吉本昭雄編
〈三畳間〉

あなたは、昔のことで人を入れ違って記憶していたり、昔想像したことが日がたつうちに、本当のことと思いこんでしまったことがありませんか。
もう十五年以上も昔のことです。
その頃、私は大学の授業にも出ず、二階の下宿の三畳間の部屋で、窓にはスポンジのマットを張り付け、真暗にして一日中酒を飲んでいました そして、性に関心を持ちはじめた頃です。
雑誌を読むと避妊について書いてありました。「朝、目がさめるとすぐ婦人体温計で基礎体温を計って表につけ排卵日を調べる」とは、どんな体温計なのか?排卵した時を調べるのであるから、子宮の温度を計るはずである。となると、体温計の "はさむ "? "入れる "?場所は決まっている。
しかし、奥に入りすぎて取れなくなったらどうしよう?決まっている。入りすぎないように "つば "がついているはずである。そして普通の体温計より長いはずである。
それ以後「基礎体温計」「婦人体温計」の文字を見るたびに、頭の中でその姿、形がはっきりと思い浮かんできた。
若い女性が早朝ふとんの中でその体温計をはさみこみ、足を広げぎみにして、じっとしている寝姿を想像した。何故なら、つばがあるので足は少し広げぎみになるし、じっとしているのは変に動いて中で折ってしまったら大変だからである。 間違いなく存在するものと確信していた。
そんなものではないと分かったのは、ほんの数年前です。まだお目にかかっておりませんが。


〈BAR琥珀〉

あなたはある会社に訪問し、人と話をしていて、たとえば相手の名を間違えて話をしていたのを途中で気づき、アッアーと思いましたが、そ知らぬ顔で話をしながら相手の様子をうかがうと気のせいか相手は、訂正するタイミングを失ったのか、なんとなく気まずい顔をしている。私も今さら訂正するわけにもいかず、そのまま気まずい思いをしながら別れてしまったとか、相手の上司と部下を取り違えてしまい、しまった、と思ったがそ知らぬ顔でごまかしてしまったような経験はありませんか?
もう十八年も前、大学一年十八歳の時です。私は千葉の市川市の郊外に下宿したことがあります。その下宿は新しい下宿で日本各地よりきた一年生ばかり十五名がはいっていました。
初めはお互いぎこちなかったのですが、少しうちとけだした六月頃です。みんなでバーに飲みに行こうということになりバスで街に出かけました。みんなバーに行くのは初めてでした。
バーに入りボックスに座ると右側に女性が身体をピターとひっつけて座り私の方へしだれかかりました。小太りの女性でした。ギコチない会話をしながら右手を背中側に回し降ろし、お尻の辺をさわりました。しかしいやがらないのです。
私はその気になって少し緊張しながら少し手を上げました。するとチブサがあったのです。そおーっと恐る恐るさわりました。それでも女性は知らんふりしながら私と話をしているのです。私は会話をしているのですが頭の中はカラッポです。全神経は指先にいっているのです。「なるほどこれが女性の胸か」などと思いながら少しづつ大胆になっていきました。本当に盛り上がりました。
しばらくする内に私の想像していたチブサと、ちょっと違うのに気がつきました。少し横に長すぎるのです。アレー?と思いながら手を少し上げると "なんと! "あったのです。上に本物が!
そ知らぬ顔で帰りました。
その後まず肩に手をおき、そして手を胸に降ろしていくような用心深い男になった。


