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私は年齢が20代後半から30代の終わりころまで、ブームだったこともあり、よくカラオケで仲間と歌っていた。 当時の富良野はカラオケボックスが主流ではなく、スナックが主なステージだった。 私が好んで歌っていたのは、サザンオールスターズ、安全地帯、井上陽水、吉田拓郎などで、曲としては「いとしのエリー」「恋人も濡れる街角」「ワインレッドの心」「大阪で生まれた女」「リバーサイドホテル」「おきざりにした悲しみは」「悲しい色やねん」など。 昨年の11月に富良野高校時代の親友2人+地元の同級生の女性2人とカラオケで歌うことになり、久し振りに私が“熱唱”したのだが、親友のひとりが「小田島って、音痴だったよなぁ〜」と、まさかの発言。親友2人は高校時代にはギターも弾けて、歌も上手かった。まあ、ちょとしたスターだった。ギターの弾き語りのスターの親友からみれば、私が音痴だったと思っていたとしても仕方がない。 しかし、65歳を過ぎた3人では、今や私が一番上手に歌えたようだ。おそらく、親友2人は高校を卒業と同時に歌うのも卒業したのだろう。私はたまたま友達や仕事仲間とカラオケで歌わなければならない環境にいたので、それなりにレコードやCDを聞いて歌う練習をしていた。 その後にたまに歌う機会があったら、“昔取った杵柄”で前述の持ち歌を歌ってきた。それが、昨年に買った矢沢永吉のCD「いつか、その日が来る日まで…」 を聞いているうちに歌いたくなり、カラオケのために練習を始めている。 何年か、いや何十年振りの私の新曲になる。ただ残念なのは現在はコロナウイルスの感染防止のためにカラオケ店はクローズしている。 まあいい、来るべき“デビュー”のために、今は練習を続けよう。 |
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