■ マイルス・デイビス「1958MILES」 by富良野のオダジー 2011年06月14日(火)

  37,852 byte南富良野までは往復1時間半ぐらいかかる。
出掛けに、なんの気になしに、マイルス・デイビスのCDを何枚か持った。
まず、「1969MILES」をかけた。
「このドラム、誰だ!ジャック・ディジョネットかっ!やっぱり、ジャック・ディジョネットって凄い!」とか「マイルスって、どうしてこんなにカッコイイんだろう」とか、独り言をいいながら、南富良野に向かった。
打ち合わせを終え、戻るときに、「1958MILES」に変えた。
行くときは国道を通ったが、帰りは、かなやま湖沿いの道にした。何回も書いているが、ここのロケーションは素晴らしい。ちょっと遠回りになるけれど、こちらを通りたくなる。
一曲目は「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」。マイルスのトランペット、テナーサックスのジョン・コルトレーン、アルトサックスのキャノンボールアダレイ、ピアノのビル・エヴァンス、もう、完璧。初めから、終わりまで、無駄な音が一切無く、ぎゅーっと詰まった感じ。
ふっと、「あれほど垢抜けているマイルスが、無骨とも思えるジョン・コルトレーンを最初からどうして認めたんだろう」と思った。(初期の頃のコルトレーンの演奏はそう感じる)
マイルスはカッコイイ垢抜けた音楽を目指し、実際、最後までそれを貫いたと思う。最後のレコーディング「Doo Bop」のカッコイイこと!
ややもすると、マイルスの繊細な音をぶち壊すようなコルトレーンの思い詰めた音。マイルスは自分では出来ない、コルトレーンの真面目なひたむきな音が好きだったのではないか。
マイルスとコルトレーンについては、時間のあるときに、もっとちゃんと考えないと駄目だね。
ただ、マイルスも、コルトレーンも、それぞれのやり方で、ジャズや人間が持っているエネルギー、爆発力みたいなものを表現しようとしたのではないかと、思っている。
コルトレーン晩年のフリージャズの演奏、そしてマイルスの「アガルタ」を聞くとそう思う。
 


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