〈罠〉

詐欺のワナには、自分に自信を持っている人、用心深い人がかかりやすいそうです。詐欺ではありませんが、ワナにはまったことがあります。
数年前知人の息子さんが結婚するので、披露宴でカンパイの音頭をとってくれないかと頼まれました。私は何度か祝辞もしたこともあり内容は別として、あまり上がらない自信がありました。たかがカンパイの音頭です。「誠にセンエツでございますが、ご指名ですので……」と形どうりにしようと思い安心していました。
当日、会場に行き新郎の名を見ますと佐藤文雄さん「なるほど佐藤文雄さん、間違ったら大変。佐藤文雄だな」と考えている内に、フッと「渡辺文雄」という名が浮かび上がってきました。
あのテレビ "くいしんぼうばんざい "か、なにかをやっている(当時)人です。ワタナベフミオという名の方がすごく言いやすいのです。急に不安になってきたのです。間違ったら大変。「ワタナベでなくサトウだ。渡辺文雄でなく佐藤文雄だ、サトウフミオだ、サトウフミオだ」と待っている間中考えつづけてました。
そこで「ではカンパイの音頭を吉本様にお願い致します」
マイクの前に行くまでも「サトウだ、サトウフミオだ。ワタナベフミオではなく、サトウフミオだ」と考えつづけました。マイクの前に立ち「誠にセンエツではございますが、ご指名ですのでカンパイの音頭をとらせていただきます。おめでとうございます」と言う気でした。
そして「マコトに……」と言うつもりが、「ワタナベ!」と言ってしまったのです。アッ、しまったと思いましたが、知らんふりしてそのままつづけていきました。つまり「ワタナベ、マコトにセンエツでございますが、ご指名……」とです。そして言いつづけている内に、私は気がついたのです。大きなワナがあったことを。
ワナは "誠 "にあったのです。私の親しい友人に、ワタナベマコトがいたのです。


〈穴場〉

あなたはその人のことを迷惑ぐらいに考えていたが、後にその人が本当は自分のことを考えていたことを知り、感謝し、恥いってしまうようなことがありませんでしたか?
ほんの数カ月前、友人と札幌のススキノのホテルに泊まったことがありました。夕方友人はどこかへ飲みに行き私は二日酔いで寝ていました。
十時過ぎに、その友人より部屋に「もう直っただろうから出てこいよ」とTELがありました。私も出かけることになり、友人と待ち合わせることにしましたが、私はススキノをよく知らないのでホテルの横の通りを、私がこっちより行き友人が向こうより来れば、どこかで会うだろうということにしました。
その通りは "呼びこみ "が多い通りでした。「社長、社長いいところあるよ」「お客さん三千円ポッキリ……」「お兄さん行くとこないの……」街頭のスピーカーで「ススキノは健全な街です。呼びこみの店には入らないように……」と言っております。“呼びこみ”を無視して、さもススキノをよく知っていて、ちゃあんと行く目的の店があるようなフリをして足早で行きました。
しかし、しつこい "呼びこみ "のお兄さんがいたのです。手を振って「いやいや、行く所があるから」と通りすぎようとしても「お客さん、お客さん」とついてくるのです。私はちょっとムッときて「ぼくは行かないよ!」と言ってやろうと立ち止まりました。
するとそのお兄さんは、スッと私の横に来て、さも「秘密の穴場」を教えるような感じで、私の耳元に口に手をそえ、小さな声で「お客さん、前があいてます


〈心の拠り所〉

人には "心の拠り所" というのがあります。それがあるから、最後までキズつかず、落ちこまず生きていけるのではないでしょうか。
あなたは自分が気が狂ったのではないか、と思うことがありませんか。私はよくあります。そして、その時の "拠り所 "も、もちろんあります。
─それは─
私が満三歳の時、近所のおばさんに母が「あきおちゃんちょっと変でない?病院で見てもらったら?」と言われたことがあったそうです。「えっ!」と思い、あらためて他の子供達と比べて見ると、やっぱり変であった。言葉をしゃべれない。慌てて、札幌の北大病院の精神科に連れてったそうです。そして結果は「知能は大丈夫。ただ、話しかけたりして会話をなるべくする様に」と注意されて帰ってきた。
もう一回あります。小学校三年生の時、寝ていると障子に "きのこ "が見えだしたのです。親は前回のこともあるので慌てて、又北大へ連れていきました。またもや頭は何ともない。理由は目のせいであった。
"心の拠り所 "というのは、本人にとっては間違いないものかも知れないが、他人から見ると、たわいのないのが多いのは私は知っています。しかし、この私の "拠り所 "は違うと思っていました。気が狂った人は自分が狂ったとは気がつかないというが、私はいつも、気が狂っていると思っている。その上、二回も精神科で、大丈夫と診断された!二回も!「だから僕は正常だ!」と私の妻、朝子に言った。
ジロッと見て、「誤診というのを知らないの?」


