2005年6月27日 ドン・キホーテの夢
ここ二カ月間ほど、毎日コツコツ、インターネットで通信販売をするためのホームページを作っている。商品は、うちの会社が作った富良野の写真集やオリジナルのTシャツなど。地元のメロンなども扱っている。購入から決済までスムーズに操作でき、けっこう本格的なシステムなのだが、ホームページ作りは意外に手間がかかる。
まず、扱う商品を選び、写真を撮って説明文をつける。そして、これが大変なのだが、商品に対する個人的な思い入れも情報として書き添えていく。ここまでの作業は、私一人でやった。
同時にホームページのデザインやレイアウトも進めなければならない。こちらは、わが社の誇るデザイナーが引き受けてくれた。いろいろ考えた末、全体のコンセプトは「北海道・富良野の美味(おい)しいと夢がいっぱい!」に決めた。
たった二人で、それも五十歳を超えた二人が、インターネットを使って巨大なマーケットに立ち向かおうという無謀な試みは、かの「ドン・キホーテ」を連想させる。しかし、私には、ひとつの確信がある。インターネット社会には賛否両論があるが、今後、何か商品を売る仕事を続けていこうとするのなら、インターネット通販は避けては通れない道だと。
実は、ホームページは数日前に立ち上がった。ほとんど知られていないため、今のところ、来訪者はゼロに近い。これからまた、コツコツ、メールマガジンの配信やプレゼントなども企画して、少しずつPRしていこうと思っている。
ドン・キホーテの戦いは、まだ、始まったばかりだ。
2005年8月15日 勝手に私のベスト5!
「送ってくれたやつを二回ずつ聞きました。おもしろいよ!」と、東京に住む甥(おい)の信ちゃんからメールが来た。
毎週月曜夜九時からコミュニティFM「ラジオふらの」で放送中の番組「勝手に私のベスト5!」の録音データを送ったのだ。「東京にも『オダジー』のファンが二人ほど増えたよ!」と続いていた。オダジーとは私のことで、二人とは信ちゃんと奥さんのことだ。
この番組は昨年十一月のラジオふらの開局時から続いている。出演者は人気パーソナリティーの郡ちゃんと若さあふれるはっちゃん、そして私。毎回私とはっちゃんが勝手に選んだ五曲を交互にかけ、その曲について三人でワイワイしゃべる。
私は主に昔から持っているジャズのレコードやCDから選曲している。若いはっちゃんは最近人気の曲が中心。二人の選曲は、まったくかみ合わない。このミスマッチが番組のセールスポイントになっている。
私自身は、最初は若い人にジャズを教えたいという気持ちがあったが、今はそんな考えは吹っ飛び、ただただ音楽番組のパーソナリティー気分を楽しんでいる。かける曲やミュージシャンについて本やホームページで調べたり、若い時に買い逃したものや今流行(はや)っているジャズのCDを買ったり、「青春」がもう一度やってきた感じだ。
実は、番組の録音データはアムステルダムに住む姉や札幌の友人にも送っている。
「富良野のオダジー」から「世界のオダジー」へ、飛躍の日はそう遠くないかな?
2005年10月3日 戻るところ
先月、久しぶりに上京した。この半年は富良野の事務所にひきこもり、オフィスフラノが今後、どうやったら生き残れるか、ああでもない、こうでもないと考えてきた。そうしているうちにとうとう迷路に迷い込み、考えが空回りし始めた。
 「考えるだけではダメだ。行動をおこせ!」
ハッと気づき、まずは東京に行くことにした。何と言っても東京は日本の中心だ。今、東京で起きていることを目で見て肌で感じ、いろいろな人と話をして、自分がやろうとしていることの参考にしようと思った。
東京では大学に通っている双子の息子のところに泊まった。狭い部屋に三人。まるで「合宿」状態だ。しかし、狭いとはいえキッチン、バス、トイレ付きで、テレビもラジカセもパソコンも洗濯機もある。私のころは三畳一間。台所とトイレは別で、部屋には机と布団しかなかった。
「お父さん、卒業したら富良野に住みたいと思うのだが…」と息子が言った。えっ、と驚いた。私が息子の年ごろには、富良野に戻る気なんてまったくなかった。当時の富良野はそれこそ何もなくて、東京との落差はほとんど絶望的だった。
でも今は、コンビニからスーパー、レンタルビデオまで、何でもある。スキー場やゴルフ場など東京にないものもある。息子たちにとっては、今の富良野は当たり前のように「戻るところ」なのかもしれない。そういう若者たちに「働く場」を与えるためにも、オフィスフラノは生き残りをかけてもっともっと頑張らなければと思った。
2005年11月24日 移住しませんか
「富良野で土地を買いたいのですが…」と見知らぬ人から電話がきた。私の会社ではそういう仕事はしていないので、土地を扱っている会社を紹介したのだが、その時、「富良野に住みたい人って、結構いるのかもしれないな」と思った。
そんなことがあってから、「二○○七年問題」という言葉が気にかかりだした。二○○七年は、一九四七年(昭和二十二年)生まれに代表される「団塊世代」が定年を迎える年だ。二○○七年問題とは、その世代が支えてきたコンピューターシステムの技術やノウハウなどが継承されずに支障をきたす問題や、企業などの退職金の問題のことをいうのだそうだ。
二○○七年問題がどうあれ、二○○七年以降に多くの定年退職者が出現するのは間違いないのだから、私は、その人たちをターゲットにして富良野に移住してもらうプロジェクトを進めてはどうかと考えている。移住者が増えれば、富良野のまちの活性化にも一役買える。私の勝手な思い込みかもしれないが、団塊世代の人たちの嗜好(しこう)や感性は、きっと富良野に合うと思う。
富良野に住んでいる私が言うのも面はゆいが、富良野は本当に良いところです。自然環境に恵まれていて、愉快な人たちがたくさんいて、文化的な催しやスポーツも楽しめる。移住先として、関心を持つ人は少なくないと思う。問題は、誰がプロジェクトを作り、それをどうやって広くアピールしていくか、だ。
まあ、あまり大げさに考えず、まずは自分の知り合いに「定年退職したら、富良野に移住しませんか?」と誘ってみるのもいいかもしれない。