吉 本  昭 雄   NOV 21,1946(よしもとあきお)
吉本さんは竹を“ヨコ”に割ったような性格だ
吉本さんほどおもしろい人を見たことがない。おもしろいというより、「おっかしい」に近いかもしれない。
初めて会った時の衝撃を今でも忘れない。吉本さんとも青年会議所で知り合った。そのJCの集まりの時で、吉本さんにスピーチの順番が回ってきた。JCでは人前で話せるようになるための訓練として、そういうことをよくやる。中央ハイヤーという富良野周辺では一番大きなハイヤー会社の専務をしていて、風貌もどちらかといえば落ち着いたしっかりした感じの吉本さんのスピーチなのだから、含蓄のあるきちっとした話だと思っていた。ところが吉本さんが指名されると会場の雰囲気がにわかに変わってきた。いきなり野次も飛ぶのである。真面目にやれよー、またウンチの話かー。そして、エヘヘヘヘヘと人を食ったような薄ら笑いを浮かべながら始めた話がやっぱり「ウンチ」のことなのだ。なんだコイツーっていう感じで話を聞いていた。内容は、ものすごくでっかいウンチを水洗トイレでした。いくら流しても動かないので、仕方なく紙を丸めてウンチのうしろを押してやった。やっと流れてやれやれ良かったと思ったら今度は前にひっかかってしまった。 本当にひどい目に会ったがそれ以来どんなに偉い人と会って偉そうなことを言われても、自分みたいなあんな"でっかい"ウンチは出来ないだろうザマーミロと思うと、気後れしないで済むようになったという話。子供の時に野っぱらでウンチをした。その時も太くて長いのが出て地面に突きささってしまった。ウンチはそれ以上地面に入り込んでいかず、ふんばる度に逆にウンチで押されてお尻が浮いてきて、とうとう頭が地面についてしまった。よくもまぁこんなくだらない話を覚えていたもんだ。それから吉本さんをウンチ野郎の間抜けな奴と信じて疑わなかった。

ところが吉本さんが茶畑さんたちと昭和57年に「丸太小屋を守る会」を作り、その会長になったころから吉本さんに対する考え方が変わってきた。ぼくもこの会には茶畑さんの関係もあって初めから参加していた。丸太小屋を守る会も一見いいかげんな会に見える。吉本さんは自分で勝手に会を作り、勝手に会長になり、勝手に会員を選んで、勝手に設立総会の案内状を出した。案内状を受け取った人は何がなんだか分からないまま「丸太小屋」に集まった。丸太小屋はドラマ「北の国から」で、田中邦衛扮する黒板五郎がその子供達、純と蛍の二人と力を合わせて建てた彼らの住居。吉本会長はその丸太小屋で会設立の経緯と主旨を発表した。またいつものエヘヘヘヘヘから始まった。
「エヘヘヘヘヘ、みなさまご存じの通りこの丸太小屋には信じられないほど全国から大勢の人が来ています。来てくれた人達に少しでもいいから何か役にたつことをしたり、丸太小屋の運営管理をしようと思いこの会を作りました。エヘヘヘヘヘ、守る会はただ単にそれだけではなく、『北の国から』で描かれている精神を受け継いで色々なことをやっていく会でもあるのです。大切なことは、会員一人一人が『北の国から』の精神を考えて生きていくことですよ、エヘヘヘヘヘ」。
発足以来いままで、年に何回かの総会が丸太小屋で開かれ、「北の国から」の精神を確認している。もっとも確認すると言っても、みんなでワイワイガヤガヤ騒ぎながら酒を飲んでいるだけなのだが。最後は会長が酔いつぶれて寝てしまい、呆れかえりながら散会になる。

吉本さんの酔っぱらい振りは伝説になるほどバカバカしい。北海道でも寒い地方と言われている富良野でも特にシバレた夜に、吉本さんと日里さんが酒を飲んだ。翌日の朝、吉本さんから日里さんに丁重な電話がきた。昨夜はどうもありがとうございましたと。日里さんは何のことだが分からず戸惑っていると、吉本さんは、日里さんに送ってもらわなかったら危なく凍死するところだった、僕は前後不覚に陥って何も覚えてないと言う。日里さんは慌てた。夜中の二時ころ、まだまだしつこく飲む気配なので、きちんと断わって先に帰宅したのだった。その話をすると吉本さんは烈火のごとく怒った。「僕は日里くんが一緒に飲んでくれているから安心してあそこまで酔っぱらったのに、たまたま家に帰れたから良かったものの、もしかしたら今ごろ何処かで、凍死していたかもしれないじゃないか!」。本人自身も酒にまつわる面白い話を文章にしているので、後で紹介します。吉本さんの文章はちょっとすごいよ。

いま丸太小屋はぼくがやっている「麓郷の森」の中にある。
ドラマの中で純の不注意が原因で焼失してしまったのを機に、最初に建っていた場所から昭和59年に移したのだ。焼失したのは本物そっくりのセットだった。昭和56年に建ってから現在まで「現役」でいられるのは、吉本会長率いる丸太小屋を守る会のおかげと言っても過言ではないと思う。丸太小屋にはいまも年間20万人以上の人が訪れているし、日本夜味なべ協会や麓郷ラングラウフ大会などの催しに毎年使われている。

吉本さんは「名」をとるより「実」をとるという考えの持ち主だと思う 誰か真面目な人が何かをやろうと呼びかけるとすると、呼ばれた方も身構えてしまって大げさなことになってしまい、結局うまくいかない。その点いいかげんな奴と思われている人、この場合吉本さん、が呼びかけたなら誰も身構えることもなく、むしろ可愛そうだから行ってやろうとか、手伝ってやろうという人が出てきてくれる。
もちろん吉本さんはいいかげんな人ではないが、そう思われてもいい、いやそう思われた方が、色々なことがやり易いと思ってる節がある。あの酔っぱらい方を見てるとそう勘ぐりたくもなる。ぼくの考え過ぎか。とにかく、つき合えばつき合うほど訳が分からなく人であることは間違いない。
最近何を思ったのか、新しいタクシーとして電話付きベンツを入れた。富良野の周辺では見たことのない高級車だ。噂によると、富良野には各層から偉い人や著名な人がやって来る、タクシー会社のサービスとして電話付きベンツの一台ぐらいなくては富良野の恥だと、倉本先生に言われたのがキッカケらしい。年の暮れに、「忘年会を考える会」の名で一枚の案内状が届いた。新富良野プリンスホテルの12階のバーに集合となっている。例によって、何がなんだか分からぬままに行った。
いつものメンバーと若い人が併せて十数人めかしこんで飲んでいた。話を聞くと、ぼくらのメンバーはだいぶ年齢が上がってしまい、最近パワーがなくなっている。それで生きのイイ若い奴と一緒に飲むことはお互いのために良いと、外崎くんが仕掛けたということだった。それじゃ飲もうかと思ったら、いまから焼肉「やまどり」に行くと言う。なんのことはない、吉本さんが新しく入れたベンツに乗せるためにわざわざプリンスホテルに集めたのだ。もちろん怒った人は誰もいないし、会が盛り上がったのは言うまでもない。吉本さんを想う後輩がいる限り、吉本さんは不滅です。吉本さんも酒ばかり飲んでいないで、後輩のために、富良野のために頑張ってほしい。