき」にも掲載したし、カレンダーにも使われました。
私は、姉のプロジェクトに、何かお手伝いできないかと、勝ってに思っている。そこで、まず、ピーターラビットに関して、私なりに「勉強」しようと思い、「ピーターラビットと歩く イギリス湖水地方 ワーズワース&ラスキンを訪ねて」を取り寄せました。
湖水地方を懐かしみながら、しっかり、勉強したいと思います。
 

■ 今日の天気とジョン・コルトレーン byオダジー 2007年01月24日(水)

  26,871 byte上の写真は、今朝の9時前の写真で、下の写真が9時半頃の写真です。
今日の富良野は荒れています、でワイワイ日記を書き出そうと、車の中からフォーラムフラノに来る途中撮ったのですが、雪かきをしているときに晴れ出し、ちょっとの間で下の写真のような天気になった。
現在は11時前です。全体的には曇りですが、青空も見えます。スキー場の方は、晴れていそうなので、スキーヤーやスノーボーダーにとっては、フワフワした軽い新雪の上を気持ちよく滑れると思います。私も、とにかく一度滑らないと・・・。
今、「PLAYBOY」誌が届いた。昨年の3月に出たものを集英社のバックナンバー係」から送ってもらったのだ。
ジョン・コルトレーンの特集をやっている。表紙まで、ブルーノートのCD「ブルートレイン」のを使っている。
どんなことが書いてあるのかも興味があったが、ついつい買ってしまった大きな理由に「小川隆夫のJAZZで歩くニューヨーク完全ガイド」というオマケもついていたからだ。
ニューヨークには、私の友人のTOMOさんが住んでいることもあって、何回か行っている。有名なジャズクラブでもライブを聞いたことがある。
今は、ニューヨークに行くのは、無理だけれど、ちょっと落ち着いたら、是非行きたいと思っている。その時のことを思い浮かべて、「PLAYBOY」を読みながら、頭の中でニューヨークを歩いてみようと思う。
今日は、幸せな時間を過ごせそうです。
 

■ さくらんぼ byオダジー 2007年01月23日(火)

  40,338 byteオフィスフラノでは、スタッフを募集しています。英語が話せて、フォーラムフラノ、麓郷の森、オフィスフラノに興味を持ってくれて、一緒に働いてもイイと思う人。私たちが日々なにをやっているかは、下記のホームページをご覧いただければ分かります。
「オフィスフラノ」ホームページ
「通販サイト イー・ショップふらの」ホームページ
英語を話せる人といっても、日常会話ができる程度でいいです。主にオーストラリア人(オージー)に対する接客に必要で、もし英語にそれほど自信がなくても、アメリカに長く住んでいた我がしんちゃんが教えられると思うので、語学のスキルアップにもなると思う。
今後、オージーがますます増えることが予想されるので、オフィスフラノのサービスもレストラン、ショップにとどまらず、外貨両替、国際電話カード、英語でのインフォメーションなどを進めたいと思っています。
オフィスフラノが進めたい仕事は、まだまだあって、印刷物やホームページの製作もしたいと思っている。そのひとつが、廉価な英語版のパンフレットをまわりの宿泊施設やレストランにプレゼンすることだ。「フォーラムフラノの英語版」が参考になるはずだ。英語版のホームページもそれに合わせてプレゼンしたい。
それと、ちょっと唐突に思われるかもしれませんが、今年の4月か5月に、麓郷の広大な畑に、なんと! 「さくらんぼ」の苗などを植える、果樹園プロジェクトに、オフィスフラノは参加します。
写真がその畑だ。どうです、この圧倒的なロケーション。丘陵が美しい麓郷地区でも、これほど美しい眺めの畑はあまりないと思う。目の前は、「前富良野岳」が聳え立ち、西の方には、「芦別岳」が見えます。
私がこのプロジェクトに参加することになった、そもそものキッカケは、山形の東根町にある「天香園」の岡田専務と出会ったからです。天香園は、主にさくらんぼや桃、りんご、ブルーベリーなどの果樹の苗木を販売する会社ですが、なんと! さくらんぼの有名品種である「佐藤錦」の育ての親が天香園の初代の創業者なのだ。岡田専務は、四代目である。
岡田専務は、「北の国から」の大ファンで、何度が富良野に来ていたのですが、「富良野にさくらんぼを植えたい! 」という気持ちが日に日に強まり、ついに畑を購入し、いよいよ雪融けにさくらんぼなどの苗木を植える運びになった。
私は富良野にこだわった仕事をこれからも長く続けたいと思っている。それには、主幹産業である「農業」に関わった仕事をしなければと考えていた。このプロジェクトの話が出たときに、是非とも参加させてほしかった。今も、レストランの食材やプリン、ゼリーなどの加工品、そしてメロンなども扱っているが、仕事としても面白いし、可能性がものすごくあると思っている。
私は、農園一年生として、まず、色々なお手伝いをさせていただき、岡田専務と一緒に、このプロジェクトを是非とも成功させたいと思っています。
このプロジェクトの進捗状況については、このワイワイ日記でも、リアルタイムでお知らせしようと思っていますので、よろしくお願いします。
 

■ 北海道新聞「北極星」 byオダジー 2007年01月22日(月)

  82,273 byte今月の11日に、北海道新聞の「北極星」のコーナーに私のエッセイが載った。2ヶ月に一回のペースで書いているのだが、もう28回目になる。今回は、このワイワイ日記のことを書いたので、下記に転載します。

