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ジャズを聞こうと、とりあえず12枚のレコード(CDじゃない)をピックアップした。 今朝聞いたのは、ドラムのジャック・ディジョネットのリーダー作の「スペシャル・エディション」。 録音が1979年と書いてあるので、おそらくリアルタイムで買ったレコードだと思う。1975年に大学を卒業し、そのまま東京で4、5年就職して、それから富良野に戻ったので、東京で買ったか、富良野に戻ってきてから買ったのかは、分からない。ちょうど、ギリギリの時期だ。その頃は私の人生において、もっともジャズに熱中していた時期なのは間違いない。 もし、富良野で買ったのなら、今と違ってインターネットが無い時代なので、富良野のレコード店に注文して取り寄せてもらったと思う。 このジャケットは特徴的なので憶えていたが、演奏については憶えていなかった。買った当時何回か聞いて、その後は聞いていないのかもしれない。こういうレコードやCDは沢山あると思う。新たに買わなくても新鮮な気持ちで聞ける。これは私の“老後の楽しみ”のひとつになると思う(でも、明日68歳になる私の老後っていつ?)。 「ちょっとジャズを聞こうかなぁ」となると、やはり聞きやすいピアノトリオとか親しみのある曲が入っているのとか、まぁリラックス出来るものを聞いてしまう。 このレコード「スペシャル・エディション」はフリーではないが、どちらかというと過激な演奏なので、それなりに身構えないと聞けない。 私はある意味、過激な演奏の代名詞であるサックスのジョン・コルトレーンからジャズに入り、今でも一番好きなジャスミュージシャンはと聞かれたら、即座に「ジョン・コルトレーン」と答える。 “過激な演奏”というのは、聞く人に音楽を聞かせたいというより、演奏者の意思というか、思いというか、主張というか、「オレはこうやって演奏してきた、こうやって生きてきた、オレと一体になろうよ」みたいなに感じる。つまり、たまたまジャズだというだけで、演奏者にとってそれは表現の手段で、演奏を聞かせるというより、自分を表現しているのだ。それで、「ジャズでも聞こうか」なんて気軽な態度で過激なジャズを聞いてしまうと、「なんだこりゃ!」になってしまう。 それで、素晴らしい表現者のジャズに出会うと、音楽以上の感動を受けることになる。「スペシャル・エディション」のジャック・ディジョネットのドラムを聞きながら、そんなことを考えた。 このレコードを聞いていたら、チャーリーミンガスを聞きたくなった。それで、「Me Myself & Eye」をプレーヤーにかけた。 このレコードはチャーリーミンガスのラストレコーディングで録音は1978年。この時代にはまだまだ色々なジャズがあったような気がする。 ボブ・ジェームスやデイヴ・グルーシンに代表されるフュージョンが台頭してきたのに、ジャズの巨匠のチャーリーミンガスがこんなレコードを録音したのだ。 現在はあらゆる分野が多様になっているが、すべてが商業ベースになっているような気がする。ジャズは売れても売れなくても、その時代の新しい息吹というか、情熱というか、気持ちというか、そういうものを録音したい、残したいという気概が伝わるレコードやCDがいっぱいあった。私は本当に恵まれた時代に育ったと、最近は特に思う。 それで、古いレコードや本をもう一度新鮮な気持ちで聞いたり、読んだりしようと思う。もしかしたら、今後の世の中の進むべきヒントがあるかもしれないと、密かに思っている。 |
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