■ フォーラムフラノの英語パンフレット byオダジー 2007年01月13日(土)

  86,457 byte一昨日の夜、フォーラムフラノでビーフシチューセットを食べてくれたオーストラリアの人が、訪ねてきた。
しんちゃんを見つけるなり、話しかけてきた。富良野のスポーツ店に行きたいのだが、そこの場所と営業時間を教えてくれとのことだった。
そのすぐ後に、別のオーストラリアのご夫婦も来店したので、しんちゃんはそちらを対応し、私がスポーツ店に電話をして、聞くことにした。
しんちゃんしか英語が話せないのに、同時に二組の外国人は、ちょっと困る。
ちょうど、私が街に行く用事があったので、車でスポーツ店まで、送っていくことにした。同乗すると、何か話しかけてきたが、私には理解できなかった。残念である。今までも、何回も英会話の勉強には挑戦している。その都度、挫折している。それは、結局あまり必要ないからだ。たまに行く海外旅行なんて、身振り手振りと勘の良さで、それぼと困ったことはない(負け惜しみかっ!)。
しかし、いよいよ今回は必要だ。直接仕事に必要なのだ。なんでもかんでも、しんちゃんに任せればよいという問題ではない。
実は、今、こっそり英会話を習う準備をしている。インターネットを使った、新しいレッスンの方法で、評判が良いらしい。
「六十の手習い」ならぬ、五十の手習いで頑張ろうと思っている。今回は、もしかしたらいけるかもと、期待している。何故なら、すぐに習った英語が使えるからだ。
さて、どうなることやら・・・。
写真は、外国人向けのフォーラムフラノのパンフレットです。私と高橋デザイナー、そしてしんちゃんとの合作です。これからも、外国人向けの説明書、ポップ、そして少し時間はかかるが、ガイドブックも作ろうと思っている。すでに、色々なアイデアは浮かんでいる。
 

■ ギネス・サージャー byオダジー 2007年01月12日(金)

  44,275 byteフォーラムフラノがおすすめするビール「ギネス・サージャー」をご紹介します。
ギネス(Guinness & Co.)は、1756年創業のビール醸造会社。1759年以来、アイルランドはダブリンのセント・ジェームズ・ゲート醸造所において「ギネスビール」を生産している。
ギネスビールは、エールタイプの一形態で、「スタウト」に属する。ロースト豊かな香りと苦みは、黒ビールの名品中の名品といわれ、世界のスタウトビールをリードしている。
写真に写っているのが、「ギネス・サージャー」です。本来は一体となる装置ですが、フォーラムフラノでは場所の関係から、別々に置いている。グラスが載っている装置の「SURGER」と書かれているボタンを押すと、超音波が出て、なんと! きめ細かでクリーミーな泡が出来る。
私も試す前は、半信半疑だったし、いまだに超音波で、なんで泡が出来るのか、理解できないが、とにかく、きめ細かでクリーミーな泡のギネスビールは、うまいのだ。
私が今回ギネスビールにこだわったのには、理由がある。それは、私の友人である、ニューヨーク在住のメディカルイラストレーター・TOMO NARASHIMAさんのことがあったからだ。TOMOさんは、ギネスビールが大好きで、私がニューヨークにお邪魔した時にも、ギネスが美味しいバーに連れて行ってくれた。
TOMOさんは、ギネスビールの素晴らしさを何回も話してくれたので、私の頭の中は、ビールと言えばギネスが浮かぶまでになってしまった。
たまたま、この「ギネス・サージャー」があることを知り、是非にと思い、手に入れた。
ちなみに、ギネス記録、ギネスブックのギネスは、このビールのギネス社が始めたそうです。
 

■ じいちゃんの額に、ジョン・コルトレーン byオダジー 2007年01月11日(木)

  32,384 byteここ何日か、じいちゃん(私の父)のことを書いている。昨日の夜、双子の息子が東京に戻る送別会をフォーラムフラノで盛大に開催した。
じいちゃんも、私が頼んでいたレコードジャケット用の額を持って、来てくれた。
じいちゃんは、送別会の主賓だ。ある時、しみじみと私に向かって、こう言ったことがある。「忠弘(私の名前)、子供たちは立派になったなぁ。親がいなくても、子供は育つんだなぁ」と。
私は、「親(私)は、ちゃんといたし、子供たちにだって、私なりにきちんと教育したよ」と、心の中でツッコミを入れたけど、口では黙っていました。
私の子供三人は、生まれたときから、じいちゃん、ばあちゃんに、世話になっている。住んでいる家が、最初は一緒で、その後も道一本隔てただけの近さで、大きくなった。
私たちは、土・日・祝日、夏休み、正月が忙しい仕事なので、子供たちと一緒に、海に行ったり、キャンプをしたり、遊園地に行ったり出来なかった。
その代わり、じいちゃん、ばあちゃんが、連れて行ってくれた。じいちゃんにしてみれば、親ではなくて、自分たちが育てたという思いが強くあったのだと思う。それは、それで、有難いと思う。
私は、子供たちに、口を酸っぱくして言っている。じいちゃん、ばあちゃんを大切にしないと駄目だぞっ、と。子供たちは、それを素直に実践してくれている。今回の帰郷も、そのお陰で、じいちゃん、ばあちゃんから、いっぱい「お年玉」を貰っていた。
一挙両得とは、このことだ。
じいちゃんが作ってくれた額に、早速ジョン・コルトレーンのレコードを入れてみた。じいちゃんとコルトレーン、どちらも、私の恩人なのだ。
 

