[オフィスFURANO物語] no.6
[これからのオフィスFURANO]
これからのオフィスFURANOは非常に難しくなってくると思う。今までも簡単ではなかったけれど、無我夢中の怖いもの知らずで、ある意味では何も考えずに、いや考える余裕もなく、突っ走ってこれたような気がする。これからは、「頭を使う」時期に入ってしまった。
今までは、失敗も成功もなかった。ただ我武者羅に走っていれば良かった。「運」だけが勝敗の分かれ目だった。今までは、誰がやっても出来たかもしれない、しかし、これからは違う。俺達にしか出来ないことを、俺達がやり遂げるんだという、気概と「読み」がなくては駄目だ。
もちろん、この話は「意識の中」の話であって、実際は今も以前も先輩をはじめとしたまわりの人達に可愛がられながら、助けてもらいながら、教えてもらいながら、でしかやっていけない事情は変わらないのだが。とにかく、フンドシを締め直せということだ。
具体的なこととしては、現在の足場をもっともっと強固にすることを前提に、今までの仕事を発展させる方向ですでに始めていることもあるし、夢に近いまったく新しい事業の企画や構想もある。以下、項目別に書いていきます。
画家・葉祥明(よう しょうめい)さんとの仕事
まず、葉祥明さんのプロフィルを少し紹介したいと思う。九州の熊本市の生まれ。1973年に最初の絵本「ぼくのべんちにしろいとり」(至光社)を出版し、絵本作家としてスタート。その後「いちごえほん」(サンリオ)に童画を、「詩とメルヘン」(サンリオ)に詩の挿絵を描くが、これらの仕事を通して、70年代後半から80年代に一世を風□したメルヘン画家・葉祥明が誕生した。
最近は油絵、水彩画など画家としての仕事も多く、幅広く活躍している。1990年には「風とひょう」(ウオカーズカンパニー)がボローニャ国際児童図書展グラフィック賞を受賞。

この葉氏と、どうして仕事をするようになったのかを説明するには、オフィスFURANOの現在の富良野におけるメインテーマ「彩(いろどり)の大地」のことから書き始めなければならない。
FURANO最初に作った企画書をまず読んで下さい。

タイトル 「彩(いろどり)の大地」をテーマにした新たな店と商品づくり
  • 趣旨 
    富良野は自然の真っただ中にあります。十勝岳、芦別岳をはじめとする北海道を代表する山々、母なる川空知川、東洋一の美林といわれる東大演習林、全国的に名を馳せた広大な丘陵地帯、秀麗な眺めの金山湖、メルヘンチックな夢を与えるラベンダー畑など。その自然環境は世界に通用するものです。
    オフィスフラノではここ数年、富良野のイメージを大切にいろいろな事業を展開してきました。「麓郷の森」、「フォーラムフラノ」はその拠点で、かなりの成果を上げてきたと自負しております。
    富良野はテレビ、雑誌、新聞などで知られているとおり、猛烈な勢いで変貌しようとしています。新富良野プリンスホテルをはじめとするホテル、ペンションの建設ラッシュ、時代の要請としての「リゾート法」に関連しての大規模な観光開発計画など。正に、富良野は全国レベルの注目を集めています。このような時期的な要因と富良野のイメージをより一層グレードアップするかたちで、今までとは少し視点の違う新しい企画を計画していきたいと思っています。
    その一つが「彩の大地」をテーマにした事業展開です。
  • 内容
    富良野からイメージすること。大自然の雄大さ、クリーン・清潔感、ロマンチック、抜けるような青い空、白い雲、新鮮で美味しい野菜、何処までも続く長い道、丘いっぱいの花、森に住むかわいい動物達などなど。このイメージを「彩の大地」に集約して、富良野を越えたグローバルなテーマに昇華させ、この企画のコンセプトを確立する。
  • 詳細
    写真家・那須野ゆたかの世界
    富良野を中心としたフォトグラフ、ビデオ、ポスター、絵はがきなどをイメージづくりに使用したり、商品化する。
    ガラス工芸・豊平硝子の世界
    彩の大地をイメージしたまったくのオリジナル吹き硝子。ガラスのもつ特性である透明感、清潔感、神秘性などが彩の大地のイメージにフィットする。ガラスの新しい展開を意識した商品化をする。
    陶芸・大雪窯の世界
    大雪窯は、雄大、繊細、清潔、神秘など、北海道のイメージそのものです。少し視点を変えたテーマ・彩の大地で商品化する。
    ハーブ・生活の木の世界
    フォトグラフとガラスと陶器とハーブの組合せにより、ハーブの新しい魅力を演出し、商品化する。