 昨年の十一月から、インターネット上で「オダジーのワイワイ日記」を始めた。最近、流行(はや)りの「ブログ」のようなものだ。ブログというのは、個人や数人のグループで運営され、日々更新される日記的なウェブサイトの総称。私のやっている「ワイワイ日記」は、基本的には一日に写真が一枚で、その写真に合わせて文章を書いて公開している。
 最初は、毎日書く話題なんてないし、書く時間だてないのにと心配していたが、やってみたら結構ハマってしまった。約二カ月の間に五十回近く書いたから、ほぼ毎日書いていることになる。内容は、「今日、富良野に初雪が降りました」とか「今日の十勝岳連峰はきれいです」といった身近な富良野の情報から、好きなジャズの話、私のショップの紹介などさまざま。気の向くまま、軽いノリでつづっている。
 私が「ワイワイ日記」を始めた理由は、富良野と富良野のファンをつなぐ何かのパイプ役になりたいと勝手に思ったからだ。この日記を見たことが富良野に来るきっかけになったり、見た人が富良野に親しみを持ってくれたらいいなあと、ひそかに期待している。
 残念ながら、まだ広くは知られていないし、確実に毎日チェックしてくれる人は身内や知人ぐらいだが、それでも見てくれる人がいることはうれしい。さらに言えば、たとえ誰も見てくれなかったとしても、自分にとっては決してマイナスではないと思う。毎日、書くための「ネタ」を探すことで、あらゆる分野の話題に自分のアンテナが向くようになったからだ。そういう意味では、日記の一番の読者は自分自身なのかもしれない。
 さて、明日は日記に何を書こうかな。
 

■ 岡林信康 byオダジー 2007年01月21日(日)

  58,820 byte昨日から、岡林信康を聞いている。岡林といえば、私の場合「手紙」「チューリップのアップリケ」、そして「カム・トゥ・マイ・ベッド・サイド」が浮かんでくる。この三曲は、ギターを弾き始めた頃練習した曲だからだ。高校生の時だ。友人にギターのうまいのがいて、そいつに習った。「手紙」で初めてアルペジオを憶え、「カム・トゥ・マイ・ベッド・サイド」でスリー・フィンガーを憶えた。
私の音楽人生は、歌謡曲→加山雄三→グループサウンズ→岡林信康→吉田拓郎・井上陽水→ジャズ→なんでも、という感じになる。その中で、やはり岡林信康は特別な意味を持っている。岡林信康というより、“岡林信康と時代の空気”だったのかもしれない。岡林信康を通じて、初めて「思想」とか「哲学」のようなものを実感したのだ。
「人間は如何に生きるべきか」の問いかけを、“生(なま)”の形で問いかけられたと思う。つまり、ある意味、岡林信康によって、人生の第一歩を踏み出したということかもしれない。それは、私だけではなく、かなり高い確率で私の世代の人について言えると思う。
さて、本当に久しぶりに岡林信康を聞いた。まず最初に感じたことは、「あっ、岡林ってブルースじゃん」だった。それは、高田渡を聞いたときも感じたことだ。
フォークソングと聞くと、「昔、聞いていたなぁ」程度の感慨しかなく、“過去”の音楽になっていたのだが、高田渡、五つの赤い風船、岡林信康と聞き続けてみて、逆にすごく新鮮だった。もし、フォークに対して先入観なしに、また、もし英語の歌詞だったら、まったく別の感覚で聞けるかもしれないと思った。
写真は、今朝の芦別岳。天気も良く、空気も透明感があり、いかにも「富良野の正しい朝」の感じだったので、少し遠回りして撮ってきた。
 

■ ニセコ・ヒラフ地区「ひらふ坂」 byオダジー 2007年01月20日(土)

  39,509 byte2007年01月17日(水)のワイワイ日記の続き。写真上はニセコ・ヒラフ地区の「ひらふ坂」。フォーラムフラノがある北の峰地区にも、同じような坂がある。北の峰ゴンドラに向かう坂(写真下)で、この信号を左に曲がるとすぐ角が富鮨さん、その隣がフォーラムフラノだ。このひらふ坂の写真は、朝撮ったので、あまり賑わいが伝わらないと思うが、夜になるとオージーで埋め尽くされるのだ。
ニセコに行ってみて、色々参考になったが、私が強く思ったのは、オージーが必要としている情報をいかに提供するか、ということだ。フォーラムフラノのことで言えば、英語版のメニューを作ったり、英語版パンフレットも作ったが、店内や商品のインフォメーションなどは、まだ十分ではない。今日から、オージー向けに英語のアンケートを書いてもらうことにした。料理のことから、富良野全般の印象など、A4サイズにびっしり質問が並んでいる。書くのは面倒だとは思うが、私の勘では、意外と書いてくれるのではと、思っている。
このアンケートも参考にしながら、フォーラムフラノ独自のガイドブックを作りたいと思っている。アイデアは、けっこう浮かんでいる。ただ、それをやる時間と気力があるか、それが問題だ。
下記は、今回製作したパンフレット(日本語版と英語版が裏表になっている)をPDFファイルにして、ホームページに載せました。
「フォーラムフラノパンフレット」
英語版「Brochure of Forum Furano」
 

■ 高田渡 byオダジー 2007年01月19日(金)

