茶畑和昭編
〈エトランゼ〉

「私は顔が丸いので、よくポールアンカと言われるんです」と倉本先生。なるほど、そう言えばボールアンカに似ている。妻が「あんたの思っているのとは、アンカ違いよ」オレは、手足を暖める丸い行火(あんか)だと思った。「チャバは俳優で言えば、ヘンリー・フォンダかな」と倉本先生。その夜、歌手の高橋真梨子さんと食事をした。その時ご一緒の方が、ペドロ&カプリシャスにいた ヘンリーなんとかさんですと紹介された。あ、この人が、「ヘンリー本田」さんか。……?
なんとオレは無知なのか。とくにヨコ文字が弱く恥をかくことが多い。いまだにアンチの意味がよく分からない。「チャバは、アンチ巨人か」と聞かれ、答えられずにいると「口にしたくないほどキライか!」とくる。好き嫌いではなく、分からないだけである。
得意先の若い娘さんが「すいません、ブタチン下さい」とよく店に来る ブタチンとは、正式にはコーチスクリューといって、木ネジの大きなものだ。その形が豚のオチンチンに似ていることから、俗語でそう呼ばれている。オレはその娘さんに本当の名称を言えずにいる。
フジテレビの美術プロデューサー氏、前日にオレを茶畑さんと呼んでいたのに、翌日会うとオレを「仲世古」さんと呼んだ。その足で、一緒に仲世古さんに会いに行くことになった。仲世古さんを何と呼ぶのか楽しみだった。が、なんと、本人にもやっぱり仲世古さんと言った。
この人本当は気づいているはずなのに、帰りにオレをまた仲世古さんと呼ぶではないか。オレも黙っていた。こういう人は、オレは好きになれそうだ。お互いに、いたわりあえそうだから。
話は少し変わる。地球の大洪水の時、「ノアの箱船」の船長、ノアさんは地球が永遠に絶えぬことを願って、地球のあらゆるもののツガイ、♀♂を船に乗せた。出航まぎわに、「善」さんが私も乗せてときた。ノアさんが一人では駄目だ、ツガイで来いと言った。善さん慌てて「悪」さんを連れてきた。このため、この世に善悪があるらしい。そのほかに船底に隠れて乗った奴もいた。「本音君」「たてまえさん」それと、ひとつ板を隔てて一人乗った「ミスタージョーク」。本音君、たてまえさんは東洋に降り、ミスタージョークは西洋に降りた。だから、日本人とアメリカ人が会議をすると、日本人は本音とたてまえを使いわけ、アメリカ人はジョークで切りかえすのだろう。
オレのオジにあたる市会議員は二百名あまりの会議の席で「こんなに仕事が遅いのでは、ノロイゼーになりそうだ」と言った。ジョークではなく、ノイローゼをそう思っていたのだ。その時の出席者は誰一人として笑わなかった。明治の人へのいたわりだったのだろう。
日本人どうしの話し合いの中で、よく本音とたてまえで議論になることがある。そんな時、本音とたてまえの間に、いたわりがあれば、ジョークになるのです。もともと本音、たてまえは、板わけ(いたわり)て、ジョークとは密航者同志なのだから。
ある時、オーストラリアに行くことになった。オレは英語ぐらい話せると日頃から言っていた。同行の人方も少しは出来ると思ったらしい。飛行機の中で入国手続きのカード記入の時がきた。同行の人に今更英語が読めぬとも言えず困った。仕方なく隣の外人(エトランゼ)のカードを盗み書きすることにした。外人の寝ているスキに、一字も間違わないで書くことに成功した。安心したかオレも眠りに入った。やがて、憧れのシドニーに着いた。税関での入国カードのチェックの時、隣にいた外人がオレを「ミスターチャバ」と呼んでいる。先に手続きをしろと言っているようだ。なんでオレの名前を知ってるのか?カードを見るとNAMEのところが訂正してあるではないか。K・CHABAと。なんと恥ずかしやオレは自分の名前の欄まで、外人の名前をそっくり写してしまったのだ。エトランゼはオレの寝ている間に、オレのバックのネームを見て、そおっと書き直してくれたのだ。おかげで無事パスした。出口でにっこり「バイ、チャバ」ときた。「プリーズ、サンキュー、エトランゼ」とオレは心でお礼を言った。
少したって、オレは英語よりスペイン語が得意だと、みんなに言っていたことを思い出した。いつかはスペインに行くかも知れないと思いゾッとした。それからはスペインのことを聞かれたら、「アンチスペイン」と答えることにした。 これを読んで皆さんはオレが本音、たてまえ、ジョークの意味を少し取り違えてると思うでしょう。しかし、皆さんに、もし「いたわり」の心があれば、オレの無知(無恥)を理解していただけると思うのだが……。


〈平凡な家庭のよくある話〉

28年前……
帳面(ノート)8冊、エンピツ2箱、下敷2枚。それがその日の運動会の獲得賞品だった。総額330円は、当時の親父の日給と同じぐらいだったと思う。個人競技はすべて一位だったが、帳面は前の年より6冊も少なかった。PTAの決まりで、子供が劣等感をもたないように、団体競技を増やしたからだ。帰り道、母親の顔が浮かんだ。「こんだけしか、稼いでこんのか!ちゃんと真面目に走ったのか!」。市街に戻り、高橋クスリ屋で、少し残した弁当代で帳面7冊を買った。店陰にかくれ、帳面に巻かれた一位の赤い帯をはずし、買った7冊とまとめてご飯ツブで留めた。子供ごころに複雑な気持ちだったのを憶えている。
母にとって勉強はどうでもよく、運動会の一位と学芸会の主役を一番喜んだ。何年生かの学芸会で「めくらのジョセフ物語」の主役をやり、“おひねり”を貰ったことがある。その時、母はとても喜んで神棚に上げた。もちろん、そのお金は私の手には戻らなかった。そのころから私は感謝の気持ちは、言葉より「物」の方がいいと思うようになった。
家には誰もいなかった。母もまだ山(畑)にいるはずだ。賞品を母の座る飯台の上に置いた。運動会の疲れがでたのだろう。帳面のことは気にかかったけれど、敷きっぱなしの布団に潜った。母の喜んだ笑顔が浮かんできた。布団の隙間から差し込む西陽が、ただんだん涙で歪んだ。
そして現在……
学校祭も体育祭も意味がないと、高校三年の息子が学校を休む。大学進学で妻も隣近所の奥さんも我がことのように騒いでいる。「少し、あなたも真剣に考えてよ。○○さんの旦那さんなんか……」と、朝から一喝して、参観日にお出掛けの妻。「へ、大学より運動会や学芸会の方が大事よ」と小声で独り言。新聞紙をはぐって、独りで食う冷えた食卓。「なにが大学だ」テレビもつけずにソファーにゴロ寝。うつらうつらしてたら昼を過ぎてしまった。窓の隙間から西陽が差していた。朦朧としたなかで28年前を思い出した。
「かあちゃん、帰ったん?」「父さん、なに寝ぼけてるの」息子の顔があった。「父さん、ぼく今日進路決めたよ。弘前大学の哲学科にいこうと思うんだ」「そうか、テツガクか。行くのはいいが、就職が大変だな。"鉄学"ならうまくいって新日鉄、下手したらその辺の鉄工場しかないぞ」「…………」「だけどナー、学問もいいけど、運動会や学芸会も大事だぞ」「ウン、分かった。父さん、今日は仕事しないの?大学はお金かかるよ」
何事もない春近いごく普通の家庭。