■ 大晦日、午後3時25分 by富良野のオダジー 2010年12月31日(金)

  46,231 byte朝から割りとおだやかな天気だったが、ちょっと風が出てきた。
ここ2、3日、雪もあまり降らず、ありがたい年末になった。天気予報を見ると、年明け4日まで、雪マークがない。
年末年始に、雪かきのないのは、ホントにありがたい。
札幌と東京から、息子たちも帰ってきて、楽しい年越しになりそうだ。
フォーラムフラノは、5時まで営業なので、私たちはまだフォーラムフラノにいる。料理は、母が作ってくれている。これは、毎年のことだが、ありがたい。
食べるのは主に私の家族なので、私たちのために作っている感じだ。
あ〜、ありがたい。ありがたい。
今年も、感謝のうちに、暮れていく。
写真は、フォーラムフラノの2階の屋根から撮ったもの。
大晦日、午後3時25分。こんな感じです。
来年もよろしくお願いします。
オダジー
 

■ 紀野一義著『「法華経」を読む』 by富良野のオダジー 2010年12月30日(木)

  35,889 byte日蓮宗のお寺に関わる仕事をしているので、私なりに日蓮宗について、色々調べていた。
そうだ、日蓮宗と言えば、法華経だ、法華経の入門書みたいな本を読もうと、アマゾンへ行った。
そこで出てきたのが、紀野一義著『「法華経」を読む』だった。早速、買ってしまった。
実は、私が最初に法華経に触れたのも紀野一義が書いた入門書だった。その印象が強く、もう一度読もうと思って、探してみたが、見つからなかった。
読んだのは、大学4年生の時だったと思うから、昭和50年(1975年)頃だ。タイトルは「法華経入門」だったと思うが、ネットで調べ切れなかった。(勘違いかもしれない)
紀野一義の本は、他にも何冊か読んでいる。随分前に、ワイワイ日記でも、紹介したことがあるが、住職にお願いして、「法華経の風光」をテキストに、勉強会をしていたこともある。これも30年前の話だ。
私にとって、法華経と日蓮宗の“ご縁”は、かなり深いと思う。その最初のご縁をいただいたのが、紀野一義なのだ。
『「法華経」を読む』のことである。
まだ、途中までしか読んでないが、「自未得度、先度侘」が出てきた。「じみとくど、せんどた」と読む。
道元禅師の言葉である。
「自分を救えなくても、他人を救うことはできる」という意味だ。(解説はもっと深く説いているが・・・)
この言葉を憶えていて、自分でびっくりした。不思議な気がした。
私に、何かを知らせている感じがした。今は、それがなんなのかは分からない。
ついでに、妙に憶えている、「只管打坐(しかんたざ)」を調べてみた。なんと、これも偶然だが、道元禅師の言葉だった。
「ただひたすらに坐る」という意味だが、最初に聞いたときから、カッコイイ言葉だと思っていた。
30年以上経って、また、日蓮宗や法華経とグッと近づけたことは、ありがたい縁だと思っている。
 

■ 普通の風景 by富良野のオダジー 2010年12月29日(水)

  34,494 byteどんより曇っている。
年末ではあるが、29日は、ちょっと中途半端な日だ。
30日とか、31日だと、グッと年末の感じがする。
普通の会社は、今日から年末の休みに入るようだが、私は相変わらずのボーダレスだ。
心に余裕がないから、休みだったとしても、何かしらやることになる。
私の「バチの思想」とも関係あるが、うまくいってようが、行き詰まっていようが、とくかく、やり続けること。
“楽(らく)”をしようとしたり、嫌なことから逃げようとしたり、心をゆるめると、バチが当たるような気がする。
今の状況も、ある意味バチが当たっているような感じだけれど、もう少し頑張れそうなので、バチはまだ当たっていないと思うことにしている。
自分が、曲がりなりにも耐えられるうちは、バチに当たっていないと決めている。
どこまで、耐えられるか、バチとの戦いだ。
少なくても、分かりやすい形で、バチに当たりたくない。
他人がどう言おうが、どうせバチに当たるのなら、「こんなに頑張ったのに・・・」と、くやしさの中で、当たりたい。
まあ、バチと思わせといて、実は、私が人間として成長するための試練じゃないか、とも思ってもいる。(悲観主義者なのか、楽観主義者なのか・・・)
沢山「擬似バチ」に当たって、それを乗り越えて行くイメージがいいね。
本当のバチに当たらないようにするには、やはり、目の前にある、やらなければならないことを、やり続けなければならないのだ。(なんか、堂々巡りになるな)
写真は、今朝撮ったもの
天気も、季節も、イメージも、なんの要素もない、普通の風景。
なんとなく、なにもない普通の風景を撮りたかった、中途半端な年末29日。
 

