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『いいふりこきのがんべたかり』
ー粗野にして暴力的方言
方言レクチャー シリーズ第10弾!
■「いいふりこきのがんべたかり!」
なんと強烈な響きを持つ言葉でありましょう。
「いいふりこき」 って表現もすごいけど、「がんべたかり」ってのがこれまたすごい。
これほど粗野にして暴力的な北海道弁を私は知りません。
■「いいふりこき」
とは関西弁でいうところの「ええかっこしい」。
東京弁でいえば「スタイリスト」 「かっこマン」、ようするに「見栄っ張り」のことであります。
「かっこつける」という意味の北海道弁には、「あやつける」 というのもありますが、その違いはと言うと、「いいふりこく」
の場合、「実力もないのに実力以上に格好つけようとする」 という含みがあり、そうした邪(よこしま)な行為を真っ向から否定するニュアンスがあります。
「あやつける」の場合は、「さりげなく、ちょっとだけかっこつける」という意味で、その実力は認めつつも「でも、なんかちょっと気取ってるんでないかい」というニュアンスになる。
どちらも「かっこつける」 という意味では共通ですが、その内容には大きな違いがあり、似て非なる方言であると言えましょう。
■さて、「がんべたかり」
。
このいかにも方言方言した耳慣れぬ言葉「がんべたかり」とは一体なんなんでございましょう。
え〜、実は「がんべ」 というのはですね、「かさぶた」のことなんです。
その昔、ストーブのたき付けに使っていた「白樺の樹皮」、あれを道産子たちは「がんび」と呼んでいるのですが、「かさぶた」がそれと形状的に非常によく似ていることから、道産子はいつしか「かさぶた」のことを「がんべ」と呼ぶようになったわけであります(道産子ならこのくらいのことは知っていないといかんべ)。
したがって「がんべたかり」とは「かさぶたたかり」のことであり、「いいふりこきのがんべたかり」と繋がると、「なんぼカッコつけたって、顔(体)中かさぶただらけのみったくなしだべや」
という、いやはやなんともおそろしく粗野な表現となるのです。
■道産子が「あいつはホントいいふりこきだもなあ」
と言った時は、「誰がどう見てもその人物には不似合いな、ええかっこしいぶり」を揶揄しているわけであり、すなわち当世ギャル風に言うと「え〜!何それ〜!かっこつけすぎ〜!許せな〜い!」といった塩梅。
そんな周囲の評価をよそに、いつまでも一人「いいふりこいて」いると、やがてその評価に「がんべたかり」が加わることになり、そうなるとこれはもう最後通告、ここまで来るともう誰にも相手にされなくなってしまうのですね。
「いいふりこき」 には若干救いの余地があっても、「いいふりこきのがんべたかり」にはいっさい救いというものがない。
「人として最低」 の烙印を押す言葉が「いいふりこきのがんべたかり」なのです。
■幼少の頃、顔や膝かぶに「かさぶた」が出来たときは、「やーい、がんべたかり〜」
といって周囲からからかわれたものでありましたが、その差別的語感には、自らの存在そのものを、その一語をもって全否定されかねない強烈な「毒」が潜んでいたわけであり、言われる側の者にとって「がんべたかり」は、恐怖に満ちた「悪魔の言葉」とさえ言えるものなのでありました。
でありますので、そのような幼少期の時代背景をかいくぐって生き延びてきたものにとって、「いいふりこきのがんべたかり」 は今なおトラウマ的呪縛を内包する方言なのでありまして、この歳になって周囲からこのような評価がなされるようなことがあれば、それは人として最低も最低、ほとんど「生きる価値なし」と断言されたも同然の仕業と言えるのであります(って、ま、実際言うほど大げさなものでもないのですが)。
「人すべからく分相応に生きるべし。いいふりこいちゃいかんべたかり」。
本日の結論なのであります。
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