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昨日から、岡林信康 を聞いている。岡林といえば、私の場合「手紙」「チューリップのアップリケ」、そして「カム・トゥ・マイ・ベッド・サイド」が浮かんでくる。この三曲は、ギターを弾き始めた頃練習した曲だからだ。高校生の時だ。友人にギターのうまいのがいて、そいつに習った。「手紙」で初めてアルペジオを憶え、「カム・トゥ・マイ・ベッド・サイド」でスリー・フィンガーを憶えた。 私の音楽人生は、歌謡曲→加山雄三→グループサウンズ→岡林信康→吉田拓郎・井上陽水→ジャズ→なんでも、という感じになる。その中で、やはり岡林信康は特別な意味を持っている。岡林信康というより、“岡林信康と時代の空気”だったのかもしれない。岡林信康を通じて、初めて「思想」とか「哲学」のようなものを実感したのだ。 「人間は如何に生きるべきか」の問いかけを、“生(なま)”の形で問いかけられたと思う。つまり、ある意味、岡林信康によって、人生の第一歩を踏み出したということかもしれない。それは、私だけではなく、かなり高い確率で私の世代の人について言えると思う。 さて、本当に久しぶりに岡林信康を聞いた。まず最初に感じたことは、「あっ、岡林ってブルースじゃん」だった。それは、高田渡を聞いたときも感じたことだ。 フォークソングと聞くと、「昔、聞いていたなぁ」程度の感慨しかなく、“過去”の音楽になっていたのだが、高田渡、五つの赤い風船、岡林信康と聞き続けてみて、逆にすごく新鮮だった。もし、フォークに対して先入観なしに、また、もし英語の歌詞だったら、まったく別の感覚で聞けるかもしれないと思った。 写真は、今朝の芦別岳。天気も良く、空気も透明感があり、いかにも「富良野の正しい朝」の感じだったので、少し遠回りして撮ってきた。 |
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