■ 富良野は大雪(おおゆき) byオダジー 2007年01月10日(水)

  49,110 byte昨日から、今日の朝にかけて、けっこうな量の雪が降った。朝、フォーラムフラノも雪だらけで、まず、長靴に履き替え、手袋をはいて(はめてではない。富良野では手袋ははくです)、雪かき道具で、せっせと雪をどけた。
写真は、いつも使っている雪かきの道具だ。真ん中に「?」が写っていると思います。これは、「かけや」です。かけやは、【掛け矢・掛矢】で、樫(かし)などの堅木で作った大きな槌(つち)。くい打ちや扉を打ち破るのに用いるものです。
私は、かけやをベランダの屋根にへばりついた氷を割るために使っています。
屋根は部屋の暖かい空気が降ってくる雪をとかし、水状にしますが、軒先の上の屋根は部屋から出っ張っているので暖かい空気がないので、そこが凍ってしまう。
それを、かけやでたたいて割るのです。金属の槌(つち)だと、屋根を壊す恐れがあるので、木で出来たかけやを使うのです。
氷を割るのは大変だけれど、実は、結構「快感」がある。雪かきもそうだけれど、やればやるほど雪がなくなってきれいになるのは、辛いけど、快感でもあります。
町内に何人かは、「雪かき魔」(失礼!)がいます。朝早くから、雪かきの音が聞こえます。私が起きて出勤するときには、そこのお宅の前は、雪がなくすっきりしています。
私は、雪だらけの玄関の雪をかきわけ、車庫に向かいます。まだ、「雪かき魔」の人がいたら大変だ。目を合わさないように、さも忙しいという振りをしながら、足早に去って車に乗る。
家のまわりの雪かきは、私の父がやってくれる。椅子は作らすは、雪かきはさせるはで、はた目から見れば、こき使っていると思われるかもしれませんが、私は、父から「生きがい」を奪うのは、良くないと思っています。
勿論、感謝の気持ちは、ちゃんと持っていますよ。
 

■ じいちゃんの椅子 byオダジー 2007年01月09日(火)

  31,678 byte今年84歳になる、私の父が作った椅子です。私の店のフォーラムフラノで使っています。テーブルも父が作ってくれました。
昔、私が小学生か中学生ぐらいの頃、父のやっていた建具屋で、学校の椅子を作っていたことがあった。およそ、40年前のことだ。今は、合板とパイプで作られているのがほとんどだと思う。その時のことをおぼえていて、同じように作ったものだ。
今売っている既製品の椅子のように、デザインも、機能性も、スマートではないけれど、手作りの温かさが伝わってくる。
建具屋としては、もうやっていないが、工場はまだ稼動できる状態なので、ちょこちょこ、色々なものを頼んでいる。
自分の親を自慢するのも、なんだが、本当にすごいと思う。一度身に付いた職人技は、どんなに歳をとっても、活かせるものなのだ。
今は、古いLPジャケットを入れる額を作ってもらっている。出来たら、ジャズのLPを店内に飾ろうと思っている。
写真のグリーンの座布団と背もたれについているカバーは、富良野のフトン屋さんに、特注で作ってもらった。じいちゃんの椅子と、とても似合っている。
富良野における、うれしい合作なのだ。
 

■ 成人式 byオダジー 2007年01月08日(月)

  51,439 byte今日は、成人式ですね。私の双子の息子も今年成人式を迎えた。過去形になっているのは、富良野の成人式は昨日、1月7日に行われたからです。息子たちは2月生まれなので、昨日はまだ19歳で、私達の時代とは違うようなので、調べてみた。
『成人式の参加対象となる成人は、前年の「成人の日」の翌日からその年の「成人の日」までに誕生日を迎える人を祝う日となっている。しかし、最近では前年の4月2日からその年の4月1日に成人する人を式典参加の対象にする、いわゆる学齢方式が定着するようになってる。』
なるほど、こういうことなのか。私達の時は今と違って、私も早生まれなので、20歳になってからの、次の年に成人式を迎えたのだ。
写真は、私が20歳の時に住んでいた新宿区から、成人を迎えた人に送られてきた国語辞典です。発行日を見ると、昭和49年1月1日となっていた。私は昭和28年3月生まれだから、昔の成人対象者にちょうど合致する。
どういう訳か、この国語辞典はなくさないで、今でも持っているし、使っている。
不思議と言えば、不思議な気がします。
ちなみに、成人式の日にちは、1月15日から、ハッピーマンデー制度導入に伴い、2000年から1月第2月曜日(その年の1月8日から14日までのうち月曜日に該当する日)に変更された。そうです。
 

