昔の占冠の交通
明治41年(1908年)
人々は金山・占冠・日高の間を、熊笹などを鎌で切り、木を切り倒しながら道をつけていきました。それでも、急な崖や135か所もの川を渡るところがあったと記録されています。
明治44年(1911年)
ようやく金山・占冠・日高間に殖民道路(開拓のために作った道路)が開通しました。道路ができたといっても大雨が降ると橋は流され、ぬかるみとなり、人や馬は、夏は熊におびえ、冬は雪に閉ざされてしまいました。
大正3年(1914年)
トマムに落合との間の道が作られました。しかし、中央との道が作られたのはずっと後で、昭和9年(1934年)のことでした。
昭和4年(1929年)
ニニウへの道は赤岩青巌峡の障害を越えることができず、けわしい鬼峠を越える道ができました。しかし、昭和36年(1961年)、ニニウへも今のような道路が開通しました。
大正12年(1923年)
日高・占冠・金山の間に「三国横断バス」が走るようになりました。初めはトラックにお客さんを乗せ、運転手は熊が出たときのために鉄砲を持っていたそうです。
| 占冠村の昔の橋はほとんど木で組み立てられていました。そのため、橋がいたんで穴が空いたり、大水になると流されてしまったそうです。 冬は川に木の枝をしきつめ、水をかけて凍らせた氷橋が役に立ったといわれます。 |