仲世古善雄編
〈世間知らずの友さん〉

友さんは、根っからの田舎モンである。「北の国から」で有名になったあの麓郷で生まれ育った。麓郷から出て生活した経験がない。したがって、麓郷以外のことはあまり知らない。知らないくせに知ったかぶりをするところが友さんにはある。 だから〈世間知らずの友さん〉とも呼ばれている。そう呼ばれていることも知らず友さんは、自分は何をやっても一人前、一流のことができるのだと信じ込んでいる。
以前に、麓郷に短歌の会ができた。友さん、文学的素養などまったくないのに入会し、知ったかぶりをして他人の短歌(うた)を批評したりしている。その癖、自分にはほとんど作品ができないのである。だが、ここでおわれば友さんも、自分には才能がないと諦めたかもしれないのに、ある〈事件〉が起きた。なんと、友さんの作品が朝日新聞の短歌の欄に入選したのである。チャバ達は、あれは新聞社の間違いなのだと今も信じている。この事件以来、友さん愈々自信を深め、今度は、油絵に挑戦すると言いだした。しかも七十号の大作を。チャバは、言いだしたらきかない友さんの性格を知っているので、絵の道具を一式揃えてやった。室戸岬を画いた「波」という友さんの大作が三週間でできあがった。そして地元の文化祭に出展した。またまた〈事件〉が発生。友さんの処女作が、見事銀賞に入選したのである。……実情は、油絵の出品が三点しかなく、審査員が順位を決めかねて、号数の大きい順に金・銀・銅賞と決定したのであるが……。友さん図にのって日展に出したいと言いだしたが、さすがにチャバは必死になってとめたので友さんも諦めた。
〈世間知らずの友さん〉はチャバと二人で東京へ行った。めったに着用しないスーツにネクタイを堅苦しそうに締めて、意気揚々と出かけたのはいいが、人と車の洪水、圧迫されそうな高層ビル、生意気そうな東京モンの視線に耐えられず、ホテルにこもりきりになった。せっかく上京したのにこれでは勿体ないと考え直し、皇居二重橋で最敬礼し、浅草の観音様に百七十円也のお賽銭を投げ込み、後楽園の遊園地で修学旅行の女子高生とジェットコースターに乗ってから、友さんちょっぴり安堵した。なぜなら、地方から上京した人の集まるところだけど、子供の集まるところだけを見てきたから。東京モンにどこへ行ってきたのかと聞かれて友さん、皇居、浅草、後楽園を観てきたというと嗤われた。それ以来、友さんは東京モンに対して少々反発を感じるようになった。地方のことを田舎といい、地方から来た人を田舎者というその感覚に対してである。なんとなくその語感には蔑んだひびきがある。考えてみれば東京は、戦後急激に人口の増加した都市である。半分以上は地方から来た人の集まりである。日本一地方から来た人の集まった東京が、なぜ田舎者といって見くだす資格があるのか。地方から上京して一年もくらすと、もう自分達の故郷を顧みなくなり、訛りの矯正にやっきになり、都会面(づら)をする田舎者の何と多いことか……。東京こそゴミの掃き溜めのようなまちだ、と偉そうに友さんは、そう言ってタバコに火をつけた。
〈でも、嬉しかったヨ〉と友さんは言った。東京で倉本聰先生に逢ったんだけど、富良野や麓郷の山の中を歩くスタイルで、堂々と東京で仕事してたんだ。東京生まれ東京育ちの先生だけど、オラ達には富良野で逢っているのと変わらないやさしい目だった。オラ、益々先生尊敬しちゃう、と友さんまたマイルドセブンをくわえた。友さん、最近タバコの吸い過ぎだよ。
〈世間知らずの友さん〉は考えた。着なれないスーツにネクタイだから田舎モンに見られる。これからは、先生の真似して普段着のまま都会へ行くヨ。それから数日後、友さんの服装がガラリと変貌した。でもどこか田舎モン臭さが漂っている。チャバに言われた。〈先生、一見汚ねえような格好しているけど、本当はセンスのいい高価なものばかりなんだゾ。友さんには無理だ〉でも〈世間知らずの友さん〉は安物を身につけ今日も颯爽とまちを行く。

