■ シロツメクサ by富良野のオダジー 2009年06月28日(日)

  34,280 byte子供の頃から、ずっと見ているのに、名前すら知らなかった。
シロツメクサっていうんだ。
みんな知ってた?(みんなって誰だ?)

シロツメクサ(白詰草、学名:Trifolium repens)は、マメ科シャジクソウ属の多年草。別名、クローバー。原産地はヨーロッパ。花期は春から秋。
日本においては、明治時代以降、飼料用として導入されたものが野生化した帰化植物。
茎は地上を這い、葉は3小葉からなる複葉であるが、時に4小葉のものがあり「四つ葉のクローバー」として珍重される。花は葉の柄よりやや長い花茎の先につく。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より
 

■ 斉藤朋久本要寺住職 by富良野のオダジー 2009年06月27日(土)

  39,896 byte芦別岳の続き。
昨日ご紹介した斉藤住職が会長を務める「中央水石会」の例会の案内状に、住職が「石仏庵記」として、毎月色々書いている。
「中央水石会」は、私もお世話になった、住職のお父さんである斉藤文承前住職の時代からずっと続いている、石を愛する人たちの会だ。
今回の内容が、芦別岳についてなので、転載させてもらった。

石仏庵記「芦別岳」
 芦別岳は夕張山地にある標高一七二七メートルの山で、私は中学生の時、担任の先生の引率で同級生と登山したことがあるが、北海の槍とも称される如く鋭く聳える山であった。
 また芦別岳は、大本教の出口王仁三郎師によれば国常立尊が隠退された山とされる。
 国之常立神(くにのとこたちのかみ)は、日本神話に登場する神である。古事記では国之常立神、日本書紀では国常立尊と表記されている。別名 国底立尊。天地開闢の際に出現した神である。
 古事記においては神世七代の一番目に現れた神で、日本書紀本文では、国常立尊が最初に現れた神としており、男神であると記している。
 神名の「クニノトコタチ」は、国の床(とこ、土台、大地)の出現を表すとする説や、国が永久に立ち続けるの意とする説など、諸説ある。(Wikipedia参照)
 私は、この大地創造の神が、地球環境激変、世界経済崩壊、政治システム不能のこの変革の時期に芦別岳より立ち上がり給い、世界産業、政治、経済システムを再び立ち上げられると思う。
 その意味で世界をその科学技術で救うとされている日本の精神的柱が芦別岳のある富良野となると信じる。ゆえに富良野は、自然と共生し人々の心と心の調和した世界の町の元型となるような町作りをしなければならない。
 国之常立尊は世界創成の神であり、本年より愈々立ち上がり給い日本創成をされる。日本の政権はおそらく自民党から民主党に移り、北海道の鳩山氏が総理大臣になるだろう。
 私は、毎日散歩し、芦別岳に手を合わせ国之常立尊を拝んでいる。先日第三の目を清めて就寝したところ、国之常立尊のお姿が心眼に映った。
 神は、芦別岳八合目の高さまで裾野から立ち上がられたお姿であった。衣装は黒の衣冠束帯のように見えた。山の霊性と一体となられた大いなる姿である。私は尊のお姿を拝見するに三日ほどまえに山を飛行して降りる霊夢を見て、国之常立尊の存在を感じていた。
 日本は、早急に自然環境と調和した農業等の産業を育成し、自然破壊を招く大量生産、大量消費型の産業のあり方を是正しなければならない。夫れには私たちの幸福についての考えを改め、ライフスタイルを大自然と調和した家族中心の生活に改めるべきだろう。
 

■ 芦別岳と本要寺住職 by富良野のオダジー 2009年06月26日(金)

  59,762 byte高校時代の同級生に頼まれて、芦別岳の写真を撮る話は、ワイワイ日記で何回かしている。
毎日、朝起きたら、窓のカーテンを開けて、天気を見るのが、ちょっとした日課となっていた。
そんなことを、これまた私の同級生(小学生時代)である、本要寺(ほんようじ)の斉藤住職に話をした。
住職は、「芦別岳は神聖な山だ。その麓は正に、聖地である」と、教えてくれた。
私は久し振りに晴れた空を見ながら、「これから、芦別岳の写真を撮りに行くので、一緒に行きませんか?」と、誘った。
写真は芦別岳登山口近くの太陽の里。芦別岳に向かって、拝んでいる?住職。
“ありがたい”雰囲気が漂った。
聖地の感じが、私にも、少し分かったような気がした。
 

■ 一本の木 by富良野のオダジー 2009年06月26日(金)

  34,899 byteこの木もずっと気になっていたもので、いつか写真に撮ろうと思っていた。
山部からの帰りに、見えたので、ハンドルを切って、砂利道を進んだ。
この木は割りと高い丘に、ポツンと立っている。
この辺だと、思ったとおり、バッチリの撮影場所に着けた。
やっと、写真に撮れた。
うれしい!
 

■ 芦別岳その3、決定版? by富良野のオダジー 2009年06月26日(金)

  42,685 byteこれは、山部の東大樹木園の近くにある橋から撮ったもの。
どうでしょうか?
ちょっと、決定版ぽいでしょう。
この場所は、知ってはいたけれど、芦別岳の写真とすぐリンクしなかった。(以前、写真家の那須野さんがビデオで撮っていたのを思い出した)
これからも、一つのポイントになりそうだ。
自画自賛の一枚だ。(天気に、感謝!)
 