    *以上の写真、ガラス、陶器、ハーブを中心に、フラワー、ウッドクラフト、繊維、その他コンセプトにあった展開を複合的に考える。

この企画書は、麓郷の森の中に「彩の大地館」を建設するにあたり、コンセプトを明確にするために作ったのだが、結果としては大地館に限定されず、オフィスFURANOの商品全体のテーマとなった。
ここに出てくる豊平硝子社、旭川の大雪窯、東京原宿の生活の木社には、話をして了承してもらい、その方向でやってもらうことになったのだが、とくに、豊平硝子社は社長自らが試作品を何度も作り協力してくれた。このガラス製品が那須野さんの写真とよくマッチし、写真とともに彩の大地館のイメージを形作っている。青い空に白い雲、赤い夕陽、緑の草原、ラベンダー畑、それぞれをイメージしたグラス、花瓶、水差し、氷入れなどが社長の暖かい気持ちを伝えている。
実際、彩の大地をテーマにした展開はかなり成功している。しかし、もっとアイデアを広げたいと思った。色々考えているうちに、実は、「葉祥明」さんが浮かんだ。ビジュアル的なことは、那須野さんの写真やビデオでずっとやってきているのだけれど、これに「絵」が加わったなら鬼に金棒、イメージ的なことはすべて網羅出来る。おそらく、写真と絵の相乗効果で別な新しい展開が生まれるだろうと思った。
何故、葉祥明さんが想い浮かんだのか、今となっては分からない。車を運転する人なら分かってくれると思うけれど、走っていて五官はちゃんと運転に作用しているのだが、頭の中は連想ゲームみたいな感じで次から次へと色々なことが浮かんでは消え、浮かんでは消えることがある。身体は運転しているけれど、意識は全然違うところに行ってしまっている。そんな状態の時に、「葉祥明さんが富良野の絵を描いてくれたら、すごいだろうな」ということが、浮かんだ。
それまで葉祥明さんに特別な感情を持ったことはなかったし、デパートの展覧会に行ったことや取り立てて雑誌や本を見たこともなかった。しかし、ぼくが東京に住んでいた頃は、ちょうどメルヘン・葉祥明が一世を風□していた時期にあたり、知識としてはインプットされていたと思う。
そのまま車を飛ばし、旭川の書店に直行した。そこで見た画集が気持ち悪いくらい「富良野」だった。那須野さんとほとんど同じ構図の絵が何点かあった。ここでもまた、不思議な偶然があった。
ぼくは早速、その本の出版元であるサンリオ社に電話をかけた。「先生の住所や電話番号はもちろん教えて頂けないでしょう」と言ったら「ハイ」という返事だったので、サンリオ社宛に、小包を送るから先生に渡してくれるかと聞いたら、ハイということだったので、こちらの手紙と資料(那須野さんの写真集、絵はがき、ポスター、ビデオなど)、企画書(絵本画家・葉祥明氏とのジョイント企画)を送った。
その企画書を次に読んで下さい。

