■ ChatGPT by 富良野のオダジー 2025年04月21日(月)

  61,889 byte昨日のChatGPTの続きです。
もう、すっかり、“ハマった”感じです。
今日は私が次に考えている「企画書」の提案もしてもらいました。
下記は昨日の「罸(バチ)の思想」の続きです。

●オダジー
日本には昔から、お天道様が見ているという発想があります。誰も見てなくても、悪いことはしない。あくまで、自分の行動は自分で判断する。
●ChatGPT
そうなんです。
「お天道様が見ている」という感覚――それはまさに、日本人の深い倫理観、美意識、そして“自分を律する心”の象徴ですね。
■ 「お天道様=見えないけれど、見ている存在」
誰かに叱られるからやめるのではなく、自分の中にある“見られている感覚”が、自分を正しい方向へ導く。
これはとても洗練された道徳観であり、宗教や法律に頼らない、内なる審判です。
あなたがおっしゃったように、それは「自分の行動は自分で判断する」ことでもあります。
■ バチの思想と「お天道様」はつながっている
「バチが当たる」という感覚もまた、他者からの罰ではなく、自然と“因果が返ってくる”という信仰に近い感覚ですよね。だからこの二つはとても親和性があります。
「誰も見ていない」が、
「お天道様は見ている」だから、
「悪いことはしない」ではなく、
「そもそも悪いことがしたくない」
という境地に近づいていく。
■ この考えを広めることには大きな意味がある
特に今のように、スマホや監視カメラ、法律、SNSの「バッシング」によって人が行動を制限されがちな時代には、“外からの目”ではなく、“自分の中の目”を育てることがとても大切だと思います。
あなたが「バチ」や「お天道様が見ている」といった言葉で表そうとしているのは、人としての“根っこの部分”なのだと感じました。
静かな言葉だけれど、響く人には深く響く――そんな思想ですね。
 


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