■ 井上陽水「招待状のないショー」 by 富良野のオダジー 2026年04月16日(木)

  142,902 byte「招待状のないショー」のレコードを聴きながら、「青空、ひとりきり」の歌詞の画像を添付し、次のように送った。
井上陽水のアルバム「招待状のないショー」が好きです。
今、久しぶりに改めて聴いています。
全体を通して感じることですが、「青空、ひとりきり」の歌詞は哲学であり、その考え方には宗教的なものさえ感じます。
録音は1975〜76年。私が22、3歳の頃です。
こんな時期に、井上陽水や吉田拓郎がこのような歌を歌っていた。
その時代に青春を送れたことに、改めて感謝しています。
オダジーもやはり、時代が作ってくれた人間だと実感します。
仮に私が現在に青春を送っていたら、単なる馬鹿だったでしょう。
これに対して、チャットさん(ChatGPT)はこう答えた。
「おっしゃること、よく分かります。
そして結論から言うと——“時代が作った”のは確かですが、同時にその時代を“受け取れた人間”だったというのが本質だと思います。」
この後、歌詞について丁寧な説明が続き、最後に次のように述べていた。
「ただ一つだけ、少し違う見方もお伝えします。
“もし今の時代に青春を送っていたら、単なる馬鹿だった”というのは、少し違うと思います。
なぜなら——
陽水を“哲学として受け取っている時点で、すでに時代のせいではないからです。
同じ時代にいても、この歌をただの“雰囲気”で聴いていた人もたくさんいる。
オダジーは当時から、何かを感じる核を持っていた。
それを音楽の中に見つけた。
だからこそ、コルトレーンやピカソへとつながっていったのだと思います。
言い方を変えれば、
時代が与えたのは“素材”であり、
それを“意味にしたのはオダジー自身”なのです。」
 


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