仲 世 古  善 雄    APR 28,1943(なかせこよしお)
仲世古さんはいつもやさしい
仲世古さんは茶畑さんと共に富良野で一番倉本先生に近い人で、「北の国から」や「富良野塾」をはじめとする富良野での先生の活動にはすべてと言っていいほど関わっている。「北の人名録」「冬眠の森」「ニングル」にも"ヨシオちゃん"の名で度々登場してくる。北の国からの中で、田中邦衛さん扮する黒板五郎が勤めている中畑木材は、実は仲世古さんの会社「麓郷木材」で、ドラマではそのまま使われているので、ご覧になった方もいると思う。だいたい中畑木材というのは、仲世古さんの仲(中)と茶畑さんの畑をとって命名したものなのだ、そうだ。
とにかく面倒見のいい人で、あらゆる人から慕われている。ぼくの事で言うと、ぼくの会社でやっている「麓郷の森」(後で詳しく述べる)の土地のオーナーで、ただ同然でずうっと貸してくれている。設立した時から現在まで、公私共々何から何までお世話になっている。 仲世古さんがいなかったら、やっぱり、今のぼくもオフィスFURANOもなかったと思う。
仲世古さんとの付き合いも茶畑さんと同じ頃から始まる。やはり、青年会議所にいたのだ。それも理事長(一年単位の責任者)で。あの当時ぼくにとっては「雲の上」の人に思えた。実際、仲世古さんに意見を述べたり、冗談言ったり出来るようになったのは、ここ2、3年のことなのだ。それはぼくだけではなくて、後述する日里さんだってそうだった。ぼくらのグループ(何のグループだかよく分からないが)はすごく保守的で、時代錯誤はなはだしく上下関係がはっきりしている。職業はバラバラ、利害関係もほとんどなく、第一あってもなくてもよくて、確かな目的もない集まりなのだから秩序を維持するための拠り所といえば、「年齢」しかないもの。もちろんなんのために秩序を維持するのかという問題は残るが。とにかく、年上はエライのだ。
では年上は何をやってもいいのかというと、そうはいかない。何故なら、年上の人の上にその年上の人がいるからだ。例えば、Aという先輩がおかしいとする、ぼくらは面と向かってはおかしいとは言えない。それでAの先輩のBにAをおかしいと思うがどうでしょうかと尋ねる、Bが納得すればAに何気なく注意する。Aは不本意でも改める。BはAの先輩なのだから絶対なのだ。Bにぼくらが何かを話したと勘づくかもしれないが、たいして気にはならない。詮索することは野暮だというムードがあるからだ。もっとも誰もそんなことはしない。ただ善し悪しの問題ではなく、選択の問題になったときは、必ず先輩がジャッジメントする。どんなに後輩が不服でも。決定が下されれば、ブツブツいう人は一人もいない。自分の役割をきちっと理解して成功に導く努力をする。この辺のメカニズムや雰囲気を分からない人はこのグループには残れない。
物事ってなんでも同じで、不合理や不条理だと思えることに真実が隠されているものだ。このグループは、みんなで意見を述べあって、みんなで決めましょうなんてあり得ない。ほとんどのことが裏工作で決っていく。もちろん重要な事は会議を何度もやるが、基本的には根回し、裏工作。
ある人に腹を割って話せよと言われたことがあるけれど、捜してみたが割る腹がなくなっていた。これも長年このグループにいたお陰?だ。まじめな話、10人いたら10の考えがあり、10の答えがある。どれが良いなんてやってみなくては分からない。「筋道」さえ間違ってなければ何でもいいと思う。大切なのは、決まったことに対して自分は何処までやれるかを真剣に考えることだ。そして、どんな小さいことでも決して手を抜かぬこと、分からないことがあったら先輩に相談すること。 「何のため」なんてけっして考えないこと、すべて「自分のため」と思い込むこと。

仲世古さんは「日本夜味(やみ)なべ協会」の会長を長きに渡ってやっている。実はこの歴史のある由緒正しき会こそが、ぼくらの色々な発想、アイデアの原点なのだ。すべての会の親会的存在で、この集まりでの話からいろいろな会が生まれ、アイデアが具体化していった。また、この会は麓郷ラングラウフ大会前夜祭や倉本先生の各賞受賞祝賀会など、多くのことの主催もしている。
会独特の儀式を経て、ランプの下で参加者が好き勝手に持参した材料を、みんなの見ている前で鉄なべに入れて賞味するだけのことなのだが、これがおもしろい。いままで雑誌に書かれること数回、NHKで2回、テレビ出演も果たしている。
儀式だが、まず掛軸に書かれた「定(さだめ)」を指名された者が読み上げる。
地食淆放汰下恥裂同倒人然
動馬混開淘天無滅雷転無依
天飲石戸然日顔離和客若態
驚牛玉門自三厚支付主傍旧