  50,575 byte1月14日のワイワイ日記に書いた「フォークソング対決」のために何枚かCDを買った。その一枚「高田渡・五つの赤い風船」を早速聞いてみた。高田渡は、「自衛隊に入ろう」しか記憶になかったのだが、聞き始めるとすべての曲が口ずさめた。「事だよ」「現代的だわね」「自衛隊に入ろう」「ブラブラ節」「しらみの旅」「あきらめ節」「冷やそうよ」、全7曲。
このURC(アングラレコードクラブ)レーベルのレコードを私は確かに持っていた。持っていた自信はあったけれど、改めて聞いてみて、確信した。だって、全曲歌えるのですよ。人間の記憶って、すごい! 特に、若い時に頭に入ったものは染み込んじゃっているのだ。若者よ! 今を大切に生きなさい! だって、今の私は昨日のことだって、もう記憶にないのだ。
このレコードの発売は1969年。私が16歳、高校1、2年生の頃だ。この時期は、岡林信康、このレコードにカップリングされている五つの赤い風船にシビレていた。
私たちの世代は、岡林信康から始まったと言っても過言ではない。もし、岡林信康から始まるフォークソングがなかったら、私たちの考え方、物の見方、世の中の対し方、もっと言えば生き方も違ったものになっていたと思う。この辺の話は、「フォークソング対決」でじっくり話したいと思います。
高田渡に、もどります。これがイイんです。ラジオふらのの仲間にも、高田渡ファンがいて、ちょこちょこラジオで話しているのは聞いていましたが、私の中では「ああ、昔聞いてたなぁ」ぐらいの感想しかなかった。
「フォークソング対決」のための選曲も、単純に、高田渡は「自衛隊に入ろう」で決まり、と思っていたが、いやー「ブラブラ節」もイイし、「しらみの旅」は“しらみ”の夫婦が目に浮かび一種物語を見るような感じで聞いてしまった。ああ、どうしよう、迷ってしまう。
 

■ 村田鳴雪書道展inフォーラムフラノ byオダジー 2007年01月18日(木)

  31,381 byte鳴雪「書Tシャツ」、「富良野で山頭火」の書の作者で、私の叔父である村田鳴雪の書道展を二月にフォーラムフラノで開催する予定だ。
先月の末、つまり年末の忙しい時に思い立ち、書道展のための作品を書いてほしいと、電話で頼んだ。おじちゃんに、頼むときはいつもこんな感じで、突然、頼む。年末も、おじちゃんの都合もおかまいなしだ。
おじちゃんは、気が向かないと書かないと、勝手に決めているので、私は頼みだけ簡単に言う。期限とか、作品数とか、詳しい内容とかは、すべておじちゃん任せだ。おじちゃんも、いつも、「分かった! 」とだけしか言わない。
今回も、Tシャツの文字のように、一文字の漢字を作品にしてほしいと言っただけだ。
後は、待つだけ。じっと、待つだけである。催促はしない。こちらは、勝手に「阿吽(あうん)の呼吸」のつもりで、失礼な要求をしているのだから、ゆめゆめ催促は出来ない。
でも、いつも、丁度良い頃合いに、「今日、富良野に送っといたよ」と電話がくる。
昨日のワイワイ日記に書きましたが、私はニセコ視察旅行に行った。その帰りに、札幌のおじちゃんの所に寄り、様子をうかがおうと思って、連絡したら、タイミングよく作品が出来上がったという。相変わらず、私は間(ま)がいいのだ(ちょっと自慢)。
作品は、もちろん素晴らしかった。おじちゃんは、年末年始、ずっと書いていたらしい。ものすごい量の“ボツ”の作品が積み上げてあった。
大きい作品(1000ミリX1200ミリ)も書いてくれたのだが、気に入った墨の濃さになかなかならなくて、何種類かの墨を混ぜて、やっと良い墨になったと言っていた。言われてみると、絶妙な墨の色が、私にも分かった。
この書道展、作品については、後日詳しくお知らせいたします。
写真は、おじちゃんの作品を「裏打ち」してもらうために、旭川の表具屋さんに行く途中に、撮ったもの。昨日の気温が暖かく、今朝少し冷えたので、視界全体が靄(もや)に覆われた感じになった。あまりにきれいなので、ちょっと横道に入って、シャッターを押した。
富良野は、何気ない日常に、「アート」が溢れている。寒かったり、辛かったり、情けなかったりするけれど、やっぱり、富良野はやめられないかも。
 

■ ニセコ「視察旅行」 byオダジー 2007年01月17日(水)

  25,198 byte今年の元旦から、毎日書いていたワイワイ日記を二日間休んでしまった。これは、書くことが無かったり、面倒くさいと怠けたわけではありません。
実は、一昨日と昨日の二日間、ニセコへ「視察旅行」に行っていたので、アップ出来なかったのです。旅行や出張のときは、いつも、何処へでも、パソコンを持っていくのだが、今回は頭を会社モードから、リラックスした旅行者モードで、ニセコを見たかったので、パソコンは置いていった(パソコンのメールは、携帯電話でチェック出来る)。
何を視察したかったかというと、ニセコに大勢来ていると言われているオージー(オダジーではなくオーストラリア人)の「実態」を調査するためだ(ちょっとオーバー)。
それは、フォーラムフラノにも多くのオージーが来てくれているので、「本場」のニセコを是非、この目で確かめたかったのだ。
いやぁー、おったまげた! 夜の八時に着いた、ヒラフ(比羅夫)地区、ここがニセコの中でもダントツにオージーで賑わっているところだが、完全に「外国」だった。
メインの通りは、オージーでごった返している感じで、初めての経験っていうか、まさかというか、これはもう、説明のしようがなくて、「百聞は一見に如かず」の諺(ことわざ)がついつい口をついてしまった。
とにかく、お腹がへったので、雰囲気が盛りあがっているレストラン、居酒屋さんに入ろうとしたが、どちらもオージーで満員。結局、メインの通りから少し離れた、純和風の定食屋さんで食事をしたのだが、そこも私たち以外は、オージーでいっぱいだった。
この店は、カツや天ぷら、のり巻き、寿司、豚丼など、日本人が好んで食べるものばかりなのに、オージーでいっぱい。
店員さんに聞いてみたら、八割以上がオージーで、オージーは長期滞在が普通なので、二度、三度と来店してくれるそうだ。
写真は、宿泊した「ニセコ東山プリンスホテル」から眺めた、朝の風景だ。ちょっと雪がちらつく曇りっぽい空模様だったが、羊蹄山の雄姿が眼前に広がりました。
ちなみに、ニセコ東山プリンスホテルにある、「ニセコ東山温泉」の露天風呂は最高でした。松に積もっている雪、目の前にちらつく雪、雪と温泉は、黄金の組み合わせですなぁ。
旅行モードの私は、すっかり、リラックスしてしまい、露天風呂には、夜と朝、二度入らせていただきました。
もちろん、ちゃんと「視察」もしましたよ。ニセコ視察については、また、明日詳しくご報告します。
 

