|
イタリアのピアニスト、マッシモ・ファラオの「ルイーザ」と「枯葉」。 マッシモ・ファラオは知らなかった。 たまたま、インターネットで他のCDを探しているときに、目にとまり、注文してしまった。 紹介文と曲のリスト(枯葉も、ディア・オールド・ストックホルムも、ブルー・ボッサも、危険な関係のブルースもある)、そしてヴィーナスレーベルということで、聞かなくても“ある程度”は期待できた。 それが、ある程度どころではなく、かなりいいのだ。 ここのところ、CDに当たり出してきてはいた。外れるときは、「なんで、こんなCD、注文してしまったのだろう?」と、情けなくなる。 でも、数は少ないが、いいCDに当たると、「やっぱり!CDは買い続けなくては!」と変に力が入る。 マッシモ・ファラオは、流暢なのだけど、クラシック的ではなくジャズ特有のゴツゴツ感がある。まあ、スイングしているということか。 ライナーノーツを読むと、『最初に買ったジャズのCDがこれなら、良い選択をしたと称賛したい』とあり、筆者は、オスカー・ピーターソンの「プリーズ・リクエスト」で、将来が左右されたとまで書いてある。このことに、ちょっと考えてしまった。 私の場合は、最初に買ったジャズのCDは、ジョン・コルトレーンの「ジャイアント・ステップス」。ジャズの音楽としては、マッシモ・ファラオの2枚のCDも、オスカー・ピーターソンの「プリーズ・リクエスト」も、素晴らしいと思う。 ただ、私がジャズを聞き始めた大学生の頃は、ジャズは音楽というより、思想、哲学、ものの考え方、生き方・・・として関わろうとしていたような気がする。 音楽としてなら、ビートルズや吉田拓郎・井上陽水などのフォークソングの方が、心に染みていた。 私はよく、「ジョン・コルトレーンの音楽は、他のどのジャンルの音楽にも取って代わるものがない。メロディーが良いとか、リズムが心地よいとかのジャズもいいけれど、それらは他で代用できる。コルトレーンの音楽は、コルトレーンでしか聞けない」と言っている。 現在の私を形作っている大きな要素にジョン・コルトレーンの音楽が影響を与えている。 つまり、私が言いたいのは、ジャズには音楽を超えて、聞く人そのものに影響を与えるインパクトやパワーがある人やジャンルがあり、もしジャズがいいなと思ったら、“そちら”のジャズにも挑戦してほしいということです。 お願いします!ん? |
|
|