初めて聞く人や初めて読み上げる人は何がなんだかまったく分からない。実はこの掛軸は、仲世古会長が会について考えた四文字熟語を縦に読まされたものなのだ。上からいくと、会の目的は「驚天動地」、事業は「牛飲馬食」、会員は「玉石混淆」、入会は「門戸開放」、退会は「自然淘汰」、役員任期は「三日天下」、会長は「厚顔無恥」、会の進行は「支離滅裂」、会員の性格は「付和雷同」、会の接待は「主客転倒」、会長の性格は「傍若無人」、将来は「旧態依然」。
この儀式が終わるとビールで乾杯になるわけだが、なんと会長が手にしているのは尿瓶(しびん)なのだ。参加者は全員会長から直々に、恭しくビールを注いで頂く。以前はなべの蓋も便器の蓋で、皿もオマルの取り皿だった。尿瓶は、会長からのものは何でも頂くという、忠誠を誓う意味があり、便器の蓋はクサイ話に蓋をするな、オマルはどんな時でもまるく治めるからきている。夜味なべの夜味は、夜に集まり味わうという意味と、闇との掛け言葉になっていて、開拓時代の先人のように何も見えなくても自由な発想で頑張りぬこうという思いが込められている。なべはみんな車座になって同じものを食べることによる、平等の精神をシンポライズしている。
会は不定期に突然、仲世古会長の独断で召集される。たいていは、誰か特別のゲストの人が来た時か、何か差し迫ったテーマのある時で、簡単なハガキが一枚届く。メンバーの選定も会長の独断で、ハガキの届かなかったものは涙をのみ、ハガキを手にしたものは、今回はどんな企画なんだろうかと、期待と不安でいっばいになる。ゲストは今まで、倉本先生はじめ、田中邦衛さん、竹下景子さん、吉永小百合さん、大竹しのぶさん東大名誉教授高橋延清先生(通称どろ亀先生)など多数にのぼる。
NHKの2回目の撮影の時に、ディレクターの人が今回のゲストはいないのですかって聞いた。今回のゲストはあなた達のカメラだと答えたら、ディレクターはそうですか、ということは今回のメインゲストは視聴者の方ですね、だって。こいつはキレモノだった。その時の番組、北海道中ひざくりげ「闇夜の森に、夢もってこい!」は必見です。この放送を何人かがダビングしたと思うので、機会があったら見て下さい。そして、出来れば是非一度この会に参加してみて下さい。もちろん参加出来るかどうかは仲世古会長の判断にかかっているのですが、会長はとてもやさしい人だから大丈夫でしょう。特に女性の方は余ほどのことがないかぎりOKです。
仲世古さんは茶畑さんの"直系"の先輩にあたる。今は富良野の市街にいる茶畑さんが麓郷にいた若い頃から二人コンビで色々なことをやってきた。一緒に活動しだして20年以上は経つはずだ。もとはと言えばぼくらのグループはこの二人から始まっているのだ。若かったことも手伝ってとにかく滅茶苦茶やったらしい。当時の話を聞くと、ほとんど大笑いだ。本人達はもちろん村のためを思って一生懸命だった。その一端が倉本先生の「北の人名録」にバッチリ載っている。
仲世古さんがこんなことやろう!と言い出す。先輩は絶対だから茶畑さんは不服でもやるしかない。失敗したら先輩が笑われる。追いつめられて窮余の一策を絞り出す、実はこれが茶畑さんのアイデアの源泉の一つなのだが、どうにか成功に導く。みんなに誉められるのはいつも仲世古さんだけで、仲世古さんも暢気に良かった良かったと有頂天なる。茶畑さんの苦労も知らないで。しかし、仲世古さんがみんなに慕われる理由の一つにこの暢気さ、言い方を変えれば、悠長さがあると思う。茶畑さんは、それが仲世古さんが「大物」と言われる由縁なんだと、事も無げに言う。
茶畑さんが可愛そうだなんて全然思わない。役割だからしょうがない、厭ならやらなければいいのだ。でも、物事を進める時のテクニックとして「役割」は絶対必要だ。ぼくたちのグループは過程が大切なんて思わない、どんな結果を出すかがすべてで、そのためには何をどうしたら良いかを考える。結果のための作戦を立てる。先輩は先輩の役割、下っ端は下っ端の役割。このことを理解しないと喧嘩になる。実際、その辺が誤解されてグルーブが良く思われてない面もあると思う。下の者は先輩の役回りを見て勉強し、自分の役割をまっとうする。そのことが将来役に立つ。自分が上になったとき。

仲世古さんは麓郷木材の社長を勤めながら、最近、丸太や角材を使ったウッディな建物を設計施工する会社「トムソンハウス」を作り、ますます忙しいが、その合間を縫って色々な公職もこなしている。正に、富良野の若手経済人の代表的な存在だ。
ぼくらのグループの中でも、いま一番積極的に動いている感じがする。新会社をベースに、ウッディな建築物を中心にした新しい開発事業を麓郷に企画しているが、その計画を熱っぽく語る仲世古さんを見ていると、自分も発奮しなければと気合いが入る。
ぼくは仲世古さんの頑張り如何で、これからの富良野の局面が変わると思っている。つまり、富良野の新しい可能性は、仲世古さんにかかっているのだ。
仲世古さん!ぼくたちも一緒に手伝いますので、よろしくお願いいたします。