■ 山下洋輔トリオ「モントルー・アフター・グロウ」 by富良野のオダジー 2010年12月27日(月)

  47,301 byte久し振りの青空。
スキー帰りの友人が、「今シーズン、初めての快晴だった」と、喜んでいた。
今日なら、十勝岳も、大雪山も、バッチリ、クッキリ見えただろう。
まあ、それにしても、スキー場の降雪が、年末年始に間に合って良かった。
今朝も、山下洋輔トリオを聞いた。「モントルー・アフター・グロウ」だ。
連日の、フリージャズは、滅多に無い。というか、初めてかも。(これは、オーバーかも)
レコードなので、A面とB面だが、それぞれ一曲だけの収録。
A面の曲「ゴースト」は、私の好きなアルバート・アイラー(サックス)の曲だ。
しかし、30年以上前に買ったとき、おそらく、一度か二度聞いただけだな。まったく、憶えていない。そのまま、我がコレクションとして、ずっと聞かれるのを待っていた訳だ。
待たせた甲斐はあったね。
B面は、山下洋輔作曲の「バンスリカーナ」。このテーマのメロディが素晴らしい!
この曲はなんとなく憶えているが、このレコードからなのか、他で聞いたのか。
いいメロディを聞くと、昔から知っていたような気がするから、そうなのかもしれない。
写真は、いつもの自宅の近くの空知川の堤防からのもの。(の、だらけだ。のって便利だね)
 

■ ちょっと曇っているが、スキー日和 by富良野のオダジー 2010年12月26日(日)

  44,966 byte昼には少し陽も出てきた。
雪も、風も、寒さもない、絶好のスキー日和になった。
フォーラムフラノにも、スキー客の方が来てくれる。今来店してくれた4人グループは、昨日の夕食にも来てくれた。
ありがたい!
富良野スキー場情報を見ると、全面オープンではないが、「北の峰ゾーン」も滑られるようだ。
フォーラムフラノとしては、「富良野ゾーン」と「北の峰ゾーン」の両方のゾーンがオープンしてくれた方が、やはり、賑わう。
年末年始、沢山のスキー客の方に来て欲しい。
雪かきは大変だったけれど、先日の大雪のお陰で、スキー場の状態はすごく良くなったみたいだ。
今朝も、ちょっと早めに出勤した。
ストーブに薪を入れて燃やし、コーヒーを飲みながら、ピアノの山下洋輔トリオの「キアズマ」を聞いた。
12月21日ワイワイ日記にも書いたが、このところ山下洋輔づいている。
うれしいことに、山下洋輔トリオの代表作である、このレコードを持っているのを忘れていた。
もう一枚あるレコードを探していたら、出てきた。
“新譜”のような気分で、聞いた。
これがイイ!
だから、レコード、CDは買い続けなくてはならない。いつ、その良さに出会うか分からないのだ。
買ったときは、録音が1975年とあるから、その辺りだと思う。大学を卒業して、2、3年の頃だ。
もう一枚も、同じ時期に買っている。どうして、あまり聞かないことを覚悟で、2枚も買ったかというと、理由は、はっきり分かっている。
それは、山下洋輔というより、アルト・サックスの坂田明だ。坂田明を聞きたかったのだ。
坂田明をナマで初めて聞いたのは、東京の西荻窪にあるライブハウス「アケタの店」だ。
いま考えると、どうして、アケタの店に行ったのか、分からない。私的には、“運命”としか思えない。導かれるように、店に入った。
それまでは、全然、フリージャズが理解できなかった。理論とか、頭の中では、多少理解していたのかもしれないが、それは音楽を楽しむというより、お勉強の範疇だった。
アケタの店へは、坂田明を狙って行ったのか、行ったら偶然坂田明だったかも憶えていない。
いや〜、驚いた。
坂田明の圧倒的な存在感。
私は初めて、ジャズの意味、音楽の意味が少し分かった。それは、ジャズでも、音楽でも、メロディでも、フレーズでも、なんでもない、人間・坂田明そのものが、ジャズであり、音楽だと、実感出来たからだ。
人間の持っているエネルギーの凄さに感動したのだ。たまたま、坂田明はアルト・サックスだっただけで、そんなことはどうでもよい。
私の同世代の隣のお客なんか、アイスコーヒーを飲んでいたストローで、坂田明と一緒に吹いていた。さすがに、私はそこまで“垢抜けて”いなかったが、聞いていたというより、全身に力を込めて、一緒に演奏していた気分になっていたのは間違いない。
この経験のお陰で、坂田明のお陰で、すべての音楽に「偏見」がなくなった。
この経験以降、ジャズ関して言えば、フリージャズも、当時流行りだしていた電子楽器を使ったフュージョン(当時は、クロスオーバーと呼んでいた)も、演歌も、歌謡曲も、矢沢永吉も、良いと思ったら、偏見なしに、素直に聞けるようになった。
続きは、明日!
 