タイトル 絵本・彩(いろどり)の大地

  • 趣旨
    富良野は自然の真っただ中にあります。十勝岳、芦別岳をはじめとする北海道を代表する山々、母なる川空知川、東洋一の美林といわれる東大演習林、全国的に名を馳せた広大な丘陵地帯、秀麗な眺めの金山湖、メルヘンチックな夢を与えるラベンダー畑など。その自然環境は世界に通用するものです。
    オフィスフラノではここ数年、富良野のイメージを大切にいろいろな企画を展開してきました。特に「麓郷の森」、「フォーラムフラノ」を拠点にしての写真家・那須野ゆたか氏との仕事は、高く評価されています。常設のフォトギャラリー「森の写真館」設立。写真集、ビデオ、カレンダー、絵葉書、ポスターなどの企画、制作、販売。東京、大阪、名古屋、札幌での写真展の企画、開催など、その範囲は多岐にわたっています。
    葉祥明氏の絵と文は、今更言及する必要もないほどすばらしく、沢山の人達の賞賛と共鳴を得ています。葉氏の描く風景は心温まり、見るもの誰もが感動するものです。そして、その風景のイメージと富良野の風景のイメージがとてもぴったりする印象をうけました。当企画は、葉氏に富良野をテーマにして絵を描いていただき、「絵本・彩の大地」発刊をベースにして、常設の絵画ギャラリー「森の美術館」設立。ビデオ、カレンダー、絵葉書、ポスターなどの企画、制作、販売。各地での展覧会などを長期的に、進めていきたいと考えます。

突然こんなものが、先生に届けられたら失礼かもしれない、なんて思わなかった。怒られるにしても、断られるにしても、「あんな清らかな絵を描く」先生だから、そんなにヒドイことにはならないだろうし、もしかりに、想像していた人と違って、嫌な奴だったら、ただそれだけのことだと、いかにも田舎モンの身勝手な理屈を胸に、返事を待った。
ハガキが来た!それも葉先生ご本人から。

前略 
サンリオから宅急便が届きました。沢山の資料どうもありがとうございます。私は富良野には行った事がありませんが、色々なもので見知って、とても親しみ深く感じてます。
と申しますのは私の故郷の九州阿蘇とイメージが似ているからです。広い空と丘が連なる大地、透明な大気感……等々。
さて、ご依頼の件ですが、私共(私と弟)の計画とオーバーラップするところがあり、不思議な時代的な動きを感じて驚いております。と申しますのは、私の美術館設立と関連業の計画を日本全体を視野に入れながら考慮中だからです。
今、責任者の弟、葉山祥貞がヨーロッパ視察中です。帰国したらお会いできると思います。
それでは近い内に!

