占冠村とアイヌの人たち

アイヌの人たち
 和人が北海道に移り住むようになったのは、およそ550年前といわれています。
 それまでの北海道は、先住民族であるアイヌの人たちの自由な天地でした。そして、この地をアイヌモシリ(人間の土地)と呼んでいました。
 アイヌの人たちは、草や木の皮などでふいたチセという家に住み、狩りや漁をし、あわやひえなども作っていました。木の皮で作った糸で衣服を作り、毛皮などを身にまとっていました。
 アイヌの人たちの村は、コタンとよばれ、その生活や習慣は、古くからの伝統を大切にしていました。また、アイヌの人たちは、英雄や神のこと、祖先の暮らしなどを物語のように口伝えにしユーカラとして残してきました。

アイヌの人たちと和人
 ところが、北海道にたくさんの和人が渡ってきて、和人とアイヌの人たちの間で物と物の交換が盛んに行われるようになりました。そういうとき、和人はアイヌの人たちをごまかしてもうけたり、和人のところで働くアイヌの人たちに、わずかのお金と物しかあげなかったりと、問題が起こりました。
 さらに、和人はアイヌの人たちに対して法律で、長い間つづけてきた生活や習慣、文化や伝統的な事柄を禁止しました。そして北海道の各地に住むアイヌの人たちを決まった場所に移住させたりもしました。
 こうした差別を行う和人に、アイヌの人たちは力を合わせ、いくども戦いを挑みました。明治時代前のコシャマインやシャクシャインを先頭にした戦いは、今も語り継がれています。

占冠村とアイヌの人たち
 占冠村には、アイヌの人たちがコタンを作り定住していたわけではありませんが、開拓前の占冠村に、日高や十勝のアイヌの人たちが狩りや漁にやってきたことは、十分想像できます。明治時代の占冠開拓のころには、川べりにアイヌの人たちの狩り小屋であるクチャがよく見られたといわれています。
 明治5年(1872年)に、浦河支庁の命により、日高から双珠別を通り、占冠の地を調査に来た一の瀬長春は、アイヌの人たちを案内にしてやってきました。また、明治34年(1901年)に、北海道庁から占冠村の測量に来た役人は、沢本パキシプというアイヌの人に道案内や土地を測る仕事をしてもらったということです。
 今、占冠村の地名には、アイヌ語からつけられたものがたくさんあります。これは、北海道の各地も同じです。

アイヌ語に基づく占冠村の地名
シムカプ 静かで平和な上流の場所
ソーシュベツ 滝がたくさんある川
トマム 沼のある谷地のところの川
パンケシウリ 修理の木のある下流
クテックンナイ 狩り小屋のある沢
マカヨウシ ふきのとうの多い場所
ニニウ 木のたくさんあるところ