小田島忠弘編
〈FURANIST・井上碧(いのうえ・みどり)翁〉

井上の“じっちゃん”に会った瞬間から、やさしさを感じた。やっぱり、このコーナーの最初の人をじっちゃんにして良かったと、一人納得する。一時間位、話しただろうか、まったく退屈しなかった。とにかく、おもしろいのだ。
イカダ下りの話から始める。じっちゃんこそここ数年、ものすごい盛り上がりを見せている、空知川イカダ下りの創始者なのだ。
日赤の森公園を作った人達と、空知川のことを話しているうちに、そんな話になり、『危険と費用は、てめェ持ち』を原則に、主催者なしで始めたそうだ。
じっちゃんは、勿論おもしろいからやるのだけれど「おれは、水アレルギーなんだ。露にあたっただけで、体が腫れるんだよ。それを治すための、逆療法のつもりもあったんだ」と付け加えた。
次に今年の一月、ギャラリー柿本でやった「宝物展」の話に移った。
「おれのこと、書くのかァー」とびっくりした。じっちゃんは、イカダ下りの記事の為に来たと勘違いしていたのだ。かまわず、聞きつづけた。
出品したのは、全部で21点で、掛軸、古書、埼玉県狭山にある日本一古い茶器の写真、そして、これこそ正に、貴重品、じっちゃんの畑から出た三千年前の棍棒形石器(ちゃんと本に載っている)などである。
これらは、ほんの一部で、全部合わせると、一トンぐらいの“資料”があり、今年の夏に資料館を建てる予定だったが、忙しくて少しのびるとのこと。(残念、無念) 庭に目をやると、変わった木が一本立っている。「あれは欅だ、百年経つと五百万円の値打になる。一年で五万だ。孫の代に家を建てる時の資金の為に五年前に植えたんだよ」と教えてくれた。
他にも色々な話をしてくれた。大正12年に、○髪をのばさない○貯金をする(でも、すぐ使ってしまうが)○タバコを吸わないを決心し、今もまだ守っているとか、最近、「北の国から」の置物を十勝石で作って、好評を博しているなどである。本当に、たのしい一時だった。

じっちゃんを、変人とか頑固者とか、言う人がいるが、ぼくはそう思わない。しかし、じっちゃんのように生きる人を、変人とか頑固者とか言うのであれば、ぼくは変人になりたいし、頑固者にもなりたい。
でも、じっちゃんを尊敬はしない。ただ、好きになるだけだ。


〈FURANIST・斉藤文承(さいとう・ぶんしょう)住職〉

「君にこれ、上げるよ」とだいぶ酔いが回った様子の住職が、少し照れながら一冊の本をくれた。
─愛石小説「石仏庵記」斉藤文承─と書いてある 「えっ!先生、小説なんて書いていたんですか!」必要以上の驚きは住職に多少、失礼だったかもしれないが、思わずそう、叫んでしまったのだから仕方がない。
何度かお会いしているが、小説のことは全く知らなかった。
"毀誉褒貶 人の世の瀬に止まりて 石黙念と 朽ちぬは哀し"という格調の高いイントロを経て、第一章空知川の精に入る。 石仏和尚と石を愛する人々を中心にして展開され、石を通して人の道を説く。 「座聴石声」の名句を残して、旅をする石を最後の章にして、
"しづかなる いこいなりけり 山岸に 石を撫でつつ 時経つ と思ふ"
で静かに終る。
お寺に来ると、身が引き締まる思いがするのは何故だろう?なんて、考える暇はない。住職に無理を言って時間を割いて貰ったのだ。やはり、石のことを聞く。
日本には宝石が何もないと言われているけれど、何とか北海道ぐらいは宝石が出てもいいと思い、ずい分空知川を歩いて、ついに「ヒスイ」を発見した。それをきっかけに空知川七石を紹介したら、一躍、空知川石が有名になった。また、北の峰の入口に、空知川顕彰碑が建てられた時、"ふるさとの空知川に抱かれし 石は時世を経て光あり"という住職の歌が彫られたそして、石の会を毎月一回開き、もう20年以上も続いていることなどを話してくれた。住職はけっして、自慢して話しているのではなく、ただ石が好きなだけなのだ。
「富良野を宝石の街にする」のが夢だそうで、住職自ら、自分の"工場"で細工している。「先生、今度一緒に、石拾いに連れていって下さい。そして、工場で細工の仕方を教えて下さい」と図々しく頼んだ。快く引き受けてくださった。何だか、とても石が好きになりそうだ。
これくらいのスペースでは、到底住職をあらわすことは出来ない。住職のスケールはかなり大きい。とにかく、一度会って話して下さい。きっと少し、人生が変わると思う。
別れ際、住職を見て驚いた。なんと、後光がさしているのだ。と思ったら頭に陽の光が反射しているだけだった……。