このハガキを読んだ時は、喜ぶよりさきに、これは大変なことになったと少し怯んだ。本当にぼくらでいいのだろうか、何か勘違いをしているのではないだろうかと、手紙を出したときのイキオイなんて微塵もなかった。この辺がまたぼくらの良いところでもあるのだが。とにかく、それから先生同様に心の優しい弟さん共々お付き合いさせていただき、今オフィスFURANOの手元に富良野をイメージしたすばらしい絵が20枚ある。
その絵を使って色々な商品化を急いだのだが、そのメインになるものに祥明さんの絵柄をのせた磁器製品がある。このどうしてもやりたくて始めた商品化は、無謀に近い計画になってしまった。
まず、白地の磁器である。何処かに良い磁器がないかと、あらゆるところを探しまわり、色々な人に話も聞いたが、どうも日本にはぼくらのイメージするものが無いのが分かった。たまたまぼくが、姉の住んでいるオランダのアムステルダムに行ったときに、偶然入った食器店に、イメージぴったり、価格ぴったりの磁器が、奥の棚に納まっていた。コーヒーカップの裏を見ると、Friesland、GERMANYというアルファベットあった。「輸入」という言葉が、一瞬ぼくを捉えた。「カッコいいな、ドイツか、輸入か」すっかり、横文字の虜になってしまった。
帰国後、姉に頼んでFriesland(フリースランド)社に電話やFAXしてもらい、可能性を調べてもらった。答えは、OKだった。白地の磁器を卸してくれるという。しかし、これからがもっと大変だった。絵柄の問題があった。デザインはいつもの通り高橋が担当するにしても、磁器にどうやって絵柄を着色するのか、おそらく印刷したシートを磁器に張り付けて熱処理するのだろうけれど、そのシートは何処でやってくれるのか。よく知っている印刷会社に聞いたら、磁器の印刷シート(トランスファー)のクオリティに関しては日本一だという横浜の「増田工芸」社を紹介された。
富良野で考えたアイデアに、熊本出身で東京在住の画家が絵を描き、横浜でトランスファーを印刷し、ドイツでドイツ製の磁器に絵柄をのせる。出来上がった商品をドイツから富良野に「輸入」する。このストーリーに身震いした。
この物語に感動した。までは、いい。もちろん、世の中はそんなに甘くはない。
まず、増田工芸の社長に怒られた。紙にする印刷と磁器にする印刷は全然違うし、磁器の素材や絵付けする時に入れる窯の温度など、ちょっとした微妙なことで色はまったく変わってしまう。言外に、シロウトが手を出せる代物ではないという、怒りの感情が伝わってきた。ぼくは粘った。怒られたのには、ちょっとシャクに障るけれど、プロとしての理屈は合っている。だいたい、こういう人は今までの経験から言っても信用出来る。
いつもの通り、捨身の戦法に出た。オフィスFURANOはどんな会社で、どうして磁器の仕事をやろうとしているのか、富良野は美しいところで、家族は5人で下の子は双子で、親父は元気で働いていて、みんなお金はないけど頑張っていて……。必死だった。見かねたのだろう、企画を担当している小澤女史が「社長、今回だけはやって上げて下さい」と頼んでくれた。勝負はここでついた。社長はシブシブ、引き受けてくれた。
結局、一年以上の歳月はかかったが、"おそらく"世界的なクオリティを持ったすばらしい仕上がりのトランスファーが出来上がった。何故、"おそらく"なのかというと、こちらにそれを見極める基準がないからだ。増田社長、シロウトでごめんなさい。
さて、増田工芸に絵柄を付けてもらった見本の磁器と、トランスファーを早速アムステルダムに送った。焼付けは経費の関係から、ドイツでやってもらうことにしていた。いよいよ、大詰めを迎えた。後はドイツから送ってくる見本を待って、それの絵柄の色とか位置をチェックし、最終的にGOのサインを出せばいいだけだった。
送ってきた!小踊りしながら小包を開けた。「あれっ!」、箱の中から取り出した見本製品を見たぼくは、踊っているわけにはいかなくなった。増田工芸の見本とは似ても似つかぬ色の皿が出てきた。
「貿易摩擦」という言葉がリアリティをもって何度も浮かんだ。ついには、「ヒットラー」の顔まで浮かぶに及んで、少し冷静になった。すぐに、8時間の時差のあるアムステルダムに時間を気にしないで電話した。夜中だった。ぼくは、日本人とドイツ人の気質の違いを国際的な視野に立って述べ、いくら優秀だと言われているドイツ人だって、日本人の繊細さから比べれば、ズボラに近いのだ、ぼくはドイツ人を信用し過ぎたようだ……。「とにかく、フリースランドの担当の人に連絡してみる」と、眠たそうな姉の声。
それからが、進まない。富良野、アムステムダム、横浜、ドイツ、この4点間に電話、FAXが飛び交ったが、いっこうに進まない。焼付け温度の設定が問題なのは4地点とも理解したのだが、進まない。
初めから、そう簡単に事が運ぶとは思ってもいなかったし、むしろスムーズに行く方がおかしい、この困難を乗り越える事こそ将来の仕事の役に立つのだと、自分に言い聞かせて、待った。そして、待った。
やっとのことですべての種類の見本が届いた。嬉しいことに絵柄の色は格段に良くなっていた。今度こそ、後は待つだけと胸を撫でおろしたが、またまた問題が出てきた。
食器を輸入するのには食品衛生法に基づいた「検査」をしなければならないという。ドイツでは何の支障もなく検査をパスした同じ食器を、何故もう一度調べなければならないのか。ドイツ人を信用しないのか。またしても貿易摩擦が頭によぎった。今度はヒットラーではなくて、「大日本本営」だ。 始めてから丸二年以上の月日が経ってしまった。
今年の八月に、はるばるドイツからやっとの思いで大阪の港に着いた愛しの磁器が、首をキリンにしていたぼくたちに対面出来たのは、なんと、十月の下旬だった。
今は、その絵柄「ラベンダーの丘」と「一本の木」の淡い紫、そして黄色と緑の色彩が店のコーナーを華やかに飾っている。 本当に、長かった。
葉祥明さんの関係は、この磁器をメインに絵はがき、メッセージカード、ポスターなどの印刷物を組み合わせて商品構成をしているけれど、商品化するにあたって、富良野に対して何かメッセージを書いて下さいと祥明さんに頼んだ。いつものように、快く引き受けてくれた。それがすごくすばらしいので、祥明さんのシリーズはそのタイトルで統一することにした。