■ 海外からのお客様 パート2 "Visitor from Foreign Country" by Shin 2007年01月15日(月)

  129,672 byteオダジーの1月13日の日記の中で出てきていたオーストラリア人が今日、またランチを食べに来てくれた。

実に今回で3回目のご来店だったので、記念に写真を一緒に撮らせてもらった。

名前は「マシュー」さん。
富良野には初めて来たそうだ。

昨日、新雪を滑っている途中に転んで左ひざを痛めてしまったそうで今日は、お休みしたらしい。

今まで、世界中のいわゆる「評判のいい」スキー場に行ってスノーボードをして来たそうだが、「富良野の雪は世界一だ!」と言っていました。
実は以前、話をしたオーストラリア人の方も同じ事を言っていた。

自分の事ではないのに、なんか嬉しい気分だ。

富良野にはあと3日いるそうだ。
富良野の皆さん、もし、見かけたら何でも良いので声を掛けてあげてください。

Hi, Matthew! Thanks for visiting "Forum Furano" many times while your stay in Furano. It was pleasure serving and talking with you. I hope you enjoyed your stay this time. I wish you all the best and success in 2007, and I hope to see you again in near future here in Furano. Take care!
 

■ 石井彰さんとのフォークソング対決! byオダジー 2007年01月14日(日)

  90,928 byte何回か、ワイワイ日記にも書きましたが、ひょんなことから、私と石井彰さんが「フォークソング対決」をする“ハメ”になりました。
石井さんは、現在「日曜喫茶室」(NHK・FM)の構成、「永六輔の誰かとどこかで」(TBSラジオ)の演出を担当しています。ラジオ放送に関しては、まったくのプロです。繰返します、完璧なプロです。しかも、今年、年賀状をいただきましたが、こんなことが書かれていました。
『昨年は、私が構成に参加したラジオ番組「命が終わるとき あなたは・・・記者が見た人工呼吸器取り外し事件」(北日本放送)が民間放送連盟賞ラジオ報道部門優秀賞、「僕たちの高田渡」(ニッポン放送ネットワーク)が、ギャラクシー賞優秀賞を受賞しました。ありがとうございました。』
さらに、こちらは手書きで、『暮れには、素敵な物を、たくさんありがとうございました。でも・・・・勝負に手心は加えませんので。再会を楽しみに!!』
私の悪いところである、優柔不断な性格が、ここでも事態を深刻化させてしまった。いくら酔っていたとはいえ、はっきり、「勝負なんて、無理!」と、声高らかに言うべきでした。あの温和な人柄の石井さんが「勝負!」なんて、声を張り上げたのは、もしかしたら、石井さんのプロとしての誇りに対して、いくら酔った勢いとはいえ、「カチン」とくることを私が言ってしまったのかもしれない。
考えれば、考えるほど、疑心暗鬼になってくる。今更、やめるわけにはいかない雰囲気だ。
決戦の日は、2月3日(土)。容赦なく日程は、決められた。
もう、半月しかない。先にも書きましたが、私の唯一の拠り所は、二歳年上ということです。どんな業界でも、どんな社会でも、言ってみれば縦社会です。年齢的には、一応年上の私に対して、口では「手心を加えない」と言ったって、あの温和で、紳士的な石井さんが、「配慮」しないわけがありません。第一、プロの石井さんが、“ド”シロウトの私に勝ったって、なんの自慢にもなりません。むしろ、私に花を持たすことで、石井さんの“株”は、さらに上がるはずです。
だいぶ、心が落ち着いてきました。勝負と言われるから、ビビるだけで、私は、私のスタンスで自分らしく、虚心坦懐に、大好きだったフォークソングを楽しめば良いのだ。
とりあえず、惠ちゃんが持っていた「青春のうた」全25巻をお借りすることができた。まず、ここから何曲か選び、足りないものは買い揃えようと思っています。
ちなみに、勝負の内容は、15人のフォークシンガーを選び、お互いにその人たちのこれぞと思う一曲を選らぶ。その人や曲について、お互いが選んだ理由や熱い思いを話す。それを聞いたリスナー(審査員)が、どちらの曲と話が良かったかを採点する。だいたい、こんな感じになると思う。
現在の心境は、勝とうなんて気は微塵もありません。ただ、私なりにベストが尽くせれば、それで良いと思っています。勝負より、石井さんと一緒に番組に出られるだけで、幸せです。(小田島は、そんな謙虚な奴ではない。不遜にも、勝つ気でいるはずだ、と聞こえてきそうでは、ありますが・・・)
 

■ 奇跡に近い ( !? ) by しん 2007年01月14日(日)

  105,936 byteご存知の方もいると思いますが、
うちには猫が4匹います。

猫は気ままな動物なので、
なかなか飼い主が
「4匹いっぺんに写真を撮りたいな」と
思っても、思うように
撮らしてくれません。

んっ、がっ! しかーし!!