〈友さんの不貞寝〉

七月のある日、友さんの娘が通学している麓郷小学校で、学年PTAの行事があった。担任の古木先生を囲み、ジンギスカン鍋を真ん中に子供と親が和やかな一日を過ごすのがその目的である。夕方の花火大会のあとは、例によって肝試し大会をすることになった。子供二人が組になって校舎の教室を全部回ってこなければならない。
お化けの役は父親が担当することになった。友さん、昨年の盆踊り大会で優勝した、見るも恐ろしいゆうれいの化面をかぶり、最も奥まったところにある音楽室で子供達を待つことにした。準備ができ電灯のスイッチを切ると、シーンとした校舎は恐ろしい。内心友さんも怖かった。
じつをいうとこの音楽室は、麓郷小学校でも最も古い建物で、屋根裏には時々ゆうれいが出ると、先輩から聞かされていた教室である。そういえば、正面右側の天井は現在でも屋根裏に通じている。そんな教室で子供達を待ってお化け役の友さん、自分がお化けであることを忘れて恐ろしがった。今にもうわさのあったあの天井から、女のゆうれいが出てきそうである。
最初の二人組が来た。友さん、根が真面目なのでゆうれいとしては極めてオーソドックスに両手を前に垂らして〈お化けだゾー〉というスタイルで出てみた。子供曰く〈なんだこんなもの〉次の組も怖がらない。友さんだんだん腹がたってきた。お化けを怖がらないとは何事か。友さんお化けの役をするのがバカらしくなり、大太鼓の側に不貞寝をきめこんだ。子供達は次々に音楽室を訪れるが〈あれー、ここはつまんねえなー何も出てこなくて〉などといい乍出て行く。
〈現代の子供は闇に対する恐怖心がない〉という倉本先生の言葉を思い出した。友さんも同感である。昔は悪いことをすると親父に押入や地下のむろに入れられた。
子供にとってそこが一番恐ろしいところであった。暗いところにはお化けがいるから……。後からそっと助けてくれる役は、母親であった。子供は闇を通して親父の厳しさ、母のやさしさを知り成長していくのである。闇やお化けを怖がらないというのは教育上大問題である。現在の子供は、外にはいつも街灯が煌々とあり、家の中にはどこもスイッチひとつで明るくなる環境に育っている。エジソンの発明は子供達をダメにしている、と友さんは思う。友さんは自分がこんなに張り切ってお化けを演じているのに平気な子供達を見ていると、この子等の父親は悪いことをしたときどうやって諭すのか不思議でならない。子供は闇を怖がるべきであり、お化けは勿論恐ろしいものでなければならない。親としては当然、そう教えなければならない。にも拘らずこの子等は平気である。親の教育上の怠慢であり、反省してもらいたいと、友さんは思った。
また、次の組が入ってきた。女の子のようである。友さん、お化け役の意欲をなくしているので、腰をおろしてじっとしていることにした。この二人組は執拗に教室の隅々を点検している。かなりしつこい性格の子のようだ。友さんとうとうみつかってしまった。子供達は怖がるどころか歓喜して〈ワー、お化けだー、起きてお化け!なんだこの野郎!〉などと女の子とも思えぬ乱暴で下品な言葉を浴びせるではないか。遂には ポカポカお化けの頭を殴りだした。友さん、腹がたって子供を怒鳴りつけようとしてハッとした。
なんと、友さんの娘だったのである。
それからである。友さんが子供の教育に自信をなくしたのは。

