〈友さんと山口〉
倉本先生はアイヌ犬を飼っている。名前を山口という。犬にしては珍しい名前だが、本当は百恵としたかったようだけど、周囲の同意を得られず、やむなく山口になった。倉本先生ご夫妻には子供はいない。山口は本当の娘のように大事に育てられた。周囲の人も、倉本家の一人娘のように扱うし、来客の中には、先生の原稿がほしくて山口にまでゴマを擦る者もいる。いつしか山口自身も、犬であることを忘れて、自分は人間なんだと思い込むようになった。倉本家では一人っ子だからと甘やかすところもなく、厳しく躾けた。だから、一人っ子のように我侭なところもない。
山口は、倉本家を訪れる大会社の社長、大スター、天下の美女や大作家の中でも、臆するところもなく堂々としていた。ただ一度だけ、山口瞳さんが来られたときのことである。どうしたことか山口は妙にはしゃいだのだ。倉本先生、声高く「山口!コラ山口!」と怒鳴るたびに、瞳先生なんともイヤーな顔をされた。曰く「オレ、駄犬飼ってクラモトって名前付けて頭をコツコツやりてえ……」
百恵、いや山口は魅力的な娘である。スタイルもいい、顔もいい、特に尻のあたりのなめらかな曲線美は肉感的でさえある。ところが最近、この娘は人間不信になったのか、なんとなく目つきが変なのである。慣れた人にもすぐ噛みつく。〈ワタシみたいなものは生きていてもしょうがないワ〉という態度をみせることがある。こういう状態を厭世的というが、厭という字に、ちゃんと犬という文字が入っているところをみると語源は犬からかもしれない。どうして山口が、その人生(犬生か)に嫌気したり、急に人に噛みついたりするようになったのか。友さんジーッと山口をみながら考えた。山口という名前がイヤなのか。メリーとかサッチャーとか格好いいのをつけてほしかったのではないか。山口は、友さんを信頼していないのか、警戒ぎみでさえある。
友さん、オレは〈ほとけの友さん〉と呼ばれる心やさしい男だ。悩みがあるなら何でも云えよ、といい乍山口の身体に触りはじめた。友さん、豚を飼ったことがあるので、どこを触れば気持ちよくなるのか大体わかる。動物というのは、急に頭の上とか背中を触るのを最もいやがる。うなじとか胸や内腿を、そっと撫でるのがいいのだ。山口はおとなしくなった。そして、胸襟を開き、うちあけるような目になった。友さんは、山口の傍らに腰をおろした。
山口はいまだ処女である。友さんは山口が三才の頃、人間でいえば十八才になる秋に見合いをさせたことがある。友さんの家の向いにいる三浦家のラック君と。名前がトモカズでないのが残念。血統書付きのアイヌ犬で、顔だちもいい仲々の美男子であったが、ところかまわずオシッコをする癖がある。見合い当日、山口は嬉しそうにラック君に、にじり寄ったまでは良かったが、何を思ったのかラック君、見合いの相手に右足を高々とあげて、ジョーっとオシッコをかけてしまったのである。
おかげで縁談は破談になった。以来、山口の両親は娘の結婚に消極的である。そのかわり、父親は山口を愛撫し、自慰の手伝いをして、孤閨の寂しさから救わんとした。山口は充分満足し、父親なしでは喜びを感じない女に変身していた(なんとなく描写が川上宗薫になってしまった)慣れた人に、すぐ噛みつく理由もわかった。カゴメトマトジュースのCMで、先生と山口が、空知川の河原で並んでいる写真をご覧になった読者も多いと思うが、実は、あの写真をこっそりケンネルの中に持ち込んでいるというのだ。愛する父親が丹精込めて組み立ててくれた、丸太小屋風の山口の寝室を覗こうとする人に、己の秘密を知られまいとする防衛本能から、思わず噛みついてしまうという。 今や、倉本先生は山口のオナペットになっていたのである。そんな山口の心も知らずこの父親は、他のアイヌ犬と〈本番〉をさせようとしたのである。父親にすれば、犬といえども女の幸せは、子供を産み育てることだと考えたのかも知れない。だが、山口は口惜しかった。愛する人の眼前でいたすなど、〈犬畜生〉にも劣ると、必死になって節操をまもろうとした。父親は傍らで、〈山口天国!だんだん天国!〉などと叫んでいるが、どうしてもこの相手を受け入れる気にはなれなかった。あまり山口が抵抗するので、鎖でつながれSMもどきの団鬼六の世界にまで、引きこまれてしまったのである。それからである。山口が人間不信になり、厭世的になったのは。
それから暫く経って、先生から山口が死にそうになった、と聞かされたとき、友さん、思わず“自殺”だと思った。食欲がなくなり、脱水症状になり、旭川の病院に何日も入院するほどの重症であったという。病名は、パルボウイルス感染らしかった。
友さんは、あのときはっきりと山口に言えばよかったと後悔した。山口よ、お前の考えていることは“不倫の恋”などという生やさしいものではなく、“父娘相姦”という神にそむく罪深きことなんだよ、と。
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