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糖尿病は、膵臓でつくられるインスリンというホルモンの作用不足でおこる病気である。 遺伝はしないが、糖尿病になりやすい体質という遺伝傾向をもつ。 もちろん無関係に、感染症などを契機に突然発症するタイプもあるが、大部分は遺伝的素因のある人に、過食・大酒・肥満・運動不足・妊娠・ストレスなどが加わって発病する。インスリンの不足は、食物として摂取された糖分(グルコース)の細胞への取り込みを悪くする。 この結果、本来は細胞の中に入り、エネルギーとして利用されるべき糖分が、血液中に貯まってしまう。この血糖が過剰な状態が、長く続くといろいろな不都合が生じてくる。 三大合併症と言われる神経障害・腎症・網膜症をはじめ、血管障害として脳梗塞・心筋梗塞など重大な病気の併発も起こしやすい。 症状は、血液中に余った糖分を排除する目的で多尿となり、細胞の脱水で口渇、エネルギー不足により全身のだるさなどが生ずる。しかし初期状態では、あまり特有な症状を来すことがない。 合併症がでた後では、障害の悪化・進行を防ぐだけになってしまい、症状のあまりない初期段階での治療が大事となる。
この時、この会議開催にあわせて、「糖尿病」をテーマとした記念切手が発行され、切手収集家だけでなく、糖尿病関係者にも注目を集めた。その切手のデザインが、インスリンの結晶と藤原道長の肖像を組み合わせたものであった。 道長は、時の関白道隆の末弟で、道隆の御曹司である伊周よりは8歳年上の叔父ということになる。 当初父親の後ろ盾もあり、伊周が道長を追い抜き出世階段を昇っていたようであるが、道隆の死後立場が逆転し、道長の全盛時代となっていった。 このことから道隆が、糖尿病(当時の飲水病)に罹っていたと推察されている。 また伊周も「日頃水がち」だったとのことから、糖尿病の可能性も考えられ、藤原一族には糖尿病素因があったのではないかと推定される根拠となっている。 道長にいたっては、自身が著した30歳から56歳までの「御堂関白日記」や、当時の右大臣小野宮実資の日記「小右記」によると、多飲多尿・口渇・視力障害(糖尿病性網膜症?)など糖尿病特有の症状記載が随所にあり、日本の歴史上の人物では最古の確実な糖尿病患者として知られている所以である。 もちろんこの理由で、先の切手のモデルとなった訳ではあるが・・・。 朝夕1日2回の食事が原則で、その他に間食と夜食が加わり、かつ3日に1回は宴会を開いていたようで、10数種類の豪華宴会料理と酒を含めると、当時の貴族の摂取カロリーは相当なものであったと推定される。 この過飲過食と遺伝的素因(藤原一族)、ストレス(権力闘争)に加え、非活動的な貴族の衣装と生活による運動不足、つまり今日言われている糖尿病発症因子が、道長ひいては平安朝貴族には備わっていたのである。 題名に偽りあり?...船橋聖一訳「源氏物語」上・下巻(祥伝社)を読んでみた。 どこにも光源氏が、糖尿病であったと疑わせる記載は見つからない・・・うーん。 |