空はどこまでも高く、丘は果てしなく広がる……
富良野は、神と農夫が力を合わせ、永遠の時の中で創り上げた……聖なる丘
人々は聖地巡礼のごとく、この地を訪れ、天国に続く美しい丘の縁に佇む
慎ましく、畏敬の念を持って
「富良野・聖なる丘」
葉   祥 明

しかし、聖なる丘では少し強すぎるので、横文字で「HOLY HILL」(ホーリーヒル)にさせてもらった。将来的には、このHOLY HILLのイメージをどんどん膨らませて、絵本の出版、そして美術館やHOLY HILLそのものの建設など、富良野を舞台に総合的な展開をしたいと考えている。
また、弟さんの祥貞氏と協議をしながら、富良野の絵にこだわらず、葉祥明そのものをプローデュースする計画にも参加させていただいている。
ぼくがどこまでやれるか、非常に難しいと思うけれど、楽しい仕事なので夢を持って頑張りたい。

那須野ゆたかさんとの仕事
那須野さんは富良野の風景の撮影をベースにしながら、他の街や海外もここ数年撮り続けている。小樽、横浜、上海、ソウル、シンガポール、タヒチ、ヨーロッパ、北欧、アメリカなどで、東京での写真展も、小樽を題材にした「小樽」展(1988年銀座・富士フォトサロン)、上海、ニューヨーク、パリ、横浜などを中心とした「RELATION(リレーション)」展(1989年新宿・ペンタックスフォーラム)、イギリスの夕暮れ(ダスク)をテーマにした「ダスク」展(1990年銀座・コダックフォトサロン)と開催してきた。もちろん、そのすべてにオフィスFURANOは関わっている。富良野にこだわって、富良野に少しでも貢献したいという趣旨でスタートしたオフィスFURANOが、どうして小樽?外国?と思うかもしれませんが、ぼくらの富良野に対する気持ちは、今もまったく変わっていない。
今、富良野が日本的に注目されているけれど、それは単に観光ブームとして、ファッションとして、もて囃されているのではなく、もっと本質的な要素が富良野にあるから、大勢の人が訪れていると思う。
富良野の意味は、人間が生きていく、生活していく場所としてのイメージが、リアルに考えられるところにあると思う。つまり、「こんな美しいところに、住んでみたい」「こんなきれいな環境で、生活してみたい」という感情にさせるのだ。ぼくらの仕事はそのイメージを、よりよい形で提供することにあると考えているし、会社設立当初から現在までそう努力してきた。
しかし、少し視野を広げて、富良野以外にも同じようにイメージ出来るすばらしいところが沢山あるのだから、富良野で培った感覚でそれらを紹介するのも、大切な「仕事」だし、メイド・イン・FURANOの「仕事」だと考えるようになった。
「世界中の『富良野』をみんなに紹介して、みんなを幸せな気分にさせるのだ!」
富良野以外の写真も、写真展だけではなく色々な雑誌や新聞にカラーで掲載され、発表している。「朝日ジャーナル」(朝日新聞社)、「鳩よ!」(マガジンハウス社)、「コマーシャルフォト」(玄光社)、「ハイミセス」(文化出版社)、「毎日新聞」、そして今年一年間連載した「RURUBU」(日本交通公社)など多くを数えるが、新しい展開にまでは至っていない。それは、この展開のフィールドはどうしても東京に集中しているので、地理的、時間的な障害があったからだ。その事情は今も変わらないが、そろそろ「本腰」を入れないと、ここ数年の活動が無駄になってしまう恐れがある。動き始めなければならない。この分野の活動が広がれば、今後のオフィスFURANOの展開も広がっていく。
まずは、「彩の大地」以来写真集を出版していなかったが、久し振りに新しい写真集を出版する。那須野さんが今まで撮ってきたすべての作品から選りすぐり、タイトルは「夢のとき」にする予定で、デザインは東京の南青山に事務所がある中林博彦さんがやってくれることになっている。正に、満を持しての出版だ!
