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ちょっと遅れたが、今年のジャズの「聞き初め」は、フリー・ジャズの歴史を切り開いたオーネット・コールマンの「ゴールデン・サークルのオーネット・コールマンVol.1」。 このCDは先月買っていたが、最初の1,2曲を聞いただけで、そのままにしておいた。それなりの“覚悟”がないと、オーネット・コールマンは聞けない。 天気のいい朝に、モーニングコーヒーを飲みながら、軽快に聞ける音楽じゃない。「よし、聞くぞっ!」と、勢いをつけないとならない。 CDを聞く時間なんて、ほどんどないのに、何が悲しくて、尻込みする気持ちを鼓舞させてオーネット・コールマンを聞かなくちゃいけないのか。 良く言えば向上心、フツーに言えばスケベ心、つまり、「もしかしたら、今まで知らなかった、夢のような世界と出会うかもしれない」という期待。こうやって、ジョン・コルトレーンとも、アート・ペッパーとも、ソニー・クリスとも出会ったのだ。 まあ、「宝さがし」のようなもの。そのために、一度しか、いや1、2曲しか聞かないかもしれないレコードやCDを買い続けているのだ。 私はコルトレーンの最後の方のフリーなものや極端なフリー・ジャズまで聞いていたし、アルバート・アイラーなんて大好きだし、坂田明だって好きだ。フリー・ジャズに対してはまったく違和感も、抵抗感もない。それなのに、フリー・ジャズの代名詞にまでなっているオーネット・コールマンはまったく聞いていなかった。 緊張とともに、「ゴールデン・サークルのオーネット・コールマンVol.1」をCDプレーヤーに入れ、PLAYボタンを押した。 私がジャズを夢中で聞いていた昔に、どうしてオーネット・コールマンを聞かなかったのか、理由がすぐ分かった。 “熱く”ないのだ。クールなのだ。私はフリーと言えば、メロディがどうの、リズムがどうのではなく、とにかく良い悪いは別にして、エネルギーだけは伝わってくる、伝えたい音楽だと思っている。オーネット・コールマンは、言ってしまえば、知的でクールなフリー・ジャズだ。この音楽はコルトレーンに没頭していた時には、スルーする音楽だ。 コルトレーンは、いつも熱い。あっ、ついついコルトレーンと比較してしまう。オーネット・コールマンである。 「オーネットが生み出した新しい音楽は、賛否両論となる。ミュージシャンの間でも、ジョン・ルイスが在籍するモダン・ジャズ・カルテットのメンバー達から高く評価される一方、マイルス・デイヴィスやマックス・ローチからは批判された。」とどこかに書いてあったが、評価の分かれ目は、私が感じた「知的でクールなフリー・ジャズ」と関係あるような気がする。 まだ、1枚のCDだけで、すべてを決め付けるわけにはいかない。もう何枚か、オーネット・コールマンの有名なCDを聞いてみようとは思っている。それがいつになるかは、今のところ分からない。ただ、ジャズを聞き続ける楽しみは増えた。オーネット・コールマンを深める楽しみが。ジャズは本当に奥が深い。 今後の楽しみ(老後の楽しみかもしれない)といえば、エレクトリック楽器を導入したマイルス・デイヴィスの1960年代末期のアルバムも手付かずだ。 「ビッチェズ・ブリュー」に衝撃を受けながら、その前後の「イン・ア・サイレント・ウェイ」「マイルス・イン・ザ・スカイ」などはまったく聞いていない。理由が何かあるのか、偶然なのか、自分でも分からないが、とくかく聞いていない。 探せば、まだまだいっぱい「未知の領域」があるだろう。 ああ、ジャズを聞く時間がほしい! |
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