■ 山下洋輔「ピアノ弾き即興人生」 by富良野のオダジー 2010年12月21日(火)

  43,666 byte今朝も少し雪が積もっていた。
たいしたことがないと、雪かきを始めたら、これがけっこう重い雪で、あ〜、疲れた。
自宅と工場のまわり、フォーラムフラノのテラス、除雪するところはふんだんにある。
もちろん、妻のほうが私より早く起きて、せっせと始めていた。
昨日の「他人は誤魔化せても、自分は誤魔化せない」のコメントである。
この言葉は単純に、他人は自分のすべてを見たり、知ったり出来ないが、自分は自分のことだから、自分のことはすべてお見通しだから、自分は誤魔化せない、という感じだと思う。
こんな当たり前のことと、「バチの思想」の接点はどこにあるのか。
次に続く言葉として、「お天道様が見ている」「神様、仏様が見ている」が出てくる。
つまり、仮に、自分を誤魔化したとしても、お天道様、神様、仏様は、誤魔化せない。つまり、他人も、自分も、誤魔化せても、悪いことをしたら、バチが当たってしまう。つまり(つまりが多い!)、悪いことや、間違ったことをしたら、素直に「ゴメンと、謝りましょう!」ということだ。
どんな言い訳をしても、自分は誤魔化せないし、誤魔化せたとしても、バチが当たる。
もう一歩進めると、実は、他人も誤魔化されたフリをしているだけかもしれないし、自分が自分を誤魔化していることに気付かないこともある。
それは、私も認める。
だから、バチが必要なのだ。
「あれっ、これって、バチが当たったのかもしれない。どのことだろう。あのことかなぁ、それとも、このことかなぁ・・・」が、大切なことなのだ。
いつも、バチのことを考えるのは、実は、自分のことを考えることなのだ。(今度は、なのだ、かっ)
つまり、バチの思想の根本は、あくまで個人的なことで、他人や世間の善悪基準やものの価値観ではなく、自分にとってバチが当たるか、どうか、なのだ。
今日は、ここまで!
山下洋輔著の「ピアノ弾き即興人生」を読んだ。
またしても、アマゾンにやられた。
アマゾンのおすすめのメールかなにかで、この本を紹介されたのだ。おそらく、アマゾンは私以外で一番私の嗜好性を知っている。
私がどんなことに興味があり、どんな性向があるか、すべて分かっている。その時々で私の興味は変わり、忘れてしまったことまで、アマゾンは忘れない。としたら、私以上に知っている可能性が高い。
今までも、かなりの確率で、アマゾンにやられている。
山下洋輔の本を読むのは、ホントに久し振りだった。
ちょっとネットを調べると、「ピアニストを笑え!」「ピアノ弾き翔んだ」「ピアノ弾きよじれ旅」「風雲ジャズ帖」などが読んだ気がする。1970年の終わりから1980年の初めに出版されたものだ。おそらく30年振りということになる。
あの頃を思い出すと、椎名誠、南伸坊、篠原勝之、伊丹十三、東海林さだおなどの名前が出てくる。「本の雑誌」「話の特集」だな、中心だったのは。
山下洋輔である。
なんか、やっぱり、うれしい。
昔から知っている、私より年上の方が、全然変わらず、むしろパワーアップして活躍しているのは、やっぱり、うれしいし、励みになる。
本を読みながら、聞きたくなったCDがいっぱいある。
何枚かは買ってみようと思う。
山下洋輔のアルバムはパッと思い出すだけだと、3枚しかもっていない。
ただ、「砂山」のB面の「うさぎのダンス」は大好きで、何年かに一度、定期的に聞きたくなる。
エネルギーの爆発とみなぎる緊張感。
聞き易いし、フリージャズの“意味”が、「なるほど!」と、理解できると思う。
 


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