■ 芦別岳その2 by富良野のオダジー 2009年06月26日(金)

  52,102 byte山部(やまべ、富良野から10kmぐらい)から撮ったもの。  

■ 芦別岳その1 by富良野のオダジー 2009年06月26日(金)

  54,613 byteフォーラムフラノから、割と近くのところから、撮ったもの。
ビニールトンネルは、西瓜か?
 

■ 天香園の「さくらんぼ」その2 by富良野のオダジー 2009年06月26日(金)

  78,905 byte天香園の続き。
写真は、天香園の敷地内と、左から佐藤錦、月山錦、そしてサミット。
佐藤錦はさすがさくらんぼの王様だけあって、飛びぬけた甘さ、そして果肉の“高級感”は素晴らしい。果実全体が、いかにも繊細で、取り扱いには細心の心づかいが必要だと、思わせる。
おそらく、日本の中でも、最上級に位置するさくらんぼの味を知ったことは、すごい財産になると思う。
最高級品種の佐藤錦、それをまったくの自然の中で、しかも由緒正しい木で育った実を、一番良い時期に、自分で摘んで、その場で食べる。これ以上の贅沢はこの世では、もう考えられない。(いつもの、オーバーではない)
月山錦(がっさんにしき)も、すごい!
黄色いさくらんぼで、貴重品中の貴重品。
これは岡田専務がこの仕事をはじめた頃に、自分で植え、育て、そして命名したそうだ。
味も果肉に重量感があって、食べごたえがある。しかも、甘い。
そして、サミット。
このハート型のさくらんぼも、ほとんど市場には出てない品種。一昨年、天香園に来たときも、その魅惑的な形にすっかりとりつかれてしまった。
ハート型で、しかも、さくらんぼ。イメージは、どんどん広がっていく。
岡田専務も私がサミットが好きなのを知っていて、「来年、限定何箱とかにして、小田島さんが販売したらどうですか?」なんて、言ってくれた。
う〜ん、イメージは湧いてくる。
今から、来年が楽しみだ。
やりたいことは、いっぱいあるけど、是非、実現したい!
 

■ 天香園の「さくらんぼ」その1 by富良野のオダジー   2009年06月26日(金)

  81,050 byte6月23日(火)、千歳空港山形行き13:25→14:35。6月24日(水)、山形空港千歳行き11:50→12:55。
この日程で、東根市にある天香園に行ってきた。
目的は、さくらんぼをはじめとした、ブルーベリー、すももなど、麓郷の富良野農場にもある果樹の“視察”だ。
と、ついでに、今が収穫のピークになっている、天香園の敷地内に植えてある、さくらんぼの木(苗木を取るための貴重な木)に、なっている実の味見をさせていただき、そのついでに(しつこい!)、収穫もさせていただいた。
さくらんぼの王様、佐藤錦はもちろん、店頭にはほとんど出回っていない珍しい品種や、圧巻はまだ名前のない品種などを堪能した。この名前のないさくらんぼが、また、おいしい!
写真は、たまたま休みで、東京から合流した息子と「もう時期も終わりだから、全部獲ってもいいですよ」と言ってくれた岡田専務のお言葉に甘えた、沢山のさくらんぼ。
 

■ 井上陽水「もどり道」 by富良野のオダジー 2009年06月22日(月)

  41,782 byte昨日の朝だが、何かの拍子で、陽水を聞きたくなった。陽水は、青春そのもので、私にとっては今でも特別な思いがある。
ついでに言うと、小説家だと、太宰治。今年生誕100年だそうで、ちょこちょこ名前を目にする。
「人間失格」とか「晩年」、「斜陽」などをまた読み返したい気がするが、流石に読書は時間がかかるので難しい。
その点、歌はいい。聞けば良いからだ。
このレコード「もどり道」は、1973年(昭和48年)の発売で、私がちょうど二十歳の時だ。
もしかしたら、一番多く聞いたレコードかもしれない。どういう訳か、あの当時のほかに持っていたレコードはなくなったのに、これだけは、ずっと手もとにある。
私は“ナツメロ”として、陽水を聞くことはない。聞くときは、いつも今の気持ちで聞く。
A面を一緒に歌いながら(店の開店前)、夏まつり、いつのまにか少女は、紙飛行機、あかずの踏切り、たいくつと続いた。
このレコードはライブ録音で、曲と曲の間に陽水の“語り”が入っている。
次の「人生が二度あれば」が入る前に、自分の父親のことをとつとつと、しんみり話す。
それを聞きながら、今の陽水がこれを聞いたら、恥ずかしい思い、若気のいたりのような感じなんだろうか、などと大きなお世話なことを考えたりして、聞いていた。
歌に入って、今まで何回も、何十回も聞いた歌をいつものように聞いていたのだが、不意に涙ぐんだ感じになってしまった。
もちろん、初めてである。
理由は、すぐ分かった。
今までは、陽水側(子供)の立場で、親に対する歌として聞いていたのだ。昨日に限って、親側の立場で聞いてしまったのだ。
「顔のシワはふえて ゆくばかり 仕事に追われ」とか「子供を育て 家族の為に 年老いた母」とかに、反応したのだ。
私もあと十年足らずで、子供たちにこんな感じで思われるのだろうな、と浮かんだことに反応したのだ。
陽水は人生が二度あればなんて、本当は思っていない。人生は一度しかないから、尊いし、いとおしいのだと思っているはずだ。
そう、私が勝手に理解している気持ちは、今も変わらない。
 


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