日ごろの行いが良いからなのか、
奇跡が起きました。

<------- その写真がこちら。

どうですか!?

たぶん、盛り上がっているのは、
僕だけかもしれませんが、
猫を飼っている人ならわかるはず、
この気持ち!?

スゴイ! でしょ!(?)

上から順に、

クミン (ソマリ、メス・1歳)

ギンタ (雑種、オス・8ヶ月)

タフィー (雑種、オス・6ヶ月)

チャー (なんちゃってノルウィージャン
      フォレストキャット、オス・7歳)

時に「うざい」事もありますが、
にぎやかで楽しい我が家です。
 

■ フォーラムフラノの英語パンフレット byオダジー 2007年01月13日(土)

  86,457 byte一昨日の夜、フォーラムフラノでビーフシチューセットを食べてくれたオーストラリアの人が、訪ねてきた。
しんちゃんを見つけるなり、話しかけてきた。富良野のスポーツ店に行きたいのだが、そこの場所と営業時間を教えてくれとのことだった。
そのすぐ後に、別のオーストラリアのご夫婦も来店したので、しんちゃんはそちらを対応し、私がスポーツ店に電話をして、聞くことにした。
しんちゃんしか英語が話せないのに、同時に二組の外国人は、ちょっと困る。
ちょうど、私が街に行く用事があったので、車でスポーツ店まで、送っていくことにした。同乗すると、何か話しかけてきたが、私には理解できなかった。残念である。今までも、何回も英会話の勉強には挑戦している。その都度、挫折している。それは、結局あまり必要ないからだ。たまに行く海外旅行なんて、身振り手振りと勘の良さで、それぼと困ったことはない(負け惜しみかっ!)。
しかし、いよいよ今回は必要だ。直接仕事に必要なのだ。なんでもかんでも、しんちゃんに任せればよいという問題ではない。
実は、今、こっそり英会話を習う準備をしている。インターネットを使った、新しいレッスンの方法で、評判が良いらしい。
「六十の手習い」ならぬ、五十の手習いで頑張ろうと思っている。今回は、もしかしたらいけるかもと、期待している。何故なら、すぐに習った英語が使えるからだ。
さて、どうなることやら・・・。
写真は、外国人向けのフォーラムフラノのパンフレットです。私と高橋デザイナー、そしてしんちゃんとの合作です。これからも、外国人向けの説明書、ポップ、そして少し時間はかかるが、ガイドブックも作ろうと思っている。すでに、色々なアイデアは浮かんでいる。
 

■ ギネス・サージャー byオダジー 2007年01月12日(金)

  44,275 byteフォーラムフラノがおすすめするビール「ギネス・サージャー」をご紹介します。
ギネス(Guinness & Co.)は、1756年創業のビール醸造会社。1759年以来、アイルランドはダブリンのセント・ジェームズ・ゲート醸造所において「ギネスビール」を生産している。
ギネスビールは、エールタイプの一形態で、「スタウト」に属する。ロースト豊かな香りと苦みは、黒ビールの名品中の名品といわれ、世界のスタウトビールをリードしている。
写真に写っているのが、「ギネス・サージャー」です。本来は一体となる装置ですが、フォーラムフラノでは場所の関係から、別々に置いている。グラスが載っている装置の「SURGER」と書かれているボタンを押すと、超音波が出て、なんと! きめ細かでクリーミーな泡が出来る。
私も試す前は、半信半疑だったし、いまだに超音波で、なんで泡が出来るのか、理解できないが、とにかく、きめ細かでクリーミーな泡のギネスビールは、うまいのだ。
私が今回ギネスビールにこだわったのには、理由がある。それは、私の友人である、ニューヨーク在住のメディカルイラストレーター・TOMO NARASHIMAさんのことがあったからだ。TOMOさんは、ギネスビールが大好きで、私がニューヨークにお邪魔した時にも、ギネスが美味しいバーに連れて行ってくれた。
TOMOさんは、ギネスビールの素晴らしさを何回も話してくれたので、私の頭の中は、ビールと言えばギネスが浮かぶまでになってしまった。
たまたま、この「ギネス・サージャー」があることを知り、是非にと思い、手に入れた。
ちなみに、ギネス記録、ギネスブックのギネスは、このビールのギネス社が始めたそうです。
 

■ じいちゃんの額に、ジョン・コルトレーン byオダジー 2007年01月11日(木)

  32,384 byteここ何日か、じいちゃん(私の父)のことを書いている。昨日の夜、双子の息子が東京に戻る送別会をフォーラムフラノで盛大に開催した。
じいちゃんも、私が頼んでいたレコードジャケット用の額を持って、来てくれた。
じいちゃんは、送別会の主賓だ。ある時、しみじみと私に向かって、こう言ったことがある。「忠弘(私の名前)、子供たちは立派になったなぁ。親がいなくても、子供は育つんだなぁ」と。
私は、「親(私)は、ちゃんといたし、子供たちにだって、私なりにきちんと教育したよ」と、心の中でツッコミを入れたけど、口では黙っていました。
私の子供三人は、生まれたときから、じいちゃん、ばあちゃんに、世話になっている。住んでいる家が、最初は一緒で、その後も道一本隔てただけの近さで、大きくなった。
私たちは、土・日・祝日、夏休み、正月が忙しい仕事なので、子供たちと一緒に、海に行ったり、キャンプをしたり、遊園地に行ったり出来なかった。
その代わり、じいちゃん、ばあちゃんが、連れて行ってくれた。じいちゃんにしてみれば、親ではなくて、自分たちが育てたという思いが強くあったのだと思う。それは、それで、有難いと思う。
私は、子供たちに、口を酸っぱくして言っている。じいちゃん、ばあちゃんを大切にしないと駄目だぞっ、と。子供たちは、それを素直に実践してくれている。今回の帰郷も、そのお陰で、じいちゃん、ばあちゃんから、いっぱい「お年玉」を貰っていた。
一挙両得とは、このことだ。
じいちゃんが作ってくれた額に、早速ジョン・コルトレーンのレコードを入れてみた。じいちゃんとコルトレーン、どちらも、私の恩人なのだ。
 

