|
富良野の昨夜は、大荒れで、雪と風が凄かった。 朝の7時過ぎ頃から、自宅前の道路を市の除雪車が走り回っていた。 私が子供の頃は、降り積もった新雪を長靴で踏みしめながら通学した。 何歳の頃の記憶か分からないが、いつも浮かぶイメージがある。真っ白い道路にポツンと一人でいる。自分の足跡だけがある。シーンとしたモノトーンの世界だ。 雪の降り始めの時期に、ほぼ毎年浮かんでくる。 今は、ほとんどの道は、学校へ行く時間までに、除雪されるだろうから、私のような記憶を持つことはないと思う。 まちが機能的になったり、便利になったりは、良いことかもしれないが、“ふるさと”の記憶は、困ったことや不便だったことで、より作られるのかもしれない。 写真は、進士五十八著「農の時代」 。 進士五十八さんの本は、壁面緑化でもご紹介した。 私が「農」に興味を持つのは、富良野は「農」に対して、限りない可能性があると思えるからだ。 進士さんの本を読んでいると、「なるほど」「なるほど」の連続だ。 「農」を通して体験できる素晴らしさが色々出てくるのだが、その素晴らしさを富良野に住んでいる私たちはあまり実感していないと思う。 ここ2年ぐらい、私はブルーベリーの収穫や雑草取りなどをそれなりにやっているが、まだまだだ。 今年は、腰をすえて、「農」にチャレンジしてみたい。 |
|
|