■ 「ジョン・コルトレーン インタヴューズ」 by富良野のオダジー 2013年03月05日(火)

  68,046 byte今日は天気も良く、気温も上がった。道路の雪は融けていて、水溜りになっているところもあった。
新聞などで報道されているので、ご存知だと思うが、ほんの2、3日前に猛威を振るった「暴風雪」が信じられない。長年富良野に住んでいて、大雪や吹雪の経験を積んできているが、経験を凌駕する自然の脅威があることを今更ながらに実感した。
この一つ前のワイワイ日記で“予告”した通り、「ジョン・コルトレーン インタヴューズ」を少し紹介する。

インタヴュアーのコフスキーが「音楽は私に初めて、視界の外にあるものを気づかせてくれた。自分が生きている世界について考えるようになったのです。」と言ったことに対し、コルトレーンは「ああ、それこそ音楽の力だ。間違いない。絶対に。精神性に関する限り、この世には今の私にとって非常に重要なものが存在する。(中略)私は善を導く力になりたい。」、続けて「つまり、この世には悪しき力というものが確実に存在する。他者に苦しみを、世界に悲劇をもたらす力がそこにある。だから私はそれに対抗する力になりたい。善だけを導く力になりたい。」

もちろん他にも色々興味深い発言はいっぱいあったが、この発言は、やはりというか、コルトレーンの音楽の根底には「使命感」みたいなものがあって、それが聞くものに精神性の高い音楽として伝わるのだろう。
私は、2009年01月20日ワイワイ日記で、コルトレーンに言及している。
ちよっと恥ずかしいが、「オレはジャズを人生で聞いている。趣味で聞いているわけじゃない」などと言っている。
おそらく、コルトレーンの「善だけを導く力になりたい」に呼応しているのだと思う。演奏者がそういう気持ちで演奏している音楽だから、ただ単に楽しみとして聞く訳にはいかない。
だからと言って、窮屈とか苦痛とかではない。共感出来る喜びがある。人は共感することに幸せを感じるものだと思う。
なんか、コルトレーンのことになると、ちょっと違うスイッチが入るようで、失礼しました!
 


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