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ワイワイ日記で何回か紹介している、我が富良野高校同級生、山田からメールが届いた。 昨日のワイワイ日記「富良野西岳」に、芦別岳が写っていたことに対することだ。
maruny@山田です おお、わが雄雄しき芦別岳。 いつもありがとう。オダジーと霊峰両方に感謝。 登ったんだよな、小5のときは鶯谷まで。次の年にてっぺんまで。 山開きの日でも小学生は登攀禁止だったんだけど、同級生みんなで、「おらが村(当時村だった)の山に登るの村民の義務」、とつるんでこっそりね。 翌日ばれちゃってさ、松組(笑うな!山部は松竹梅桜だったんだよぉ・・)の奴ら5人が。廊下に並べられて担任にスリッパでビンタさ。 竹組はオレだけで、そのうち呼び出されるんだろと思っとった。 だが、”仁義”なんて言葉を知ってはいなかったろうが、なんと彼らは口を割らず、仲間を売らず、オレだけお咎め&制裁なし。 「ひゃっほ〜!」・・・・ではなく、仲間とは、人生とはを学んだ昭和39年の7月1日だった。のだよ。
メールをそのまま転載させてもらった。 写真は、今朝の芦別岳。 山部(やまべ)の人にとっては、芦別岳は特別な意味があるのだろうね。特に、今は違う土地に住んでいると、なおさら、郷愁というか、なんというか、こみ上げてくるものが・・・。 ちなみに、気になった「登攀」。ちょっと、調べてみた。 『とう‐はん【登攀】[名](スル)登山で、険しい岩壁などをよじ登ること。とはん。「ヒマラヤ―に成功する」』 色々勉強になるねぇ。 |
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