〈M夫人〉

(1)
あなたは人の会話を小耳に挟んで、すごい話だと勘違いしていて、後で本当のことが分かって「なあーんだ」という様なことが、ありませんでしたか。
こんなことがありました。
十年ほど前、私が会社に入社してすぐ、会社の創立記念パーティがありました。二次会で夫人同伴となり、みんなダンスをしたり、おしゃべりをしておりました。私といいますと、新人で誰もよく知らず、ただ一人で水割りを飲んでいました。そうしているうちに、隣に座っているM夫人のしゃべっているのが耳に入りました。「……この頃ダメなのよ、あの人も私も太っちゃって、おなかがつかえて……」ええッ、なんということを。女性も結婚すると、こんなことも人前でしゃべるのか!とびっくりしました。酒のピッチが上がり、悪酔いしたのを憶えています。 しばらくしてから、その話はダンスの話であることが分かり「なあんだ」となりました。
しかし、どうしてダンスの話だと分かったのだろうか。今でこそMさんと親しくなり、Mさん宅へ飲みにいったりし、M夫人とも話をするようにはなりましたが、ダンスの話だと分かった頃、まさかM夫人に「いやあ、あのときはすごいことをいってましたね」と言うはずがないのです。本当にあれはダンスの話だったのだろうか。
その頃、私は独身で、M夫人はきれいであり、私の好きなタイプであったので、M夫人を神聖化し、M夫人はそんなことをいうはずがないと思い込み、信じたくて「ああ、あれはダンスの話であったのだ」としてしまったのでないだろうか。しかし、M夫人と話をするようになった今、考えると、M夫人はダンスでない意味でいったような気もする。
何が何だか分からない。

(2)
あなたは前の晩大酒を飲んで、翌朝大事な部分の記憶がなくなっていて「何か変なことをしたのではないか?」と不安になったことがありませんか。そして若い頃より年を取った方が回数が多くなっていませんか。
ある部分だけ忘れてしまうのは、ただ単に酒を飲みすぎるため、そして年を取るにつれて酒が弱くなるので忘れる回数が増えるのでしょうか。本当でしょうか。違うような気がします。大酒を飲んで正気では考えられない様なバカなことをしたとき、これを翌朝憶えていたら、悔やんで寝込んだり、蒸発したり、自殺したりするので、大変だということで無意識のうちに記憶を消してしまうのではないでしょうか。安全弁の役割をしているのではないでしょうか。だから、年を取れば取るほどやってはいけないことが増えるので、年を取れば取るほど忘れる回数が増えるのではないでしょうか。
こんなことがありました。
先日、先輩のMさんと飲んでいたときです。街で腹いっぱい飲んで、それから飲みなおそうということになり、Mさん宅にいきました。夜中十二時をすぎてました。寝ていたM夫人を起こして三人でL型のソファに座って飲んでました。M夫人は私のすぐ右、Mさんは私の左ななめ前、バカ話をしながら飲んでいるうちに「ゴーゴー、ガーガー」Mさんが酔いつぶれて寝てしまいました。M夫人は私のすぐ右に、寝間着の上にナイトガウンを着て座っている。
「しめた!」と思いました。
そして朝、目が覚めたら自宅のフトンの中。「アレェ」と思いながら、いくら思いだそうとしても「しめた!」のあとの記憶がない。フトンの中で考えました。「Mさんがイビキをかきだしたとたんに "しめた "と思った」
絶対に何かをしているはずである。
たとえば、それとなく右手をM夫人の膝に置くとか─となれば右手をつねられているかもしれない。右手を触って見ると、なんでもない。色々な場合、場面を考えて身体中をフトンの中で調べても、痛い所はない。もし変なことをして怒られたのなら、意気消沈して帰ってきているはずである。恐る恐る、隣で寝ている妻に聞きました。
「ぼくが帰ってきたとき、どうだった?」「なんだか知らないけど、すごくハシャいでいたわよ」何か良いことがあったのだろうか?としたら忘れたのがくやしい。
その後、M夫人には会っていません。

