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今朝起きたら、一面が雪で真っ白になっていた。 寝ているときに、「ちょっと、寒いなぁ」と感じていたが、やはり、雪だったのだ。 いよいよ、長〜い、冬の季節の到来だ。 それほどではないが、フォーラムフラノのベランダの「雪かき」もした。 昨日のワイワイ日記の続きである。 妙顕寺を色々調べていると、まず、歴史に驚く。 『1294年(永仁2年) - 中老僧天目が開創する。』とある。今から、700年以上も前だ。 この「中老僧天目(てんもく)」がすごい! 1245年(寛元3年)-1337年(建武4年/延元2年)。鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての法華宗の僧侶。日盛・上法房とも称する。日蓮の門弟「九老僧」の一人。 妙顕寺には寺宝として、『日向上人作「祖師像」(日蓮聖人像)』、『傳教大師作「鬼子母神像」』、『宗祖(日蓮聖人)荼毘所灰および御砕骨』などもあり、興味は尽きないのだが、私がもっとも“反応”したのは、妙顕寺に墓のある「禹範善(ウ・ボムソン)」だった。 『禹範善(1858年-1903年)は乙未事変(1895年)で閔妃殺害に加わった朝鮮王朝末期の武官。日本に亡命中に、日本人の酒井ナカと結婚。1903年、他の事件で亡命していた高永根に暗殺された。』とある。 「?」、乙未事変、閔妃殺害。 恥ずかしながら、私はカケラも知らなかった。 ありがたいことに、調べると、角田房子著「閔妃(ミンビ)暗殺―朝鮮王朝末期の国母」 が出版されていて、手にすることが出来た。 久し振りの文庫本。字は小さいし、ページも多い。ちょっと、ひるむ。 それでも読み出すと、面白くて、止まらない。 ただ、面白いは、語弊がある。 この辺りの歴史をちゃんと勉強すると、ある意味、今の日本の姿が見えてくるかもしれない、という新たな発見の喜び。(今頃かっ!と言われても、そうです) 続けて読んだのが、これも角田房子著の「わが祖国―禹博士の運命の種」 。 この禹博士とは、「韓国近代農業の父」と呼ばれる禹長春で、禹範善の長男なのだ。 写真は、妙顕寺に建つ禹範善の墓。隣は同じく朝鮮からの亡命者である黄鉄の墓。 何故、妙顕寺に禹範善の墓があるのか。 野国安蘇郡天明町(現栃木県佐野市)の豪農の子として生まれた、漢学者、実業家の須永元(すながはじめ)が、福沢諭吉や朝鮮人留学生との交遊により朝鮮問題に関心を深め、亡命者とその家族たちを支援した。その須永元と妙顕寺との深い関係があったからだ。 他に、朝鮮の政治家、李朝時代後期の開明派として知られる金玉均(キム・オッキュン)が揮毫した山号扁額「開本山」や閔妃事件当時に朝鮮公使だった三浦梧楼陸軍中将に書いてもらったといわれる御影石の水盤などもある。 詳しくは、また、ワイワイ日記で紹介する。 お楽しみに! |
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