■ 生まれて、初めて by富良野のオダジー 2010年12月25日(土)

  51,089 byte夕方前、会社の用事を足しに、妻と一緒に出かけた。
用事が終わって戻ろうとした時、私の頭に「そうだ、タコちゃんの店に年末のご挨拶に寄っていこう」と、浮かんだ。
店の近くだったこともあるが、浮かんだことはなるべく実行するようにしているので、店に向かった。
こういう時は、特に安全運転を心がける。
と、いうのは、意識しないで浮かんだことは、もしかして、何か“善”のシグナル(虫の知らせ?)かもしれないと思うからだ。
特別良い事が起こらなくても、そのまま、戻っていたら、事故に遭っていたとか・・・。
浮かんだことで、逆に事故にでもなったら、そう思ったことは無いが、“悪”のシグナルになってしまうので、超安全運転をするのだ。
事故も無く、無事にタコちゃんの店、おでんCafe「ひるの月(つき)」に着いた。
相変わらず、タコちゃんは、元気いっぱいだ。元気な人を見るのは、ホントに気持ちがいい。うれしくなる。
写真は店にあった「金のなる木」。
なんと!5円玉が、何個も葉の中にある。
金のなる木は、今までも見たことがあるが、こんなに大きい、しかも5円玉をいっぱいはめ込んだのを見るのは、生まれて初めてだ。
それを言うと、タコちゃんも、妻も「オーバーなっ!」と、笑っていた。
調べてみると、『カゲツ(花月)、科名:ベンケイソウ科。原産地は南アフリカの多肉植物。茎に5円玉をはめて、「金のなる木」のニックネームで市販されることもあります。』と出ていた。
う〜ん、5円玉は割りと一般的なことなのか。
でも、私は、生まれて初めて見たのだ。
ついでに、「生まれて初めて」つながりの話。
実は、私は漬物の「ニシン漬け」が大好きで、生まれてこのかた、ずっと食べてきた。キャベツも好きだが、それ以上にダイコンが好きだ。結果的に、先にダイコンが全部無くなり、残ったキャベツを後から食べることになる。
でも、ニシン漬けの味付けの主役である、ニシンを干して作った、身欠き(みがき)ニシンは、今まで食べたことがなかった。
2、3日前、なんか気が向いて、生まれて初めて、その身欠きニシンを食べた。
生まれて初めてのことって、けっこう、あるよね。ねっ。
仕事の途中ということもあって、おでん&ビールは我慢して、コーヒーと、南富良野のパン屋さん「Fortune Bagels」のベーグルを頂いた。
あ〜、美味しかった。
 

