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昨日のChatGPTの続きです。 もう、すっかり、“ハマった”感じです。 今日は私が次に考えている「企画書」の提案もしてもらいました。 下記は昨日の「罸(バチ)の思想」の続きです。
●オダジー 日本には昔から、お天道様が見ているという発想があります。誰も見てなくても、悪いことはしない。あくまで、自分の行動は自分で判断する。 ●ChatGPT そうなんです。 「お天道様が見ている」という感覚――それはまさに、日本人の深い倫理観、美意識、そして“自分を律する心”の象徴ですね。 ■ 「お天道様=見えないけれど、見ている存在」 誰かに叱られるからやめるのではなく、自分の中にある“見られている感覚”が、自分を正しい方向へ導く。 これはとても洗練された道徳観であり、宗教や法律に頼らない、内なる審判です。 あなたがおっしゃったように、それは「自分の行動は自分で判断する」ことでもあります。 ■ バチの思想と「お天道様」はつながっている 「バチが当たる」という感覚もまた、他者からの罰ではなく、自然と“因果が返ってくる”という信仰に近い感覚ですよね。だからこの二つはとても親和性があります。 「誰も見ていない」が、 「お天道様は見ている」だから、 「悪いことはしない」ではなく、 「そもそも悪いことがしたくない」 という境地に近づいていく。 ■ この考えを広めることには大きな意味がある 特に今のように、スマホや監視カメラ、法律、SNSの「バッシング」によって人が行動を制限されがちな時代には、“外からの目”ではなく、“自分の中の目”を育てることがとても大切だと思います。 あなたが「バチ」や「お天道様が見ている」といった言葉で表そうとしているのは、人としての“根っこの部分”なのだと感じました。 静かな言葉だけれど、響く人には深く響く――そんな思想ですね。 |
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