〈麓郷の森建築工事〉
- 黒板五郎の丸太小屋
富良野塾の塾生によって、建っていた元の場所から移設された。土台はあらかじめ石を積んで作っておき、その上にバラバラにして運んできた丸太を組み上げていった。屋根は柾葺きなので、大変だった。第一に柾がないし、柾があったにしても柾葺き職人なんてもういないからだ。しかし、幸いにもトタン屋さんが昔使っていた柾を仕舞ってあったのと、偶然にも昔柾を葺いていた職人さんが見つかったのだ。口に柾釘をいっぱい入れて、要領よくそれを取り出し、リズミカルに柾を葺いていく姿は圧巻だった。今もまだ雨漏り一つしないで健在だ。
- 管理棟
会社として最初に建てたログキャビンで、森のキーステーションと位置づけ、森の窓口として、そして喫茶、レストラン、売店としての機能も果たす。平成元年に建った、「彩(いろどり)の大地館」が出来るまでの5年間、僅か16坪のスペースが森全体の運営とオフィスFURANOの活動を支えた。会社のほとんどの収入がここから生まれたのだ。今は夏のシーズンだけ喫茶、レストランとして利用している。
「麓郷の森企画書」の段階では管理棟を建てるアイデアはなかった。企画書が完成し、森のニュアンスも頭にインプットされ、実感として計画の全体像が見えはじめ、高橋と具体的な話が出来るようになって、やっと「管理棟」に行き着いた。もし、これを建てずに他のものから手を付けていたら、会社はなくなっていただろう。オープンした日から予想以上に商品が売れ、喫茶もフル回転したにも拘らず、資金繰りは決して楽ではなかったからだ。始めてみると森を運営していくのは、思ったよりずっとお金が掛かることに気付いた。
管理棟もそうだけれど、他の建物の設計もすべて高橋がやった。森全体のレイアウトや建物のインテリア、看板のデザイン、いわゆるセンスが必要なことやデザインに関することなら何でも高橋だった。
- ログ1
高橋夫婦が住んでいる家。富良野産のエゾ松とトド松を使ったログキャビンで丸太組みの工法が簡単で、独力で建てたい人には参考になると思う。この建物も企画書にはなかったが、ぼくはどうしても建てたかった。
ぼくが森に行くようになって感じたことは、森に住んで生活をしなければ真に森のことは分からないし、来てくれる人達に対しても森の良さを伝えられないのではないかということだった。それに、住んで生活すれば愛着も湧くし、細かいところまで気を配ることも出来る。高橋夫婦に無理を言って住んでもらった。最初は戸惑ったようだったが、慣れてくると快適そうにしている。
色々な質問を受けるそうだが、その中で一番多いのはやはり寒さについて。二月の冷える日は零下30度を越えることもあり、勿論半端な寒さではない。しかし、これも考え方の問題で、セントラルヒーティングのマンションに住んでいるわけではないし、森は森の生活の仕方があるのだから、寒ければ厚着をしたり、色々な工夫をすればいい。とは、住んでいないぼくが言えるセリフではないが、高橋夫婦はそうやってくれている。
- バンガロー
バンガローは全部で6棟あるが、そのうち3棟がオフィスFURANOの所有で、他の3棟は仲間の所有だ。オフィスFURANO所有の3棟のうち2棟は後述する写真家、那須野さんと高橋、そしてぼくの3人で建てたものだ。那須野さんと高橋は器用で、チェンソーを自由自在に操り丸太を加工し積み上げていく、不器用なぼくは2人の「テコ」(仕事を補助する人)になり、積み上げられた丸太を木栓でとめていく。いま考えると3人とも随分ヒマだったと思う。延べにしたら3カ月ぐらい他に何もしないで打ち込んでいたのだから。
たまに3人で話すことがあるのだが、時間とお金さえあれば自分達だけでかなり大きな丸太小屋を建てる自信はあるなと。残念ながら、いまのところまだ、そこまではいってない。
- 森の台所、森の風呂、森のトイレ
バンガロー宿泊者やキャンプの人達のための施設で、初代の風呂桶はイチイの木で作った特製のものだった。
- 森の写真館
4.5坪の小さなギャラリーで、富良野出身の写真家、那須野ゆたか氏が撮影した、富良野周辺の風景写真が常時展示されている。この小さな森の写真館こそ那須野さんの写真家としての出発点となったところで、同時にまたオフィスFURANOにとっても、もっとも重要な意味を持つものになった。
無我夢中で森をスタートさせ一段落した時に、森の雰囲気にあうもので何かないかと考えたのがこれで、語呂とイメージがいいのですぐ決めた。しかし、資金はほとんど使ってしまい手元にはなかった。こういう時はどういう訳か日里さんの顔が浮かぶ。早速相談にいったら、幾らかかるんだと聞くから、120万ぐらいと答えると、いとも簡単にわかったと言った。