■ クリスマス by富良野のオダジー 2010年12月25日(土)

  28,730 byteクリスマスである。
富良野は雪がちらつく、ホワイトクリスマス。
昼過ぎに、友人宅に用事があって寄ったら、ケーキが出てきた。
「昨日のクリスマスケーキの余りで、申し訳ないけど・・・」と、奥さん。
「いや〜、昨日クリスマスケーキを食べてないので、うれしいです」と、私。
すると友人が、昨夜、クリスマスケーキが4つも集まって、人にあげたそうで、「お前にあげれば良かった」と、のたまう。(来年は、電話してね)
写真は今朝の出勤途中のもの。
もう雪が積もっているのに、何のためのハウスだろうと思って、撮影した。
近々、誰かに聞いてみようと思う。(知らないことが多いねぇ)
「バチの思想」のメモの続き。
●勝ち抜くための「教訓、知恵、思想」ではなく、負けても生きていける「教訓、知恵、思想」。
・長いものには、巻かれろ。
・とりあえず、金持ち、エライ人には頭をさげろ。
・負けるが勝ち。
・自分が誰かの役に立つポジション(居場所)を探せ。
・出る杭は打たれる。
・調子に乗るな(好事魔多し)。
・頭を下げるのは、タダ。
・すべてうまくいっている人を見たことがない。
子供の頃から、親に言われていたことを考えると、どうも勝ち抜くためのことではなく、負けることが前提のことが多いようだ。
これは、良かったと思っている。
だって、勝ち抜ける確率なんて、ホントに低いからだ。ほとんどの人間は、負けながら、生きていくことになる。
負けても生きていける、「教訓、知恵、思想」の方が必要なのだ。
逆に、それが徹底できると、勝ち抜けることも可能になるような気もする。そういう意味では、負けても、勝っても、どちらにも通用するものなのかもしれない。
 

■ ストーブ by富良野のオダジー 2010年12月23日(木)

  31,735 byteと、いうことで、ストーブに火をつけた。
まあ、炎は、見ていて飽きない。
見ているだけで、ゆったりした気分になれる。
「あっ、そうか!」
煙突掃除モードになったのは、この時間に浸りたかったからか。
そう言えば、ここ何年かは、この時期に、ストーブの炎を見ながら、コーヒーを飲みながら、ジャズを聞きながら、ボッーと外の雪景色を眺めていた。
色々ありながらも、開店前のほんの少しの間、至福の時間を過ごしていたのだ。
あ、良かった。
煙突掃除のお陰で、朝の楽しみが出来た。明日から、早起きをして、早めに、フォーラムフラノに来よう。
「バチの思想」の続きも少し。
バチの思想で言いたいことは、悪いことをしたからバチが当たるので、悪いことは止めましょう、という単純なことではない。
第一、何が悪いことかも分からないし、善悪の絶対的な基準がある訳でもない。いや、むしろ、見る側(立場)によって、善になったりも、悪になったりもする。
人のために良かれと思ってやったことが、結果として、悪くなるなんてことは、ザラにある。
ただ、個人的には、理屈や理論でもなく、他人にも言えないが、「それは、ダメでしょう」と思うことはある。
「それをやっちゃ、ダメでしょう」と。でも、そのことが世の中では、絶賛されることだってある。
繰り返しになるが、バチの思想は、とりあえず、個人的に考えることから始める。
他人がどう考えようが、世の中がどうであろうが、関係ない。
自分の相手は、あくまでも、「自分」であり、「お天道様」であり、「神様、仏様」なのだ。
まあ、少しずつ、少しずつ、進めましよう。
 

■ 煙突掃除 by富良野のオダジー 2010年12月23日(木)

  39,324 byte今朝も、そんなに激しくないが、雪が降っている。
ずっと気になっていた、フォーラムフラノのストーブ。何を気になっていたかというと、薪はけっこうあるし、寒い日もあったので、ストーブを燃やしたい。それには、煙突掃除をしなければならない。
煤(すす)が溜まっていることもあるが、夏に、煙突から鳥がおっこちてきて、ストーブの中でバタバタしていたことがあった。
もしかしたら、煙突の上のどこかで巣を作っているかもしれない。
ありがたいことに、今日の寝起きに、「煙突掃除をしょう!」という煙突掃除テンションが湧いてきた。(不思議だが、こういうことがたまにある。突然、テンションが上がるのだ)
早速、汚れても良い服に着替えて、煙突掃除の道具を持って、フォーラムフラノへ。
幸い、鳥の巣はなく、煤の量も少なかった。
 

