竹山圭一という身体の大きい、声の大きい、いつも元気な人がいる。今年独立して「ベアーズ・カンパニー」という会社を設立して、張り切っている。竹山さんとの出会いは、もう7年は経っていると思うが、独立する前の会社にいた時だった。旅行会社のカタログ用に那須野さんのフィルムを貸したのだ。それから、何年間か空白があった。
ある日突然、電話がかかってきた。「ぼくの知っているピアニストが那須野さんの写真集を見て感動してしまって、是非一度お目にかかって、出来れば一緒に仕事がしたいと言っているが、どうですか?」。どうですかと言われても、答えようがなく、とにかく東京で、会うことになった。
結果的には、まだその仕事は形になっていないが、それからと言うもの上京する度に飲んだり、食べたり、笑ったり、歌ったり、している。一応、仕事仲間という関係にはなると思うけれど、再会してから、一度も仕事はしていない。しかし、会っているときは勿論のこと、定期的にかけたり、かかってくる電話の話はいつも仕事のことなのだ。イヤ、厳密にいうと、仕事というより、夢に近い。「いつか、こんな夢のような仕事を実現したいねぇ」。
このSanta Furano企画は、竹山さんと長電話しているうちに、ぼくの頭の中で具体的にイメージ出来たものなのだ。クリスマスやサンタクロースを富良野と結び付けて考えようということは、以前からあったが、それはまだボワァーとした感じしかなかった。この時は「具体的」なイメージが浮かんだ。つまり、スタートするキッカケが見えたのだ。

早速、那須野さんに電話をかけた。「那須野さん、次のテーマ、夢のときの次のテーマ、決まったよ。クリスマス、クリスマス」、受話器の向こうから曖昧な笑いが返ってきた。「今年のクリスマスはラップランドに行くよ、ラップランドに行く前にパリやロンドンに寄って、クリスマスの飾り付けも撮ってこようよ」「寒そうだねぇ。でもおもしろそうだねぇ」那須野さんも何かが浮かんだのだろう、仕事を引き受ける時のいつもの明るさで、「社長、行きましょう、行きましょう」と、乗ってきた。
次に、まり子に電話。「社長は気を悪くするかもしれないけど、クリスマスのことは前に私が言ったじゃないの。クリスマスに関する本や資料は沢山集めてあるわ」。物事が進むときというのはこういうものだ。
しかし、まり子からクリスマスの話を聞かされていたとは、なぁ。
ラツプランドを出発点として世界中をターゲットに、クリスマスのイメージを演出する写真を那須野さんに撮ってもらう。ぼくやオフィスFURANOのスタッフはクリスマスのイメージに合うオリジナル商品を企画するとともに、クリスマスのイメージに合う世界の雑貨を輸入し、一年中展示販売出来る建物、Santa Furano館を建てる。
売り方としては、店頭販売はもちろんのこと、夏に大勢来る観光客に対する通信販売も考える。つまり、クリスマスイヴの日、恋人や友達、兄弟、両親に富良野から素敵なクリスマスプレゼントが届けられるわけだ。
展開としては、葉祥明さん、浜田などにも参加してもらい、写真集、絵本、ビデオ、CDなどを総合的に進め、富良野とクリスマス、サンタクロースを結び付けるイメージをより鮮明にする。もちろん、ぼくの知っている他のすべての人にも話をして、このキーワードで出来ると思ったことは、どんどんやってもらおうと思っている。そして、それがぼくの最大の仕事だと思っている。
実際に、もう何人かの人達には話をした。とくに、祥明さん、葉山さん、浜田にはタイミングよく会えて、すでに協力を約束してもらっている。実は、「Santa Furano」のネーミングは祥明さんがしてくれたものなのだ。この三人の参加は力強い。そして、もう一人強力な協力者がいる。いや、協力をお願いしている人がいる。最近お世話になったスカンジナビア政府観光局の奈良伊久子さんだ。サンタクロースと言えば北欧が本場だ。この企画において、その北欧に関してのエキスパートの奈良さんの力は大きいと思う。
まずは、小さなコーナーでもいいからフォーラムフラノで始めようと、まり子は商品の買付けと勉強のために、姉のいるアムステルダムに飛んだ。企画が持ち上がって、まだ一ヵ月も経たないうちの暴挙である。
しかし、買付けと言ったって初めてのことだし、第一、何処にどんなものがあるのかだって知らないのだから、せいぜい見本程度のものだと高をくくっていた。そして、悪いことに、ぼくはまり子への勇気づけと景気づけのために「買って、買って、買いまくれッ!」なんてFAXまで流してしまった。
女は凄いもんだ。
予算どころか、この企画の漠然とした"感じ"しか決ってないのに、買って、買って、買いまくったッ!らしい。朝、会社に来たら、時差を乗り越えたFAXがアムステルダムから届いていた。
「守重の口座に、下記の金額を送って欲しい。この分は現金買いなので、立て替えて貰いました。クレジットカードで買えるものは、クレジットカードで買いました。残りの金額は、日本に帰ってから、すぐ払えばいいそうです」
一瞬、唖然とした。半端な額じゃないのだ。
「みんなで力を合わせて、売って、売って、売りまくればいいんだッ!」と、自分に言い聞かせて元気を回復するまでに、かなりの時間を要したが、取り敢えず、車検の期限が切れるために進めていた新車買い換えの話は、断った。
まり子が日本を立ったのが今年の9月の下旬、帰国したのが10月の下旬。すべての商品が富良野に届いたのが、11月の下旬。フォーラムフラノの飾り付けが終って、新ショップがオープンしたのが12月7日。企画を思い立ってから、三ヵ月しか経っていなかった。
このスピードの早さは、勿論まり子が奮闘した賜ではあるけれども、やはり、守重夫婦の強烈な協力のお陰だった。実は、守重さんはまり子が行く前から色々調べていて、行くところのスケジュールを、きちっと決めてくれていたらしい。終ってみると、守重さんは案内人兼、通訳兼、アドバイザー兼、運転手兼、梱包人兼、輸入手続き人兼、兼、兼、……、すべてをやってくれた。
守重さんは輸入に慣れてはいるけれど、さすがに「奇跡的だったねぇ」と言って、「これからの仕事に自信がついたよ」と、不敵に笑った。
今回の仕事は守重さんがアムステルダムにいなかったら、輸入出来る良い店を探せれなかったら、英語が話せれなかったら、手際よく手続きが出来なかったら、たら、たら、……、すべての「たら」が結集しなかったら、成り立たなかったはずだ。本当に、守重さん有難うございました。
世話になる時は、トコトンなるタイプのぼくは、これまたタイミング良くたまたま用事でアムステルダムから日本に帰ってきた"フラワーアーティスト"の姉にディスプレィをしてもらおうと、図々しくも、富良野に来てほしいと頼んだ。勿論、答えはOK。
まり子とフラワーアーティストは「あーでもない、こーでもない」と言いながら、約一週間、夜の12時近くまでせっせとディスプレィをしていた。その間、那須野さんは高橋と打ち合せながら、店内の飾り付けの写真やクリスマスのイメージ写真を撮っていた。
とにかく、企画は動き出した。目先のことに捕らわれずに気長にやっていくつもりだ。富良野とクリスマス、富良野とサンタクロース、このイメージの結び付きには、身震いする。興奮して、頭の中が色々な思いやアイデアでぐるぐる回る。
勢いで、少し大きなことを言わせてもらいます。
ぼくは、オフィスFURANOは、富良野から新しいクリスマスの形を創りたい!