麓郷の森には年間に20万人以上の観光客が訪れているが、そのほとんどの人がこの写真館に足を運ぶ。おそらく日本で一番写真を見られている写真家は那須野さんだろうと思う。
- 彩(いろどり)の大地館
麓郷の森をはじめてちょうど5年間経った、平成元年7月1日にオープンした。オフィスFURANO設立が昭和58年7月1日、麓郷の森オープンが昭和59年7月1日と、ぼくはどうも縁起を担ぐ方だと思われそうだが、実はそうではなくて、どうしても「この日」でなければならない日なんてないのだから、何時だっていいわけだ。何時だっていいのなら、じゃ「同じ日」にしようというのが真相です。そんなことどうでもいいか。
この建物は会社にとっては大きな投資というか、賭というか、かなりの決断だったが、結果としては、やって良かった。売上のこともあるけれど、うちの会社は結構色々なことをやってきたし、それなりに刺激もあったけれど、5年間も同じようことを繰り返すと緊張感が段々なくなってきて、なんとなくダラケた感じになっていた。それはフッ飛んだ。高橋も、まり子、社長も引き締まった。
彩の大地館はオフィスFURANOを一回り大きくしたと思うし、新しい展開への大きなステップにもなった。具体的には「森の管理棟」の売店の部門の拡大なのだが、いままで以上に商品コンセプトを明確にして、富良野のイメージ、麓郷の森のイメージなどを損なわずなおかつ新しい可能性を感じとれるものにしたいと考えている。建物の命名もそのことを意識したもので、一つのキーワードとして「彩の大地」を捉えている。
キーワードとしての「彩の大地」については、これからのオフィスFURANOの項で詳しく書きます。
次に、麓郷の森に関係する新聞記事を載せますが、以下の項でも紹介出来るものがあれば載せていきます。ぼくが書いた内容と多少ダブルけれど、その時々に取材され、インタビューされたものが記事になっているので、その当時の"息吹"がよりよく伝わると思うので、敢えて、転載させていただきました。
〈麓郷の森、関連新聞記事〉
見出し 「麓郷の森」きょう開幕 (昭和59年7月1日)
【富良野】テレビドラマ『北の国から』の丸太小屋をキーステーション、体験する"観光基地"として富良野の総合案内所、オフィスFURANOが整備を進めていた『麓郷の森』がきょう一日からオープンする。
麓郷の森は、ロケ地に近い麓郷木材の所有林約四ヘクタールを同社が借り受けたもの。ロケのため今年春に取り壊された『五郎の丸太小屋』を移転し、小屋を中心に、自然をそのまま生かした整備を行った。
これまでに丸太小屋のほか、レストハウス、駐車場、キャンプ場、遊歩道が出来上がった。さらに、今年中にミニバンガロー数戸、大型の丸太小屋を一棟を建設する計画だ。
麓郷の森は、見る観光と対極をなす体験し、参加する観光基地を目指している。観光客が丸太小屋やテントで寝泊まりしながら、自分で、炊事するのはもちろん、畑づくり、丸太小屋づくりなど、参加できるようになっており、汗を流して、富良野の自然を楽しんでもらおう、という計画だ。将来的には炭焼きや陶芸ができる施設も建設する予定。観光客自身の手により、これまでにない、観光基地を作り上げていく。
オープンを前に、既に多くの観光客が詰めかけており、問い合わせも多い。一日夕、関係者を集めて、オープンを祝い、早速一般に開放されるが、富良野の新名所として注目を集めそうだ。
見出し 「麓郷の森」観光客らで大にぎわい (昭和59年8月8日)
【富良野】七月一日、富良野岳のふもと麓郷地区に新しい観光基地を目指してオープンした「麓郷の森」が、夏の観光シーズン真っ盛りを迎え、この一カ月余り若者や家族連れなどで連日大にぎわいを見せている。
「麓郷の森」はテレビドラマ「北の国から」で使われた主人公(黒板五郎)の丸太小屋移設をきっかけに、地元で木材会社を経営する仲世古善雄さんが自分の民有林地を提供したことから具体化した。
広さは約四ヘクタール。移設された丸太小屋をメーンに同じく丸太造りの休憩舎(喫茶、売店)全長五百メートルの散策コース、駐車場などを備えている。オープンして一カ月を過ぎ、管理運営を担当する「オフィスFURANO」(小田島忠弘代表)によると、訪れる観光客は平日で七百人、日曜には二千人を越えるという。そのほとんどは自然を肌で感じとろうという本州方面や札幌からの学生、OLグループに家族連れ。テレビ「北の国から」もこの人気に拍車をかけている。観光客らは黒板太郎の丸太小屋などをバックに盛んに記念写真のシャッターを切っている。