■ 富良野は大雪(おおゆき) byオダジー 2007年01月10日(水)

  49,110 byte昨日から、今日の朝にかけて、けっこうな量の雪が降った。朝、フォーラムフラノも雪だらけで、まず、長靴に履き替え、手袋をはいて(はめてではない。富良野では手袋ははくです)、雪かき道具で、せっせと雪をどけた。
写真は、いつも使っている雪かきの道具だ。真ん中に「?」が写っていると思います。これは、「かけや」です。かけやは、【掛け矢・掛矢】で、樫(かし)などの堅木で作った大きな槌(つち)。くい打ちや扉を打ち破るのに用いるものです。
私は、かけやをベランダの屋根にへばりついた氷を割るために使っています。
屋根は部屋の暖かい空気が降ってくる雪をとかし、水状にしますが、軒先の上の屋根は部屋から出っ張っているので暖かい空気がないので、そこが凍ってしまう。
それを、かけやでたたいて割るのです。金属の槌(つち)だと、屋根を壊す恐れがあるので、木で出来たかけやを使うのです。
氷を割るのは大変だけれど、実は、結構「快感」がある。雪かきもそうだけれど、やればやるほど雪がなくなってきれいになるのは、辛いけど、快感でもあります。
町内に何人かは、「雪かき魔」(失礼!)がいます。朝早くから、雪かきの音が聞こえます。私が起きて出勤するときには、そこのお宅の前は、雪がなくすっきりしています。
私は、雪だらけの玄関の雪をかきわけ、車庫に向かいます。まだ、「雪かき魔」の人がいたら大変だ。目を合わさないように、さも忙しいという振りをしながら、足早に去って車に乗る。
家のまわりの雪かきは、私の父がやってくれる。椅子は作らすは、雪かきはさせるはで、はた目から見れば、こき使っていると思われるかもしれませんが、私は、父から「生きがい」を奪うのは、良くないと思っています。
勿論、感謝の気持ちは、ちゃんと持っていますよ。
 

■ じいちゃんの椅子 byオダジー 2007年01月09日(火)

  31,678 byte今年84歳になる、私の父が作った椅子です。私の店のフォーラムフラノで使っています。テーブルも父が作ってくれました。
昔、私が小学生か中学生ぐらいの頃、父のやっていた建具屋で、学校の椅子を作っていたことがあった。およそ、40年前のことだ。今は、合板とパイプで作られているのがほとんどだと思う。その時のことをおぼえていて、同じように作ったものだ。
今売っている既製品の椅子のように、デザインも、機能性も、スマートではないけれど、手作りの温かさが伝わってくる。
建具屋としては、もうやっていないが、工場はまだ稼動できる状態なので、ちょこちょこ、色々なものを頼んでいる。
自分の親を自慢するのも、なんだが、本当にすごいと思う。一度身に付いた職人技は、どんなに歳をとっても、活かせるものなのだ。
今は、古いLPジャケットを入れる額を作ってもらっている。出来たら、ジャズのLPを店内に飾ろうと思っている。
写真のグリーンの座布団と背もたれについているカバーは、富良野のフトン屋さんに、特注で作ってもらった。じいちゃんの椅子と、とても似合っている。
富良野における、うれしい合作なのだ。
 

■ 成人式 byオダジー 2007年01月08日(月)

  51,439 byte今日は、成人式ですね。私の双子の息子も今年成人式を迎えた。過去形になっているのは、富良野の成人式は昨日、1月7日に行われたからです。息子たちは2月生まれなので、昨日はまだ19歳で、私達の時代とは違うようなので、調べてみた。
『成人式の参加対象となる成人は、前年の「成人の日」の翌日からその年の「成人の日」までに誕生日を迎える人を祝う日となっている。しかし、最近では前年の4月2日からその年の4月1日に成人する人を式典参加の対象にする、いわゆる学齢方式が定着するようになってる。』
なるほど、こういうことなのか。私達の時は今と違って、私も早生まれなので、20歳になってからの、次の年に成人式を迎えたのだ。
写真は、私が20歳の時に住んでいた新宿区から、成人を迎えた人に送られてきた国語辞典です。発行日を見ると、昭和49年1月1日となっていた。私は昭和28年3月生まれだから、昔の成人対象者にちょうど合致する。
どういう訳か、この国語辞典はなくさないで、今でも持っているし、使っている。
不思議と言えば、不思議な気がします。
ちなみに、成人式の日にちは、1月15日から、ハッピーマンデー制度導入に伴い、2000年から1月第2月曜日(その年の1月8日から14日までのうち月曜日に該当する日)に変更された。そうです。
 

■ 東京経済大学の加田先輩 byオダジー 2007年01月07日(日)

