■ 「マルクスだったらこう考える」 by富良野のオダジー 2008年12月05日(金)

  28,240 byte今日の富良野は、雨。
気温もけっこう高い。プラス10度近くはありそうだ。
明日は雪に変りそうだが、富良野にとって、雪のほうがありがたい。
少しずつ読んでいた「マルクスだったらこう考える」を読み終えた。
オダジーとマルクス、あまりと言うか、全然と言うか、接点が無さそうだけれども、実は、ちょっとある。
私が卒業した東京経済大学は、私が入学した(1971年)頃は、「マル経」の大学と言われていた。つまり、マルクス経済学が中心の大学だと。(今は知らないが・・・)
当時、経済学と言えばマル経と近代経済学(略して近経−ケインズとその流れ)の二つがあった。
まあ、それだけのことで、ちなみに、私自身は近経のゼミだった。(チンプンカンプンだったけど)
ただ、学生運動の熱気がまだまだあった頃なので、今とは比較にならないぐらい、マルクスは身近だった。
「マルクスだったらこう考える」を何故急に、読もうと思ったか。
それは、今回のアメリカ発の世界的な経済危機を、私なりに“勉強”していると、この危機は経済だけではなく、アメリカが中心になって作ってきた世界のシステムそのものの危機かもしれないと思ったからだ。(ん〜、言うねっ)
それと、今回の世界的危機とは別に、日常生活していて、「どうも、日本はおかしい国になってしまったなぁ」と感じていたこともある。
要するに、もし今の世界の、日本のシステムが八方ふさがりなら、それに代わるシステムや考え方があるのなら、知りたいと。(ん〜、言うねっ)
私には、やはり、この本は難しかったけど、私なりに反応したのは、「アソシアシオン」という概念。
アソシアシオンは、フランス語のAssociation=個々人の平等な連合体。
下記は本からの抜粋。
『アソシエートされた社会が具体的にどのような社会であるのかについては、さまざまな議論があります。生協運動であるとか、地域運動であるとか、いろいろなタイプの運動形態があります。ただ、それがアソシアシオンだといえるとしたら、人間の相互関係が水平的であるということです。』
「平等な連合体」「人間の相互関係が水平的」。
なんとなく、ヒントではある。
 


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