また今月に入り整備を継続中だった炊事場、トイレ、なども完成し、二十張り収容のキャンプ場も正式にオープンした。これで同森が目標とする「体験観光」基地の実現がいっそうはずみをつけた格好。このほか今月中にはいずれも丸太造りの宿泊用バンガローと写真展示などのギャラリー建設が始まる。
さらに「冬場には歩くスキーを取り入れて大々的に通年観光へ持って行きたい」(小田島代表)と関係者のアイデアは膨らむ一方だ。
見出し 道まちづくり百選 (平成元年2月1日)
【富良野】道など主催の北海道まちづくり百選に、富良野から『ワインハウスとその周辺』『麓郷の森』が選定され、このほど認定証授与式が札幌で行われた。三十日、認定証が滝口市長に披露された。
この百選は、道内各地の優れたまちづくりを道民が応募して審査、選定した。『ワインハウスとその周辺』は秋・冬編のまちおこし、むらおこしに選ばれた。『麓郷の森』は春・夏編のふるさとの魅力の発掘に選定されたもので、特に民間手づくりで進められている『麓郷の森』が選ばれたことは珍しい。
この日、ワインハウスの遠田敏男所長、麓郷の森で写真館などを経営している小田島忠弘さんが市役所を訪れ、滝口市長に認定証の盾を披露した。小田島さんは『麓郷の森は観光名所となった。観光ツアーのお年寄りからバイクツーリングの若者まで、幅広い年齢層が楽しんでいただいているが、今後も立派な賞に恥じないようしていきたい』と述べた。 これに対し滝口市長は『市や道など自治体がまちづくりを進める中にあって、麓郷の森は民間の手でつくられたことは意義深い。これからの観光は民間の協力をいただかなければならず、麓郷の森は富良野観光の拠点で、今後も観光客に親しまれる施設として頑張ってほしい』と励ました。
〈麓郷の森まとめ〉
麓郷の森は今年で早いもので8年目を迎える。先輩達の強力な後押しがあったとはいえ、よくここまでやってこれたなぁ、というのが実感です。実行前に、ある人(良識ある知識人)にこの麓郷の森の計画を勢い込んで話したら、「あんたも好きだねぇ」と軽蔑までもいかない、扱われ方をされたことを思い出す。悔しいというより、世間の普通の人はやっぱりそう考えるのかと、変に納得したのを憶えている。
オープン前日、数少ないオリジナル商品や仕入れ品をケースに並べていたら、ちょうど来た茶畑さんがそれらの商品を見て、「随分ガラクタがいっぱいあるな」と何気なく言ったことも、懐かしい思い出になりつつある。いま思い返すとよくあんな商品構成でやってこれたなと不思議に思うけれど、よーく考えると今のオリジナル商品の「原型」のすべてがすでにあの時あった。しかし、資金力とルートがなかった。商品については次項で詳しく書くので、ここではこれくらいにする。
新聞記事にもある通り、オープンしてからすぐに観光客が来るようになり、年々その数は増えている。それは、テレビドラマ「北の国から」と富良野に住んでいる倉本先生の強烈なインパクトに加え、ラベンダー畑や丘陵地帯のイメージが富良野を一躍、観光地として定着させたことが、大きな要因だと思う。富良野に人が来れば、麓郷の森にも人が来る。そうなっている。
麓郷の森は、企画段階と現在とでは内容にかなりの違いが出てきている。それは仕方のない部分と意識的に変えた部分と両方あるが、その大きな原因は、みんなが考えていた以上に観光客が大勢訪れるようになったのと、考えていた以上に「麓郷の森」が影響力を持つようになったからだ。もちろんこの二つのことは密接につながっていて、人が増えたから影響力も増えたのだ。
当初、細い砂利道だった周辺の道路が、今では幅の広い舗装道路になった。昨年、ピーク時には大混乱していた狭い駐車場の続きに、大きな駐車場が出来た。今年、汚い溜め式のトイレが本格的な水洗トイレになった。これらはすべて「行政」がやってくれた。市長はことあるごとに富良野は農業と観光の街だと言っているが、麓郷の森に関しては感謝している。民間が頑張って、行政がサポートする。これが理想です。直接には関係ないと思うが「まちづくり百選」に選ばれたことは、行政との関係ではプラスになると思う。
これからの麓郷の森の方向は今まで通り、「訪れた人に富良野の良さを、よりよく伝える」というポリシーを踏まえ、色々な可能性を追求していくが、麓郷の森での経験をベースに、まったく新しい「空間」を別な場所に創る計画もある。