〈私的ブス論〉
我が国においては、美しくない人を"ブス"という表現で呼ぶ。この語源について長い間気にかかっていたのであるが 最近になってようやくその語源を知ることが出来た。
"ブス"というのは「毒」であった。
トリカブトから取る毒を「付子(ぶす)」といい、毒が傷口に入ると、脳の呼吸、中枢がマヒして、感情や思考力を失い、無表情になる。この無表情になった状態を"ブス"というようになったとの事である。
この二文字は、言われた本人にとって非常に悲しくつきささる。─本人を目の前にして「あなたは、ブスです」という者はいないと思うし「どうせ私は、ブよ!」などと自虐的居直りが多いであろう─美醜の表現能力の欠如した者にとっては、この上もなく便利な言葉でもある。使いたくない言葉であるが、世の中広く、残念ながら、そう呼ばざるを得ない人が、いたましく存在するのは遺憾である。
しかし我々がこの二文字を無責任に使っているようであるが、その美、顔の造作、部品の配置だけの表面的、物理的なものを指して言うのではなくして、案外するどく内面的な、つまり精神的なものに触れた後に、発する場合が多いのである。「めんこくない」という表現の方法が我が北海道に存在するが、この言葉のもつ意味は単に表面的な醜さでなく、内面的に親しくなつくことが出来ない生理的に拒否せざるを得ない状態を指して言う場合が多く、同意語として本格的である。
「天は二物を与えず」とあり、どのような人にも何か取り柄があるはずである。しかしながら、全く無い状態というのは、天にそむくことであり、恐ろしいことで罪悪でもある。ここで女子をもつ親の責任として、注意を喚起したいのであるが、表面的、物理的な"ブス"は、親の手ぬきもあろうが、脈々と流れる血筋のなせるわざであるから、いたしかたないとはいえ、ハートの部分で情緒的に豊かに、美しく、やさしく養い育むことは出来るものと信じる。また不幸にも、これらの条件を満たしていない人も、いたずらに、なげき悲しんだり、宇宙の全能の神に悪口雑言を吐く前に、自らの反省の上にたって心してもらいたいものである。激動する世において、人心の乱れすさびを見聞きするが、本来的な女性の役割として、それを期待する。
また、明るい豊かな社会の建設にも、呼吸中枢をマヒさせるトリカブトの「毒」は不要である。
|