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『書かさる・見らさる』ー道産子の他力本願力を見よ!
方言レクチャー シリーズ第3弾!
■今回はなんとも不思議な北海道弁をご紹介しましょう。
「〜さる」 「〜らさる」という表現。
たとえば「書かさる」。
道産子は「このボールペン、もう投げちゃう(捨てちゃう)の?まだ書かさるのにもったいないしょや〜」
などと言ったりします。
「書かさる」は「書ける」 という意味。
普通に「書ける」と言ってしまえば済むものを、なにゆえわざわざ 「書かさる」などと複雑な言いまわしでもって表現する必要があるのでしょう。
謎であります。
■「〜さる」 が可能の意味で使われる言葉としては他にも「テーブルがきれいに拭かさって(拭けて)ないよ」とか「肉がやわい(柔らかい)から串が簡単に刺ささる(刺さる)んだよね」といった事例がありますが、この「〜さる」「〜らさる」には、これとは違った不思議な使用法もあるんです。
■「ミニスカート履いてる子がいると、自然と見らさるよね」
この「見らさる」は、「そうする気はないのだけれど、自然とそこに目線が行ってしまう」「なぜか見ずにはいられない」という意味なんです。
「自分の意志ではないのだけれど、どうしても目線が行ってしまう=悪いのは私ではない。あくまで不可抗力」といったニュアンスなのですが、おわかりいただけますでしょうか?
ミニスカートの子が階段を昇ってたりすると、ほら、思わずスカートの下あたりに目線が行ってしまうでしょう?
あれです、あの状態。
積極的に「見る」とか「のぞき込む」とか言うのとは違う、ある種本能的な行動、それを道産子は「見らさる」と表現するのです。(説明すればするほど、弁解がましくなるわけですが・・・)
■「なんだ、その格好?笑わさる(自然と笑ってしまう)べや〜」
「パソコンで『ちぎっては投げ』 って打ったのに、『ちぎって鼻毛』って打たさってたさぁ(なぜか『ちぎって鼻毛』って打ってあったんだよ)」
ね、可笑しいでしょう(この例文自体も笑えるが)。
こんな不思議な表現法、北海道弁以外に存在します?
「笑う」「見る」「打つ」という行為を、自らの意志ではなく、まるで神の意志にでもあやつられたかのごとく語る、道産子ならではの「夢遊病患者的表現法」なのであります(笑)。
■「さっきからFAX送ろうとしているんですけど、何回やっても送らさらないんですよね」
「送らさらない」は「送れない」 という意味なのですが、実はこの場合、「FAXでデータを送信できないのは、私のせいではなく機械のせいである」という主張が言外に込められているのですね。
「私は送ろうとしているのだけれど、機械の具合が悪くてどうしても送ることができない」。
道産子はこのような不可抗力的状況を 「送れない」ではなく、「送らさらない」と表現するわけです(笑)。
「勉強しなさい!」
「う〜ん、なんかしらさらない(私の意志ではないがやる気が起きない)んだよなあ」
「そんなに食べたら、また太るよ」
「だってこのたらこ旨いから、ご飯たくさん食べらさるんだも(悪いのは私ではなくたらこのせい)」
「この字間違ってるよ」
「あ、ホントだ。なんでこんな風に書かさった(私の意志ではないのにこんな風に書く羽目になってしまった)のかなあ」
「課長、印鑑が薄くて見えないんですけど」
「あれ?きちんと押ささってなかった?(私は確かに押したはずなんだけど)」
■道産子ならではのこの「〜さる」「〜らさる」という表現。
こうしてみると、なかなか奥行き深い表現法といえるのではありますが、それにしても。
なんたるこの主体性のなさ!
そしてなんたるこの無責任ぶり!
世の中にこんな他力本願な表現法があってよいのでしょうか(笑)
*本日の教訓
「神の意志の前に人は無力」
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