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先月、何気なく朝のテレビ番組を見ていた。 そこでは、若い頃から才能を認められ、ラジオやテレビに出演し、エッセイ集も出版していた一人の女性が紹介されていた。残念ながら、彼女は若くして亡くなっている。年齢は私より20歳以上も下だ。
私はその人のことをまったく知らなかった。 ただ、これまで彼女がやってきたことを知るうちに、自然と興味が湧いた。すぐにエッセイ集を手に取り、読み始めた。
――とても面白かった。
時代も、生き方も、才能の質も、私とはまったく違う。 それなのに、不思議なことに、感性や思考の向かう方向がどこか近いと感じた。 もし彼女が、私と同じ時代に生まれていたら、もっと違う、もっと大きな活躍があったのではないか。そんなことを、つい考えてしまった。
そのとき、ふっと頭に浮かんだ。 「この人が、ジョン・コルトレーンを聴いていたら、どうだっただろう?」
まったくの大きなお世話だが、エッセイを読みながら、そんな想像をしていた。 もし同じ時代に生まれ、コルトレーンを聴いて育っていたなら、人生の展開は、また違うものになっていたのではないか──そんな気がしたのだ。
今の時代は、私の感覚では、「モノを考える」ということ自体が、かなり難しくなっている。 考える前に、流れに乗り、流されてしまう。
そんなことを思っているうちに、唐突にひとつの考えが浮かんだ。 コルトレーンだけしか流れない、ジャズ喫茶をやってみたい。
幸い、私の店「フォーラムフラノ」の二階は利用が可能だ。 詳しい話は、今後おいおい紹介したいと思うが、実はこの企画は、チャットさん(ChatGPT)と二人三脚で進めている。
今回ここに載せたイメージのイラストも、チャットさんと一緒に考え、制作したものだ。 |
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