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昨晩テレビでYouTubeの番組が並んでいる画面を見ていたら、2025万博のキャラクターについて話している番組があった。 YouTubeの画面には今まで見た番組やそれに関連した番組が“勝手に”出てくる(オダジーの好みを知っている!)。 まあ、アマゾンもそうだけど、私の好みを私以上に知っている。私なら見逃してしまうものまで、丁寧に紹介してくれる。「大きなお世話だ!」と怒りながら、紹介された本やCDをついつい買ってしまう。 私は2025万博のキャラクターを見た時(おそらく選ばれたと、テレビで放送された)には何も感じなかった。 でも言われてみれば、前回の岡本太郎の「太陽の塔」と比較しなくても、「どうなんだろう?」と思う。 それで、オダジーなりにちょっと考えてみた。 私たちの若い時代(1960年代後半〜)が良かったとか、優れていたとは言わないが、“考える人”や“難しいことを言う人”がカッコイイと思う空気感はあった。 それで、分からないままま、難解なジャズを聞いたり、不条理の本や宗教の本、芸術の本、哲学の本、詩の本、山頭火の自由律俳句集を読んだり、ピカソやシュールレアリズムの画集を見たり、美術展に行ったり、朝日ジャーナルを読んだりしていた。 70年万博の開催された当時は、正に、日本がそんな価値観を共有していたから、岡本太郎の「太陽の塔」が採用されたのだろう。 しかし、今は、そんなことは“古臭い”ことになったように見える。 私はそれはそれで構わないと思っている。何も考えないで、難しいことは考えないで、楽しく生きていければ、それに越したことはない。 ただ、最近の世の中を見ると、むしろ私たちが若かった頃より難しく、複雑になっているような気がする。 むしろ今こそ考えなければならないと思う。そうじゃないと、世の中に“騙された”感じになって、後悔することになるような気がする。 幸い、今はインターネットも含め、かなり“本当のこと”を言う人たちが増えている。以前は、メディアで発信するには、メディア側の意向を受けなくてはならないが、今は発信者が自分の判断で発信している。 オダジーの予想だが、今後は大谷翔平みたいな日本が誇りに思える若い人々が沢山出てくると思う。それは、世の中の風潮に惑わされずに、自分でちゃんと考えれば、より真実に近づける重要な人や本、YouTubeなどの情報を手に入れるのに容易な環境が出来ているからだ。 正しい方向に真っすぐ進める道が出来つつあると思う。 今日の富良野は雨。 写真は御料ハウスに咲いている青いアジサイ。 |
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