■ 東京経済大学の加田先輩 byオダジー 2007年01月07日(日)

  74,084 byte今年の年賀状に、オダジーのワイワイ日記のことを書いたら、私が大学1年のとき一緒に下宿していた、我が母校「東京経済大学」の一年先輩の加田さんから、一昨日メールが届いた。
そのメールは、「はるか何百キロかの南の地、伊豆の国川奈から発信しております。こちらは、現在の気温14度、コートなしの生活がつづいております。」から始まり、近況が続いていましたが、その後フォークソングの西岡たかしさんのことが書かれていました。何か、懐かしいのと、下宿当時のことがパァ〜と、浮かんできて嬉しくなりました。
加田さんの了解を得て、その部分のメールを下記に転載します。

私の今年の正月は、下田の姉貴の家に上がりこんで、姪の久美子と徹夜、午前12時からの「フォークの達人 西岡たかし」を見ながら、フォークの神様は、岡林でも、高石でもなく、俺は西岡たかしである。と思った。
それは、「殺してしまおう」や「血まみれの鳩」などにみられる、体制に対してものすごいエネルギーを要して「言葉」で批判してしている様子が改めて確認ができたからだ。また昨日は山崎ハコが登場し、「織江の唄」など青春の門の世界が展開された。やはりフォークはすばらしい。「今こそ必要な音楽」という感じがしている。そして「言葉」の大切さをあらためて実感した。今の日本は何か間違ってはいないだろうか。
西岡たかしは言う

血まみれの 小さな鳩が
私の窓辺で 死んでしまった今
「彼を葬ることより 今のボクらの世界を
みつめる事の方が!!
偽りの平和の中で あきらめる暮らすよりも
真実(まこと)の平和 創ろう!!
それが 小さな 鳩のためにも!!」
「血まみれの鳩」より

雲にかくれた小さな星は
これが日本だ私の国だ
若い力を体に感じて
みんなで歩こう長い道だが
一つの道を力のかぎり
明日の世界をさがしに行こう
「遠い世界に」より

2007年1月4日
伊豆の国川奈のワンちゃんこと
加田周一でした

私も、西岡たかしがリーダーのグループ「五つの赤い風船」は大好きで、特に曲で好きなのは、加田さんも詩を載せてる「血まみれの鳩」「遠い世界に」そして、「これがボクらの道なのか」「二人は」「ささ舟」などです。おそらく、レコードを聞き直すと、アッこれも好きだった、あれも好きだったになると思う。レコードも何枚か持っていたと思うけれど、確実に持っていたのはURCレーベルの「高田渡・五つの赤い風船」、他に「五つの赤い風船 フォーク・アルバム/第1集」と、「五つの赤い風船 フォーク・アルバム/第2集」は、聞いた曲がいっぱいあるので、持っていたか、貸してもらって聞いたかだと思う。
ついでに、私と加田さんが住んでいた下宿、引地家を少しご紹介します。加田さんに引地荘とか引地アパートとか、正式な名前はなかったですかと聞いたら、ないとのことで、私達は「引地家の人々」ということだったらしい。
場所は国分寺市西恋ヶ窪というところで、JRの駅は国分寺、今は西国分寺駅が出来たので、そこが近いと思う。西武国分寺線に恋ヶ窪駅がありましたが、あまり使った記憶がありません。
加田さんの記憶によると、下宿代が3畳一間で13,500円(朝・夕2食付)で、学校の生協のカレーが55円だったそうです。
昔のことを思い出すと、きりがないので、後はまた、別の機会にします。
 

■ アマリリス成長日記 : 1日目 by しん 2007年01月04日(木)

  140,628 byte明けましておめでとうございます。

2007年・初”ワイワイ”でございます。

今年も皆様、よろしくお願いいたします!

さて、新年、一発目の「ワイワイ」は .....