■ 山下洋輔「ピアノ弾き即興人生」 by富良野のオダジー 2010年12月21日(火)

  43,666 byte今朝も少し雪が積もっていた。
たいしたことがないと、雪かきを始めたら、これがけっこう重い雪で、あ〜、疲れた。
自宅と工場のまわり、フォーラムフラノのテラス、除雪するところはふんだんにある。
もちろん、妻のほうが私より早く起きて、せっせと始めていた。
昨日の「他人は誤魔化せても、自分は誤魔化せない」のコメントである。
この言葉は単純に、他人は自分のすべてを見たり、知ったり出来ないが、自分は自分のことだから、自分のことはすべてお見通しだから、自分は誤魔化せない、という感じだと思う。
こんな当たり前のことと、「バチの思想」の接点はどこにあるのか。
次に続く言葉として、「お天道様が見ている」「神様、仏様が見ている」が出てくる。
つまり、仮に、自分を誤魔化したとしても、お天道様、神様、仏様は、誤魔化せない。つまり、他人も、自分も、誤魔化せても、悪いことをしたら、バチが当たってしまう。つまり(つまりが多い!)、悪いことや、間違ったことをしたら、素直に「ゴメンと、謝りましょう!」ということだ。
どんな言い訳をしても、自分は誤魔化せないし、誤魔化せたとしても、バチが当たる。
もう一歩進めると、実は、他人も誤魔化されたフリをしているだけかもしれないし、自分が自分を誤魔化していることに気付かないこともある。
それは、私も認める。
だから、バチが必要なのだ。
「あれっ、これって、バチが当たったのかもしれない。どのことだろう。あのことかなぁ、それとも、このことかなぁ・・・」が、大切なことなのだ。
いつも、バチのことを考えるのは、実は、自分のことを考えることなのだ。(今度は、なのだ、かっ)
つまり、バチの思想の根本は、あくまで個人的なことで、他人や世間の善悪基準やものの価値観ではなく、自分にとってバチが当たるか、どうか、なのだ。
今日は、ここまで!
山下洋輔著の「ピアノ弾き即興人生」を読んだ。
またしても、アマゾンにやられた。
アマゾンのおすすめのメールかなにかで、この本を紹介されたのだ。おそらく、アマゾンは私以外で一番私の嗜好性を知っている。
私がどんなことに興味があり、どんな性向があるか、すべて分かっている。その時々で私の興味は変わり、忘れてしまったことまで、アマゾンは忘れない。としたら、私以上に知っている可能性が高い。
今までも、かなりの確率で、アマゾンにやられている。
山下洋輔の本を読むのは、ホントに久し振りだった。
ちょっとネットを調べると、「ピアニストを笑え!」「ピアノ弾き翔んだ」「ピアノ弾きよじれ旅」「風雲ジャズ帖」などが読んだ気がする。1970年の終わりから1980年の初めに出版されたものだ。おそらく30年振りということになる。
あの頃を思い出すと、椎名誠、南伸坊、篠原勝之、伊丹十三、東海林さだおなどの名前が出てくる。「本の雑誌」「話の特集」だな、中心だったのは。
山下洋輔である。
なんか、やっぱり、うれしい。
昔から知っている、私より年上の方が、全然変わらず、むしろパワーアップして活躍しているのは、やっぱり、うれしいし、励みになる。
本を読みながら、聞きたくなったCDがいっぱいある。
何枚かは買ってみようと思う。
山下洋輔のアルバムはパッと思い出すだけだと、3枚しかもっていない。
ただ、「砂山」のB面の「うさぎのダンス」は大好きで、何年かに一度、定期的に聞きたくなる。
エネルギーの爆発とみなぎる緊張感。
聞き易いし、フリージャズの“意味”が、「なるほど!」と、理解できると思う。
 