中林さんとは「そのうち、いい仕事を一緒にしたいね」と言いながら、三年以上の月日が経っていた。いよいよ、「いい仕事」を一緒にする時がきた。と思う。この中林さんもおかしい人で、金額を聞いてから仕事をする人ではなく、「お金は沢山くれるに越したことはないが、なかったら麓郷の森の"食事付きの宿泊券"でもいい」と言ってくれ、「那須野さんの写真を初めて見たときから、写真集を作るなら、ぼくがやると決めていた」と、頼もしいお言葉。とにかく、この人の写真に対する姿勢にはいつも敬服していたので、どんなすばらしい写真集が出来るか楽しみだ。おそらく、最初の写真集「彩の大地」とはちょっと毛色の違った写真集が出来上がることになると思う。今までは頑ななまでに自分達だけで全部やろうとしていた傾向が強かったが、これからはもっと弾力性をもって考えていこうと思う。
しかし、出版は今回も自分達でやることになりそうだ。大手の出版社の人と話をしてみたが、やっぱり噛み合わなかった。何が「やっぱり」かというと、ぼくには「なんでも結構ですから、お願いしまーす」という謙虚さがまるでなく、業界のプロに向かって、素人の田舎者が写真集に対する考えや意見を言い過ぎたためで、結果は予想していた。しかし、ぼくは負け惜しみではなく、失敗したとは思わなかった。何故なら、結果を予想していたとはいっても、もちろん100%確信していたわけではなく、1%か2%の可能性はあると思った。その可能性に賭けたのだ。
ここ数年那須野さんと力を合わせて、なんとか自信の持てる作品と企画を作ることが出来た。「よくやってきたなぁ」という思い入れがある。その思い入れが、計略ではなく正攻法を選ばせたのだ。ちゃんと話をし、きちんと説明し、本当の気持ちを伝えて、それで駄目ならしょうがない。つまり、出版社がこちらの勝手な思い入れを理解してくれるのなら、そこから出版してもらおうと。これでは、やっぱり噛み合わないか。とにかく、この「夢のとき」はぜひとも仕上げたい。
タイミングのいいことに写真展「夢のとき」の開催が決まった。今回の会場はぼくらに一番関係の深い「彩の大地」展もやってくれたペンタックスフォーラムだ。
写真集と写真展、これらを突破口に、富良野での「彩の大地」と同じように多角的に展開し発展させ、しかも今度はさらに全国的、国際的な規模でチャレンジしてみたいと考えている。
写真展「夢のとき」は大成功だった。写真関係の雑誌はもちろんのこと、RURUBU誌、NONNO誌、HANAKO誌などにインフォメーションが載ったこともあって、連日大勢の人が来てくれた。その中には顔見知りのフラニストの人も数多くいた。これで5年連続毎年写真展をやったことになるけれど、いつの間にか写真展が年に一度の「同窓会」みたいなことになっていた。これはまた違った意味で、写真展を続けるエネルギーにもなっている。
毎年レセプションもやらせて頂いているのだけれど、今回も数十名の人達が出席してくれて、有難いレセプションになった。藤井秀樹先生、佐野洋先生、最初の写真展からずっとお世話になっているペンタックスの梶原景俊部長が挨拶をしてくれた。葉祥明さん、浜田も来てくれた。身に余る光栄とはこのことだ。
写真展をやった実感として、「夢のとき」のコンセプトは間違っていないと確信した。みんなが求めているものと、ぼくらがやろうとしていることは完全に一致する。写真展の余韻があるうちに、とにかく写真集を出版しようと思っている。現に、作業も少しずつだが進めている。中林さんは超多忙で、直接タッチ出来そうにない状態だけれど、適時助言を頂ながらいいものを完成させるつもりだ。