■ 椎名誠「哀愁の町に霧が降るのだ」 by 富良野のオダジー 2021年03月18日(木)

  129,536 byteどうしてなのか、思い出せない。
なんで、急に椎名誠の本を読もうと思ったのか。
一つには、最近どこかを誰か(おそらく、妻)が整理していたら、古い本がまとまって出てきたのを、私が事務所に持ち運び、本箱に並べた。その時、「懐かしいな、椎名誠の本もあったんだ」と思ったことは憶えている。だからと言って、まさか椎名誠の古い本を読もうとは思わなかった。
もしかしたら、コロナの影響だと思うが、ここのところ、なんか閉塞感というか、やるせないというか、許せないというか、「世の中、なんか、変だなあ〜。絶対、間違っている!」と思ったことが、きっかけかもしれない。
今後の生き方(大袈裟だね)になにか新しいヒントが欲しい。それは、私が若かった頃に影響を受けた本やレコードにあるような気がした。「昔はもっと良かった!」ということではなく、もう一度、当時私たちが何を考え、何をしたかったのかを知りたくなった。
それで、事務所にあった哀愁の町に霧が降るのだ (上) を読み始めてしまった。
内容はほとんど記憶になかったが、椎名誠が高校生の時に喧嘩で左目に怪我をして視力がいまだに半分しかない、のくだりは憶えていた(私は身体に加えられる暴力に過剰反応するタイプなので)。
今、半分ぐらい読んでいる「哀愁の町に霧が降るのだ (上)」は昭和56年10月29日発売の初版本だと思う。当時、私は28歳ということになる。別に驚かないし、「そうだろうなぁ〜」と再確認したが、オダジーの文章は確実に椎名誠の影響を受けている(全然下手クソだが)。それどころか、もし椎名誠が世の中に出現しなかったら、私は文章を書くことは無かった(これは本当です)。
と、いうのは、私の今の仕事や人生の出発点となったミニコミ誌「フロム・ノースランド・ウィズ・ラブ誌」を作りたいと思ったのは、椎名誠のような感じで文章を書きたいと思ったからだ。第1号の発行は昭和57年だった。
まあ、この続きは「哀愁の町に霧が降るのだ (上)(下)」を読んだ後にします。
 


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