■ バチの思想 by富良野のオダジー 2010年12月20日(月)

  17,661 byteちょっと雪が降ってきた。
フォーラムフラノの駐車場を照らすライト。
昨年もこんなような写真撮ったと思う。一年に一度は、撮りたくなるシチュエーションなのかもしれない。(何か撮らなくてはならないときの、苦し紛れ?)
「バチの思想」を書こうと思ってから、もう2、3年は経っているはずだ。
昨日の夜、フッと思い立った。
今までメモしてある言葉を紹介して、それにコメントをつけるワイワイ日記って、どうだろう、と。
書くことが無いとき(今日だが)、こういうときに、穴埋め的に書こう、と。
●今日の言葉
「他人は誤魔化せても、自分は誤魔化せない」
ああ、時間切れだ。
コメントは、明日以降に。
 

■ 麓郷の森 by富良野のオダジー 2010年12月19日(日)

  100,388 byte今朝の麓郷の森は、こんな感じだ。
やわらかい光が木々の間に射しこんでいた。
森の中は、雪一色になった。
 

■ 雪は一休みか by富良野のオダジー 2010年12月19日(日)

  33,548 byte今日は雪が降らなかった。
昨日の雪で、スキー場の状態はかなり良くなったと思う。スキー帰りにフォーラムフラノに寄ってくれたお客さんが、「新雪が最高だった」と言っていたそうだ。(妻情報)
スキー場のためには、雪は降って欲しいが、除雪は大変。毎年、今時期、板挟み?状態になっている。
写真は、麓郷市街の入り口。
今までも何回も撮っているが、今朝通りがかったら、林の間から太陽がのぞいていた。
写真は林と太陽のアングルを通り過ぎてからのもの。左側が真っ白になっているところが、太陽の光。
なんかいい感じだったので、戻らず、そのまま撮った。
この構図は、実は、30年ぐらい前に初めて撮った。昭和58年か、59年。
オフィスフラノを昭和58年に設立し、麓郷の森を昭和59年から始めている。その時期だったのは、間違いない。
なんで、言い切れるかというと、当時、北海タイムスの富良野支局長だった田中さんに、「風景写真は、こういうところを、こういう風に撮るといいよ」と、実際にこの場所で教えてもらったのを、ずっと憶えているからだ。
私は、曲がりなりにも、風景写真をそれなりに撮っているが、意識して風景写真を撮った最初の場所がここなのだ。
ここを通るたびに、思い出していたが、文章にするのは初めてだ。
今朝の太陽の神々(こうごう)しさが、そうさせたのかもしれない。
私は、色々な人に、色々なことを教えられて、今まで生きてこれたのだ。感謝、感謝です。
 

■ 富良野は大雪 by富良野のオダジー 2010年12月18日(土)

  54,972 byte今日の富良野は大雪。
朝から、みんなで除雪だ。
フォーラムフラノには、除雪車が来た。シーズン契約で、ある程度雪が積もった日に、朝、出動してくれる。もちろん、フォーラムフラノだけではなく、隣のお寿司屋さん、向かいのコミュニティセンターなど、ぐるっとまわっている。
今日みたいな日は、そこかしこに、色々な会社の除雪車が走っている。
まあ、おそらく、午前中には、富良野じゅうのお店の駐車場はきれいになっていると思う。
凄いね、機械の力(ちから)って。
でも、最近、ちょっと気が付いたのだが、機械を使えば、短時間で、除雪も、農業も、土木工事も、なんでも出来てしまう。
機械が無い時代であれば、すごく時間がかかったり、時間をかけても出来ないことがあったと思う。だけども、なんとか工夫してやっていたはずだ。
機械で便利になった分、どんな分野でも、なにごとでも、スピードアップし、結果として私たち人間が機械に追われるようになった。
機械が私たちを重労働から解放してくれ、“のんびり”“楽(らく)”に生活できれば良いのだが、むしろ急がされている。と、思う。
何をいいたいかと言うと、パソコンや携帯電話もそうだけど、便利になることと、幸せを感じることとは、リンクしていないということだ。
便利になる→スピードアップする→いつも何かに追われる→ゆとりの無い生活になる
ん?
だから、どうなんだ!
まあ、来年一年かけて、ゆとりのある生活(追われない生活)を送るために、色々考え、やってみようということだ。
ねっ。
 

