■ ジョン・コルトレーンの二枚のジャケット byオダジー 2007年01月29日(月)

  30,587 byte昨日のジャズレコード額の続きである。壁全体には、二十枚のLPレコードを飾った。二十枚とも大好きなレコードである。選んだ基準が少しあります。
まず、ジャズ界の「巨人」は、何人か入れたいと思った。ジョン・コルトレーン、マイルス・デイビス、ソニー・ロリンズ、チャーリー・ミンガス、バド・パウエル、クリフォード・ブラウンの七枚が、それだ。ジョン・コルトレーンだけは、「ジャイアント・ステップス」「コルトレーン」の二枚選んだ。それは、コルトレーンに敬意を表するというより、コルトレーンに「媚びる」に近い感情がある。
数あるコルトレーンのレコードの中で、何故この二枚を選んだのか、という問いは奥が深い。色々な理屈と色々な弁解がある。コルトレーンは、選ぶレコードで「意味ありげ」になってしまう。それは、聞きやすいスタンダードナンバーから、死ぬ間際に残した過激なフリージャズまで幅が広く、なおかつ、音楽そのものが哲学的だからだ。
私が選んだ二枚は、スタンダードでも、フリージャズでも、どちらでもない。そう言うと、意味ありげになってしまう。この二枚は、偶然でもあるし、私の意志でもある。あ〜あ、意味ありげ。
ジョン・コルトレーンは、ジャズの「踏絵(ふみえ)」だ。聞くか、聞かないかの踏絵。そして、コルトレーンのどのレコードが好きかという踏絵。
極端に言うと、ジョン・コルトレーンを聞かないジャズファンがいたら、「 ? 」とともに、その人とはそよそよしい会話になってしまうと思う。また、ジョン・コルトレーンを聞くとして、その好きなレコードの「解釈」が、私と違っていたら、やはり、そよそよしい会話になってしまう。
ある時、久しぶりに会った、私の友人がコルトレーンを聞くときは、「正座」して聞くと言った。この友人とは、会話が弾みに弾み、普段は決して言わない、私の心の奥の奥の話までしてしまった。
私がお付き合いさせてもらっている、ジャズミュージシャンの方が、何人かいます。プロに失礼とは思いながら、私は、「ジョン・コルトレーンはどうですか ? 」と必ず質問する。これは、シロウトの特権である。プロ同士では、あまりこういうことは聞かないと思う。
全員が、ジョン・コルトレーンのファンだ。これは、当たり前といえば、当たり前で、だから私と知り合ったのだ(強引 ! )。ついでに言うと、ジャズ・ミュージシャンは、まず、コルトレーンで、それからどうするかを考えるものなのだ。コルトレーンに憧れて、ジャズ・ミュージシャンになる人が圧倒的に多いのだ(シロウトの独壇場 ! )。
調子に乗って、書き過ぎました。続きは、また明日・・・。
 


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