僕の大好きな花の種類のひとつ、
「アマリリス」を紹介したいと思います。

僕は以前、オランダに住んでいた時に
衝撃を受けた、かっこいいお花です。

アマリリスは元々中南米原産の球根性・多年草の植物ですが、近年では様々な品種改良され、世界の園芸種の一大産地はオランダです。日本で販売されているアマリリスのほとんどは
オランダからの輸入モノです。

そして、このアマリリスは東京に住む僕の叔父さんが「お歳暮」で送ってくれたものです。
毎年、送ってくれるので年末になると、”ワクワク”してしまいます。

ことしのアマリリスの品種名は「ルッドウィッヒダズラ」というかっこいい名前です。

何色の花が咲くかは追々、このワイワイ日記で成長過程を報告しますので、お楽しみに!!

ちなみに、このアマリリスは「フォーラムフラノ」で育てていますので、本物を見てみたい方は、
ぜひお立ち寄り下さい。
 

■ グローヴァー・ワシントンJr.「WINELIGHT」 byオダジー 2007年01月04日(木)

  43,288 byte昨日はフォーラムフラノに沢山のお客さんが来てくれて、忙しかった。外国の方も二組来てくれ、しんちゃんが色々質問に答えていた。富良野には英語を話せる人がまだまだ少ないので、しんちゃんのように英語を話せる人がいると、ここぞとばかりに、何でも聞いてくる感じがする。
昨日のオーストラリアの方は、送ったスキーが富良野のどこに届いているのか分からず、しんちゃんが電話で調べてあげた。清算の時、そのお礼だと思うが、チップを渡された。しんちゃんは、「日本では、チップは必要ないですよ」と答えたら、代わりにかさいまりさんの絵本を買ってくれた。なんか、正月から心が温まる、うれしいシーンでした。こんなことがあると、フォーラムフラノをオープンして良かったなぁと思う。
もうひとつ昨日うれしかったこと。日本人のカップルの方に、帰り際に店内で流れていた音楽について聞かれた。たまたま私がサックスのグローヴァー・ワシントンJr.の「WINELIGHT」(1980年録音)をかけていたのだが、その人が懐かしがって、「この音楽、誰のCDですか?」と、聞いてきたのだ。私はこの方の気持ちが良く分かります。自分が昔好きで聞いていたジャズが、意外な場所で聞けたら、確かめたくなるもの。
まぁ、店を開けているということは、色々な方と出会えるということなので、気を抜かず、お客さんに喜んでもらえる店作りをこれからも目指して頑張りますと、新年らしい「決意」をした1月3日でした。
 

■ フライ・ウィズ・ザ・ウィンド byオダジー 2007年01月03日(水)

  51,377 byte今日の富良野は晴れ! です。富良野スキー場の左側に見える「芦別岳」がものすごく綺麗なので写真を撮ってご紹介しようと思いましたが、手元にカメラがなかった。まぁ、芦別岳の雄姿は、これからも写真に撮れるチャンスは沢山あると思うので、芦別岳は後日にします。
フッと、「正月に聞きたいジャズレコード」のフレーズが浮かんで、そうだ、ジャズをご紹介しようということで、ピアニストであるマッコイタイナーの「Fly With The Wind」である。
これは、私が大好きな一枚です。ことあるごとに、レコードをひっぱりだして聞いています。1976年録音なので、もしかしたらリアルタイムでこのレコードを買ったのかもしれない。この頃はずっぽりジャズに、ジョン・コルトレーンに、のめり込んでいた時期です。幸福な時代でした。コルトレーンはもうすでに1967年に亡くなっていましたが、コルトレーンと黄金のカルテットを組んでいたマッコイの「新作」をリアルタイムで聞けるなんて・・・。
それがどうした、という人がいると思いますが、いわゆるジャズの名盤といわれているレコードは、ほとんどが1950年代の後半から1960年代の中頃までに集中しています。つまり、私がジャズと出会った頃(1970年頃)は、もうジャズは「歴史」になっていたのです。
ある意味、歴史をたどる形でジャズを聞いていたのです。今考えると、歴史を聞きながら、
このレコード「Fly With The Wind」のように、歴史をそのまま引き継いだ新しい音楽も同時に聞いていたんですね。
ああ、段々思い出してきました。その頃盛んに「ポスト・コルトレーン」ということが言われていました。コルトレーンのやり方、精神性を継承する若いミュージシャンたちや、このレコードのマッコイタイナーのようにコルトレーンに傾倒していたミュージシャンが作った音楽を、そう呼んでいたような気がします。私も、名前をあげたらきりがないほど好きな人がいます。
話がだいぶ横道にそれました。「Fly With The Wind」を聞くと、壮大な気持ちになります。正月にもってこいだと思います。新しい年を迎えて、勇気がわいてきます。マッコイ以外のメンバーもすごく、ベースのロン・カーター、フルートのヒューバート・ローズ、そしてドラムのビリー・コブハム。ここでのビリー・コブハムは、なんなんでしょうか。私が一時期ドラムのレコードを買い集めましたが、このビリー・コブハムのドラムを聞いたからかもしれません。それほど、素晴らしいです。
 


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