〈友さんと山口〉

倉本先生はアイヌ犬を飼っている。名前を山口という。犬にしては珍しい名前だが、本当は百恵としたかったようだけど、周囲の同意を得られず、やむなく山口になった。倉本先生ご夫妻には子供はいない。山口は本当の娘のように大事に育てられた。周囲の人も、倉本家の一人娘のように扱うし、来客の中には、先生の原稿がほしくて山口にまでゴマを擦る者もいる。いつしか山口自身も、犬であることを忘れて、自分は人間なんだと思い込むようになった。倉本家では一人っ子だからと甘やかすところもなく、厳しく躾けた。だから、一人っ子のように我侭なところもない。
山口は、倉本家を訪れる大会社の社長、大スター、天下の美女や大作家の中でも、臆するところもなく堂々としていた。ただ一度だけ、山口瞳さんが来られたときのことである。どうしたことか山口は妙にはしゃいだのだ。倉本先生、声高く「山口!コラ山口!」と怒鳴るたびに、瞳先生なんともイヤーな顔をされた。曰く「オレ、駄犬飼ってクラモトって名前付けて頭をコツコツやりてえ……」
百恵、いや山口は魅力的な娘である。スタイルもいい、顔もいい、特に尻のあたりのなめらかな曲線美は肉感的でさえある。ところが最近、この娘は人間不信になったのか、なんとなく目つきが変なのである。慣れた人にもすぐ噛みつく。〈ワタシみたいなものは生きていてもしょうがないワ〉という態度をみせることがある。こういう状態を厭世的というが、厭という字に、ちゃんと犬という文字が入っているところをみると語源は犬からかもしれない。どうして山口が、その人生(犬生か)に嫌気したり、急に人に噛みついたりするようになったのか。友さんジーッと山口をみながら考えた。山口という名前がイヤなのか。メリーとかサッチャーとか格好いいのをつけてほしかったのではないか。山口は、友さんを信頼していないのか、警戒ぎみでさえある。
友さん、オレは〈ほとけの友さん〉と呼ばれる心やさしい男だ。悩みがあるなら何でも云えよ、といい乍山口の身体に触りはじめた。友さん、豚を飼ったことがあるので、どこを触れば気持ちよくなるのか大体わかる。動物というのは、急に頭の上とか背中を触るのを最もいやがる。うなじとか胸や内腿を、そっと撫でるのがいいのだ。山口はおとなしくなった。そして、胸襟を開き、うちあけるような目になった。友さんは、山口の傍らに腰をおろした。
山口はいまだ処女である。友さんは山口が三才の頃、人間でいえば十八才になる秋に見合いをさせたことがある。友さんの家の向いにいる三浦家のラック君と。名前がトモカズでないのが残念。血統書付きのアイヌ犬で、顔だちもいい仲々の美男子であったが、ところかまわずオシッコをする癖がある。見合い当日、山口は嬉しそうにラック君に、にじり寄ったまでは良かったが、何を思ったのかラック君、見合いの相手に右足を高々とあげて、ジョーっとオシッコをかけてしまったのである。
おかげで縁談は破談になった。以来、山口の両親は娘の結婚に消極的である。そのかわり、父親は山口を愛撫し、自慰の手伝いをして、孤閨の寂しさから救わんとした。山口は充分満足し、父親なしでは喜びを感じない女に変身していた(なんとなく描写が川上宗薫になってしまった)慣れた人に、すぐ噛みつく理由もわかった。カゴメトマトジュースのCMで、先生と山口が、空知川の河原で並んでいる写真をご覧になった読者も多いと思うが、実は、あの写真をこっそりケンネルの中に持ち込んでいるというのだ。愛する父親が丹精込めて組み立ててくれた、丸太小屋風の山口の寝室を覗こうとする人に、己の秘密を知られまいとする防衛本能から、思わず噛みついてしまうという。 今や、倉本先生は山口のオナペットになっていたのである。そんな山口の心も知らずこの父親は、他のアイヌ犬と〈本番〉をさせようとしたのである。父親にすれば、犬といえども女の幸せは、子供を産み育てることだと考えたのかも知れない。だが、山口は口惜しかった。愛する人の眼前でいたすなど、〈犬畜生〉にも劣ると、必死になって節操をまもろうとした。父親は傍らで、〈山口天国!だんだん天国!〉などと叫んでいるが、どうしてもこの相手を受け入れる気にはなれなかった。あまり山口が抵抗するので、鎖でつながれSMもどきの団鬼六の世界にまで、引きこまれてしまったのである。それからである。山口が人間不信になり、厭世的になったのは。
それから暫く経って、先生から山口が死にそうになった、と聞かされたとき、友さん、思わず“自殺”だと思った。食欲がなくなり、脱水症状になり、旭川の病院に何日も入院するほどの重症であったという。病名は、パルボウイルス感染らしかった。
友さんは、あのときはっきりと山口に言えばよかったと後悔した。山口よ、お前の考えていることは“不倫の恋”などという生やさしいものではなく、“父娘相姦”という神にそむく罪深きことなんだよ、と。