■ 富良野は雪景色に by富良野のオダジー 2010年12月17日(金)

  33,543 byteなんと!
10日振りのワイワイ日記だ。
東京の出張があったり、戻ってきてからも、お客さんが来ていたり、まぁ、バタバタしている。
写真は、麓郷の富良野農場のさくらんぼ畑。昨日、撮影したもの。現在、こんな感じになっている。
今年はあまり実が生らなかったが、「来年は期待できる」と、プロの複数発言があるので、大いに期待している。
もう12月の半ばを過ぎたので、来年の話にも鬼は笑わないだろう。
いや、むしろ、来年の飛躍を念頭にした、来年の話は、鬼だって喜ぶはずだ。
とにかく、世の中の閉塞感は、富良野だって例外ではない。
特に、今日のように寒くなると、ますます心が萎える。明るく、明るく、考えましょう。
富良野プリンスホテルのスキー情報によると、12月15日に一部オープンし、明日も更にオープンのコースが増えるようだ。
スキー客のみなさんも、明日から、そろそろ沢山来てくれそうだ。
明るく、明るく、ねっ。ん?
 

■ ちょっとした大雪 by富良野のオダジー 2010年12月07日(火)

  45,755 byte昨日の夜から雪が降っていた。
案の定、今朝は街中が真っ白になっていた。
仕事の打ち合わせで、10時までに南富良野に行かなくてはならず、9時に自宅を出た。
途中、麓郷に寄る用事もあり、麓郷まわりのルートになった。
写真は、麓郷から平沢(たいらざわ)に入る西瓜峠のもの。
こんな感じに雪が降っていた。
南富良野から戻って、午後からは、老節布(ろうせっぷ)に行くことになった。
老節布も、富良野から南富良野に向かって走ることになる。今日はそういう日になった。
南富良野までは約40キロ、老節布までは約25キロ。
老節布では、農家の方にインタビューをした。
どういうことかというと、私は、北海道大学・富良野サテライトで、「社会人マイスター試行開講」を受けている。その実習での私のテーマは、富良野農業の歴史を調べることなのだが、歴史の“生(なま)”の声として、直接農家の方にお話を伺っているのだ。

北海道大学・富良野サテライトについては下記を参照。
山部地区の産業研究センター内に設置されています。サテライトは、北海道大学のサステイナビリティ学教育センターと農学研究院の共同で設置され、富良野市の農業者、食品産業、観光業、農協、市役所等の関係者によって組織された富良野サテライト運営委員会によって運営されています。(ホームページより)

来年の2月には、レポートをまとめて提出するつもりなので、出来上がったら、ご紹介します。
 

■ 十勝岳がくっきり by富良野のオダジー 2010年12月02日(木)

  41,666 byte今朝も冷え込んでいて、道路は氷になっていた。
昼頃から少し気温が上がて、プラスになったようだ。
天気は快晴。
写真はワインハウスの駐車場から見た、十勝岳連峰。
日蓮宗・妙顕寺の斉藤貫首(かんじゅ)とワインハウスで、昼食をとりながらの打ち合わせ。
ホームページのことやら、色々いい話が出来た。
どうやら、当分は、お寺関係の仕事になりそうだ。
年末年始と、“御利益(ごりやく)”が、ど〜んときて欲しい。
 

■ 12月です。富良野は雪。 by富良野のオダジー 2010年12月01日(水)

  47,883 byteいよいよ、12月。
今日も、富良野は雪が降っていた。
写真は、麓郷でのもの。
何の変哲もない、景色だけれど、ちょっと惹かれた。
写真にしてみると、たいしたことはなかったが、ファインダーを覗いたときは、けっこういい感じだった。
こうこう、なにげない風景に目が向くのは良いことだ。
ということで、今日は、おしまい。
 


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