  74,084 byte今年の年賀状に、オダジーのワイワイ日記のことを書いたら、私が大学1年のとき一緒に下宿していた、我が母校「東京経済大学」の一年先輩の加田さんから、一昨日メールが届いた。
そのメールは、「はるか何百キロかの南の地、伊豆の国川奈から発信しております。こちらは、現在の気温14度、コートなしの生活がつづいております。」から始まり、近況が続いていましたが、その後フォークソングの西岡たかしさんのことが書かれていました。何か、懐かしいのと、下宿当時のことがパァ〜と、浮かんできて嬉しくなりました。
加田さんの了解を得て、その部分のメールを下記に転載します。

私の今年の正月は、下田の姉貴の家に上がりこんで、姪の久美子と徹夜、午前12時からの「フォークの達人 西岡たかし」を見ながら、フォークの神様は、岡林でも、高石でもなく、俺は西岡たかしである。と思った。
それは、「殺してしまおう」や「血まみれの鳩」などにみられる、体制に対してものすごいエネルギーを要して「言葉」で批判してしている様子が改めて確認ができたからだ。また昨日は山崎ハコが登場し、「織江の唄」など青春の門の世界が展開された。やはりフォークはすばらしい。「今こそ必要な音楽」という感じがしている。そして「言葉」の大切さをあらためて実感した。今の日本は何か間違ってはいないだろうか。
西岡たかしは言う

血まみれの 小さな鳩が
私の窓辺で 死んでしまった今
「彼を葬ることより 今のボクらの世界を
みつめる事の方が!!
偽りの平和の中で あきらめる暮らすよりも
真実(まこと)の平和 創ろう!!
それが 小さな 鳩のためにも!!」
「血まみれの鳩」より

雲にかくれた小さな星は
これが日本だ私の国だ
若い力を体に感じて
みんなで歩こう長い道だが
一つの道を力のかぎり
明日の世界をさがしに行こう
「遠い世界に」より

2007年1月4日
伊豆の国川奈のワンちゃんこと
加田周一でした

私も、西岡たかしがリーダーのグループ「五つの赤い風船」は大好きで、特に曲で好きなのは、加田さんも詩を載せてる「血まみれの鳩」「遠い世界に」そして、「これがボクらの道なのか」「二人は」「ささ舟」などです。おそらく、レコードを聞き直すと、アッこれも好きだった、あれも好きだったになると思う。レコードも何枚か持っていたと思うけれど、確実に持っていたのはURCレーベルの「高田渡・五つの赤い風船」、他に「五つの赤い風船 フォーク・アルバム/第1集」と、「五つの赤い風船 フォーク・アルバム/第2集」は、聞いた曲がいっぱいあるので、持っていたか、貸してもらって聞いたかだと思う。
ついでに、私と加田さんが住んでいた下宿、引地家を少しご紹介します。加田さんに引地荘とか引地アパートとか、正式な名前はなかったですかと聞いたら、ないとのことで、私達は「引地家の人々」ということだったらしい。
場所は国分寺市西恋ヶ窪というところで、JRの駅は国分寺、今は西国分寺駅が出来たので、そこが近いと思う。西武国分寺線に恋ヶ窪駅がありましたが、あまり使った記憶がありません。
加田さんの記憶によると、下宿代が3畳一間で13,500円(朝・夕2食付)で、学校の生協のカレーが55円だったそうです。
昔のことを思い出すと、きりがないので、後はまた、別の機会にします。
 

■ アマリリス成長日記 : 1日目 by しん 2007年01月04日(木)

  140,628 byte明けましておめでとうございます。

2007年・初”ワイワイ”でございます。

今年も皆様、よろしくお願いいたします!

さて、新年、一発目の「ワイワイ」は .....

僕の大好きな花の種類のひとつ、
「アマリリス」を紹介したいと思います。

僕は以前、オランダに住んでいた時に
衝撃を受けた、かっこいいお花です。

アマリリスは元々中南米原産の球根性・多年草の植物ですが、近年では様々な品種改良され、世界の園芸種の一大産地はオランダです。日本で販売されているアマリリスのほとんどは
オランダからの輸入モノです。

そして、このアマリリスは東京に住む僕の叔父さんが「お歳暮」で送ってくれたものです。
毎年、送ってくれるので年末になると、”ワクワク”してしまいます。

ことしのアマリリスの品種名は「ルッドウィッヒダズラ」というかっこいい名前です。

何色の花が咲くかは追々、このワイワイ日記で成長過程を報告しますので、お楽しみに!!

ちなみに、このアマリリスは「フォーラムフラノ」で育てていますので、本物を見てみたい方は、
ぜひお立ち寄り下さい。
 

■ グローヴァー・ワシントンJr.「WINELIGHT」 byオダジー 2007年01月04日(木)

  43,288 byte昨日はフォーラムフラノに沢山のお客さんが来てくれて、忙しかった。外国の方も二組来てくれ、しんちゃんが色々質問に答えていた。富良野には英語を話せる人がまだまだ少ないので、しんちゃんのように英語を話せる人がいると、ここぞとばかりに、何でも聞いてくる感じがする。
昨日のオーストラリアの方は、送ったスキーが富良野のどこに届いているのか分からず、しんちゃんが電話で調べてあげた。清算の時、そのお礼だと思うが、チップを渡された。しんちゃんは、「日本では、チップは必要ないですよ」と答えたら、代わりにかさいまりさんの絵本を買ってくれた。なんか、正月から心が温まる、うれしいシーンでした。こんなことがあると、フォーラムフラノをオープンして良かったなぁと思う。
もうひとつ昨日うれしかったこと。日本人のカップルの方に、帰り際に店内で流れていた音楽について聞かれた。たまたま私がサックスのグローヴァー・ワシントンJr.の「WINELIGHT」(1980年録音)をかけていたのだが、その人が懐かしがって、「この音楽、誰のCDですか?」と、聞いてきたのだ。私はこの方の気持ちが良く分かります。自分が昔好きで聞いていたジャズが、意外な場所で聞けたら、確かめたくなるもの。
まぁ、店を開けているということは、色々な方と出会えるということなので、気を抜かず、お客さんに喜んでもらえる店作りをこれからも目指して頑張りますと、新年らしい「決意」をした1月3日でした。
 

