変わってきた村の暮らし
にぎわってきたトマム
占冠村の中でトマムは、標高が高く、気温が低いので、開拓は遅れました。
大正時代(1910年代)に入って、ようやく南富良野町の落合を通り、人々が入植するようになりました。
おじいさんのお話
| 大正の初め、20歳の時、長万部から汽車で落合まで来て、落合から下トマムまで足袋とわらじで5時間かけて歩いたよ。道は馬もやっと歩けるくらいグシャグシャでね。 そのころトマムには、大正2年には13戸、大正7年のころには250戸からの農家があっったよ。畑は馬が入れなくて、クワで土を耕したものさ。じゃがいも、えん麦、豆などを作ったが、冬は造材山で働いたね。川はヤマベがたくさん捕れて、新得までかついでいったよ。 |
苦労して畑を作りましたが、トマムの農業や林業はふるわなくなり、戸数が減ってきました。
そのトマムに立派な石勝高原駅ができました。また、トマム岳(1239.3m)を中心とする観光開発も行われました。それにともなって、村営住宅がたくさん建てられました。住民が集いあうトマムコミュニティセンターや診療所、保育所などもできました。
農家は減ってしまいましたが、今、トマムは戸数が増えて新しい形でにぎわいを見せるようになりました。
これからの占冠村
村の戸数、人口ともに一番多かったのは、昭和35年(1960年)の842世帯、人口4,705人です。平成12年現在(2000年)は818世帯で、人口1,685人となっています。
村が始まってから長い間、村を支えてきた農家も、今では約20戸くらいになり、林業で働く人もどんどん仕事がなくなってきました。
昭和35年夕張市の紅葉山から占冠を通り、新得町を結ぶ鉄道建設の計画ができました。このときから20年後の昭和56年(1981年)に、村の人たちが待ちかねた石勝線が開通しました。
新得と夕張の間の占冠の鉄道建設工事は、平地がわずかで、いくつもトンネルを掘り、たくさんの鉄橋をかけ、難工事の末汽車が走るようになりました。
占冠駅と石勝高原駅ができて、北海道の中では「小さな村なのに特急の止まる駅が2つもある。」と話題になりました。(石勝高原駅は現在、トマム駅と名前が変わりました。)
占冠村の総面積は571.33km2です。その大部分(94%)が山々で森林です。鵡川(全長135km)は、占冠村で生まれ、穂別町を流れ、鵡川町で太平洋に出ます。占冠村は小さな村ですが、村に住むみんなが力を合わせてこれからの村づくりを行っていかなければなりません。