■ HAMAKIN SOLO by 富良野のオダジー 2020年06月06日(土)

  63,232 byte昨日、ハマキン(浜田均・ヴィブラフォン奏者)から2枚のCDが届いた。「HAMAKIN SOLO」と「MALLET gANG」。
「HAMAKIN SOLO」のライナーノーツにはオダジーのことを書いてくれた。
ハマキンは私の中学校の同級生だが、私の会社「オフィスフラノ」とも30年以上前から仕事をしている。
ビデオ「彩の大地-Furano-」、DVD「夢のとき-Furano-」、CD「夢のとき-Furano-」、CD「Holy HiLL Furano」、そして最近はフォーラムフラノでのコンサート(今年も10月10日に開催予定)。
下記にライナーノーツを転載します。

「HAMAKIN SOLO」を創った経緯(浜田均)
 私は音楽を生業にしようと決意したとき、自分の演奏しているヴィブラフォンという楽器はそれほど好きな楽器ではありませんでした。むしろ他の楽器をやりたいけどこの楽器ほど自由に演奏できないのでやっている、というのが正直なところでした。そんなこともあり、ジャズヴィブラフォン奏者にはほとんど魅力を感じたことが無く、ピアノとかサックスの演奏をたくさん聞いていました。また音楽理論としてのジャズ理論には胡散臭いものがたくさんあって(一種の偽科学)、そしてジャズの演奏を聞いてもテーマが終わったらどれもこれも同じに聞こえるものが多くて失望しました。ということで音楽理論は和声学と対位法そして現代音楽の諸理論を自分で勉強しました。大学では物理学を専攻していたので、数学に比べたら何ら障害はありませんでした。おかげでジャズのアドリブはクラシックや20世紀の名曲から借用しているのがよくわかりましたし、「ジャズ理論」なんていうのは殆どがでっち上げだという確信を持ちました。自分で勉強した音楽理論でジャズを演奏すると、日本では本家のジャズ奏者に似ていることで評価されるという「文化」がありましたので私は「ジャズファン」からは評価されませんでした。
 そのかわり「ジャズファン」以外の人たちから評価されるようになりました。そして海外で演奏すると、特に個性を評価する欧米で絶賛されました。そんな事が励みにもなり、自分は間違っていなかったと確信を持てたので、ずっと音楽で生きてこられました。そして、ふと気が付くと還暦を迎えようとしていました。40歳から自らの判断で子育てを引き受けたので練習らしい練習も殆どせず、社会に打って出ることもせず、でしたが子供も大きくなったので還暦を機にもう一度音楽中心の生活を取り戻そうと思いました。そして還暦記念コンサートを1年の内に4回やるという計画を立て、準備のために2年前から練習の日々が始まりました。おかげで技術も復活どころかむしろ上達して、長年鍛えた感性に磨きがかかり、なんとヴィブラフォンという楽器に魅力すら感じるようになったのです。こうなると練習は苦痛ではなく日々の食事と同じ様な「習慣」になりました。やらない事の方が不自然な気持ちになっていました。そして素晴らしい音楽家と共演することはもちろんのこと、一人の演奏もいいものだなと思えるようになってきました。そういうこともあって還暦を機に年2回ツアーを組んでいろんな所でソロの演奏をやらせてもらえる機会を増やしてきました。
 そしてツアーでは、必ず富良野に寄らせてもらっています。長年にわたり一緒に音楽を作ってきたオフィスフラノの社長小田島忠弘(オダジー)さんのところでのコンサートはツアーの楽しみなのです。そして迷惑を顧みずオフィスで長時間練習もさせてもらいます。練習を聞いていたオダジーが「ソロで録音したらいいね。ここで録音したらいいよ。やってほしい曲もあるので進めようよ。」と言ってくれました。私はすっかりその気になりましたが、オダジーのオフィスで録音となると色々障壁がありそうなので、東京のスタジオで録音することにしました。長年ソロで弾いてきた曲、好きな曲、そしてオダジーが選んだ曲で構成されています。特にオダジーからのリクエストだったのは・枯葉(Les Feuilles Mortes)・First Song・Fragile でした。心を込めて演奏しました。もちろん他の曲も大好きな曲ばかりです。どうぞお楽しみください。そして最後に私がヴィブラフォン用に編曲した「The Dolphin」と言う曲を収録しましたが、この3年間私の所で濃密な修行をした田中里枝が演奏しています。ブラジルのピアニスト「ルイス・エサ」(Luiz Eca)の曲ですがビル・エバンスが素晴らしい演奏しているので、その内容をヴィブラフォン用に編曲しました。併せてお楽しみ下さい。(2020年5月31日)
 


- Web Diary UpVersion ver 1.30 -