(3)
あなたは通いなれた酒場や友人宅で、気をゆるしすぎて飲みすぎ、翌朝 記憶はさだかではないが何か変なことをしたかもしれないと不安におちいったことがありませんか?そして失礼なことをしたのが間違いないのなら、その後その人に会ったときの対応のしかたもあるのですが、本当にしたのか、してないのか。何かがあったが怒っていないのか、怒っているが態度にあらわしていないのか、今怒っている風であるが前のことで怒っているのか、それともちょっと前に何かあって気分がすぐれないのか、何が何だか分からない。それで、なんとなくその人や酒場から遠ざかってしまうというようなことがありませんか。
だいぶ前、Mさん宅で飲みすぎて、後半よく覚えていないがM夫人に失礼なことをいったり、したりしたかも知れないということがありました。
M夫妻にはその後会う機会がなく、又それとなく遠ざかっていましたが心には残っていました。
先日、M夫人に札幌駅地下街でバッタリ会いました。汽車までの時間があったので「お茶でも」と喫茶店に行きました。しばらく雑談をしてましたが、私の冗談によく笑ってくれるし「昨日吉本さんも札幌にいたのが分かっていたら一緒に飲んだのにね」と言ってくれたりして、前のことを(なにかがあったとしてですが)気にしている様子もなくホッとし、胸のつかえがなくなりました。そして気分がよくなって、「面白い映画やっているので映画見て帰ろうかどうか迷っていたんですが、どうです一列車遅らせて映画見て帰りませんか」とM夫人に言いました。
そうすると、M夫人は即座に「吉本さん見ていきなさい。私帰るから!」
私は奥さんの顔を見ながら考えました。普通なら映画を見たくなくても ちょっと考えたふりをしてから「残念だけど私富良野で用事あるから……」と、それとなく断わるのではないだろうか。即座にビシッと「吉本さん見ていきなさい。私帰るから!」と言うことは……。「やはり顔には出していないけれども、あの時何かあってそのことを怒っているのだなあ」と気がつき、そしてどんなことがあったのか、不安がまた広がりました。家に帰り、「おれやっぱり変なことしたのかなあ」と我が息子大悟にオッパイを飲ましている妻に言いました。
「ただ、人の奥さんを映画に誘うのが非常識なだけよ」


〈ぼくと父と祖父の話〉

私には三人の子供がいます。この頃、教育教育とうるさすぎませんか?家庭内で何か問題があると「親が子供の目まで下って考えよう」とか、「お話し合いで解決」というのがはやってませんか。子供に気を使いすぎるのではないでしょうか。昔は子供に対して─ 愛情はもちろん今と同じようにあったであろうけれども ─親の都合だけで子供を使って(仕事を与えて)いたと思われる。それが自然に教育になっていたのではないだろうか。これは私の家だけだったのだろうか。
昔は、昼でも酒好きなお客には「お茶代わりに」と、湯のみ茶わんにお酒を出したものです。お客は酒好きですから、もちろん一パイでは終らない。
私が四、五歳のころ、父が用事をしに行くとき、よく母に父と一緒に「付録」として行かされた。そしてそれが重要な私の仕事であり、しなければならないこともそれとなく感じていたような気がする。行った先でどうせ一パイ出される。一パイが二ハイになり長くなる。すると、私があきて「帰ろう、帰ろう」とぐずりだし、まだ飲み続けていると、私が泣きだし、うるさいので帰らざるをえない。父も色々前科があるので、しぶしぶ私がついて行くのを認めざるをえなかったらしい。でも、家を出るときのこんな会話をかすかに憶えている。「あんまり飲みすぎないでね」「まだ飲んでいないのにそんなこと言うな!」「飲む前でないと言うときがないでしょう!」「言うときがないなら言うな!」
こんな話もあります。
私の父五郎が子供の頃(60年ほど前)祖父は造材をやっていて、よく山へ連れていかされたそうです。そして祖父は日本刀を肩にななめにしょい(佐々木小次郎のように)父を先に歩かせたそうです。「おれの親父はどうもならなかったじゃ、熊がおっかないんで、自分は刀を持って、おれを熊のえさ代わりにズッと先を歩かせるんだからなぁ」。この話を我が小田島編集長にいうと「吉本さんそれはないわぁ、そんなはずないしょ自分の子供を。それは五郎さんのホラだわぁ」言われてみればそうである。いくら子供が沢山いても(13人兄弟)ホラくさい。先日五郎さんに聞いてみた。「とうさん、子供の頃じいちゃん、とうさんを先に歩かせて山に上ったって本当なの」「本当だぁ、一回なんて道に笹が覆いかぶさって先がゼンゼン見えないのよ。おっかなかったぁ。かがんで手で笹を払いながら行くとな、小さな沢に出たんだ。水を見ると濁ったのが流れてくるんだ。あっ、すぐ上流に熊がいるってぇんで、パッとそこらで一番高い木に登って逃げた」「おじいちゃんに、熊がいるの教えたの」「いいや」「……?」