■ フライ・ウィズ・ザ・ウィンド byオダジー 2007年01月03日(水)

  51,377 byte今日の富良野は晴れ! です。富良野スキー場の左側に見える「芦別岳」がものすごく綺麗なので写真を撮ってご紹介しようと思いましたが、手元にカメラがなかった。まぁ、芦別岳の雄姿は、これからも写真に撮れるチャンスは沢山あると思うので、芦別岳は後日にします。
フッと、「正月に聞きたいジャズレコード」のフレーズが浮かんで、そうだ、ジャズをご紹介しようということで、ピアニストであるマッコイタイナーの「Fly With The Wind」である。
これは、私が大好きな一枚です。ことあるごとに、レコードをひっぱりだして聞いています。1976年録音なので、もしかしたらリアルタイムでこのレコードを買ったのかもしれない。この頃はずっぽりジャズに、ジョン・コルトレーンに、のめり込んでいた時期です。幸福な時代でした。コルトレーンはもうすでに1967年に亡くなっていましたが、コルトレーンと黄金のカルテットを組んでいたマッコイの「新作」をリアルタイムで聞けるなんて・・・。
それがどうした、という人がいると思いますが、いわゆるジャズの名盤といわれているレコードは、ほとんどが1950年代の後半から1960年代の中頃までに集中しています。つまり、私がジャズと出会った頃(1970年頃)は、もうジャズは「歴史」になっていたのです。
ある意味、歴史をたどる形でジャズを聞いていたのです。今考えると、歴史を聞きながら、
このレコード「Fly With The Wind」のように、歴史をそのまま引き継いだ新しい音楽も同時に聞いていたんですね。
ああ、段々思い出してきました。その頃盛んに「ポスト・コルトレーン」ということが言われていました。コルトレーンのやり方、精神性を継承する若いミュージシャンたちや、このレコードのマッコイタイナーのようにコルトレーンに傾倒していたミュージシャンが作った音楽を、そう呼んでいたような気がします。私も、名前をあげたらきりがないほど好きな人がいます。
話がだいぶ横道にそれました。「Fly With The Wind」を聞くと、壮大な気持ちになります。正月にもってこいだと思います。新しい年を迎えて、勇気がわいてきます。マッコイ以外のメンバーもすごく、ベースのロン・カーター、フルートのヒューバート・ローズ、そしてドラムのビリー・コブハム。ここでのビリー・コブハムは、なんなんでしょうか。私が一時期ドラムのレコードを買い集めましたが、このビリー・コブハムのドラムを聞いたからかもしれません。それほど、素晴らしいです。
 

■ 暖かい正月です。 byオダジー 2007年01月02日(火)

  32,842 byte昨日も、今日も、暖かい富良野です。昨日から今日にかけてちょっと雪は降りましたが、穏やかな正月です。
写真は、昨日、旭川空港まで息子たちを迎えに行った時に、撮ったものです。
この撮影ポイントは、上富良野で、通称「ジェットコースターの路」といわれているところです。ここから見渡す十勝岳連峰は、いつ見ても雄大で、気持ちが大きくなります。いかにも、北海道、でっかいどう! です。
富良野も「初売り」が始まりましたが、元旦から開けているスーパーもあり、わたし的には、いつもと何も変わらない感じです。
でも、やはり新しい年になって、「今年こそ」と、ひそかに心に思うことはあります。
今年こそのプロジェクトもありますので、このワイワイ日記で、リアルタイムに紹介したいと思います。
 

■ 明けましておめでとうございます。 byオダジー 2007年01月01日(月)

  36,719 byte明けましておめでとうございます。今年も、「オダジーのワイワイ日記」をよろしくお願いします。
昨年の11月初旬から、どのくらい更新できるか自信のないまま、始めたワイワイ日記ですが、けっこういっぱい書けたので良かったです。今年も「ライフワーク」のひとつとして、なるべく毎日、コツコツ書いていこうと思っています。息切れしなければ良いのですが・・・。
昨日の夜は、私の両親の家(自宅の目の前)で年を越しました。父82才、母78才、共にバリバリ元気です。
テーブルの上には、母さんの年越し料理の定番「茶碗蒸し」(写真)が、やはりありました。私は子供の頃から大好きで、いっぺんに2、3食べていました。
茶碗蒸しが出てくるたびに思い出すことがあります。私が大学生の頃で、正月に帰れなくて、ちょっと時期が外れて帰省したことがありました。その時にも、母さんが茶碗蒸しを作って、待っていてくれました。
なんと、その茶碗蒸しは、丼(どんぶり)に入っていました。親子丼とかカツ丼に使うふた付きの、あのドンブリです。
それは、私にとって、ひとつの笑い話でした。ちょうど今日、東京の大学に行っている双子の息子が帰省しますが、その時の母さんの気持ちがよく分かるようになりました。
私は、子供たちに、どんな「ドンブリの茶碗蒸し」を作ってやれるのでしょうか? 母さんのようには、いかないような気がします。
 


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