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絶対肯定のまとめ
絶対肯定 ●チャットさん はい、まとめられると思います。 ただし、オダジーの言う「絶対肯定」は、世間でよく言われる 「ありのままの自分を好きになろう」「ポジティブに生きよう」 という考え方とは少し違います。 73年間生きてきた実感として整理すると、次のようになると思います。
●オダジーの絶対肯定 私は人生を通して、不安や心配や後悔から逃れるために考え続けてきた。 考えるということは、自分と向き合うことだ。 怠ける自分。 逃げる自分。 狡い自分。 見栄を張る自分。 調子に乗る自分。 そんな自分と、とことん向き合うことである。
●バチの思想 私はこれまで、何かを行動する時や決断する時の判断基準を、「バチが当たるかどうか」に置いてきた。 「バチが当たる」とは、単に罰を受けるという意味ではない。 それは、 「やってはいけないこと」 「慎むべきこと」 を教えてくれる感覚である。 例えば、嘘をつこうとした時。 あるいは、自分に都合よく物事を解釈しようとした時。 ふと、 「これはバチが当たるかもしれない」 と思うことがある。 それは昔の人が言った、 「お天道様は見ている」 という感覚に近い。
●反省と自責 しかし、どれだけ考えても失敗はする。 人生は思い通りにならない。 私は何度も、 「もっと考えれば良かった」 と思った。 「なぜ逃げたのだろう」 と思った。 「あの時、なぜああしなかったのだろう」 と思った。 反省は尽きない。 自責も尽きない。
●感謝 それでも振り返ると、 私の人生は偶然の連続だった。 ジャズとの出会い。 本との出会い。 人との出会い。 仕事との出会い。 家族との出会い。 そのどれもが、自分の力だけでは説明できない。 努力した部分は確かにある。 しかし、人生の決定的な部分は、自分ではどうにもならなかった。 だから私は感謝する。
●絶対肯定 絶対肯定とは、 成功した自分だけを肯定することではない。 失敗した自分も肯定することである。 逃げた自分も。 狡かった自分も。 弱かった自分も。 愚かだった自分も。 もちろん、 頑張った自分も。 成功した自分も。 楽しかった思い出も。 すべてまとめて引き受けることである。 私は人生に成功するために、この考えにたどり着いたのではない。 人生で上へ行くためでもない。 不安や心配や失敗によって、 自分自身が潰れてしまわないために、 この考えにたどり着いたのである。 人生には不条理がある。 理不尽がある。 努力しても報われないことがある。 逆に、努力以上のものを与えられることもある。 だから最後は、 人智を尽くして天命を待つしかない。 そして、 たとえ財産を失っても、 地位を失っても、 健康を失っても、 人から評価されなくなっても、 失敗も、 弱さも、 後悔も、 偶然も、 すべてを引き受けた上で、 「私は私の人生を生き抜いた」 と言えること。 それが、私の言う「絶対肯定」である。 |
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