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安藤 寿康著の「能力はどのように遺伝するのか」読んだ。 データをふんだんに使って、あくまで主観ではなく、データに則って分析している。 私はデータはそのまま信用して、著者が分析した結論を早く知りたいと思いながら読んでいた。 私は以前から下記のように考えていた。 誰でも自分の意思で生まれてきた訳ではない。気がついたら自分がいて、親がいて、家族がいた。 元々自分に備わった“何か”があって、すべてはそこから始まる。例えば、冷たい氷に生まれて最初に触れた時に「冷たい」と感じるか、「気持ちいい」と感じるかは、自分で決めているのではなく、生まれた時に自分に備わった“何か”が決めることになる。 どう感じるかで、その後の人生は大きく変わる。 私は宗教やスピリチュアルなども好きなので、まずどこかに自分というものがあって、自分が自ら親を選んでこの世に生まれてきたというような考えも好きだが、ここでは遺伝の話。 この“何か”が遺伝と言えば、そうだと思う。 オダジーは何か失敗したとしても、それは自分ではどうすることも出来ないと思っている。何故なら、元々自分なんて無いのだから。“何か”が勝手に私を自分にしたのだ。全然しょげることはない。 逆に、何かで成功してみんなに褒められたとしても、調子に乗ることはない。それはオダジーがやったのではなく、元々オダジーを形作った“何か”のお陰だ。 この考えは「開き直り」ではない。「理屈」だ。しつこいようだが、元々自分の意思で生まれてきた訳ではない。 ただ、オダジーは曲りなりにも70年以上もこうやって生きてこれたことに、感謝している。 この本を読み終わって、オダジーの考えは変わらなかったことは確かだ。 |
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