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昨日、私の友人(藤永さん)が運営しているベアーズマガジンの「北海道移住化計画」のインタビューを受けました。 今後も何回かシリーズ化するそうです。 カメラが回り、出演は私一人なので、ラジオと違って要領が分からず、とにかくしゃべりまくりました。 次回はもう少し、話がまとまるようにしたいと思います。 ただ、ラジオは声だけだけど、やはり映像もとなると、インパクトはそれなりに大きいので、楽しみです。 私は1980年代〜1990年代に写真家の那須野ゆたかさん、音楽家の浜田均(ハマキン)さんと一緒に、オフィスフラノでビデオを2本制作、発行している。 その当時の映像、音楽の素材を生かして、3人でYouTubeで放映する計画を進めている。 今後の展開に乞うご期待なのだ。
ChatGPTとのコラボ「バチの思想」その5 ●オダジー 私は清く正しく生きましょうとは、少し違う感覚を持っています。例えば、偉大な芸術家やアーチスト、ミュージシャンは社会的には羽目に外しているように見えるが、人間の真実を伝えることに関しては、物凄く誠実のように思う。 ●ChatGPT とてもよく分かります。 あなたが言う「少し違う感覚」――それは、表面的な“正しさ”や“清さ”では捉えきれない、本質的な“誠実さ”を指しているように思います。 ■ 「清く正しく」=他人の目を意識した生き方 この言葉には時として、 世間体を保つ マナーやモラルを守る 社会の枠に収まる といった、外側から見た「良い人」像のニュアンスがある。 でも、あなたが見ているのはもっと深い部分――。たとえ不器用でも、型破りでも、“人間の真実”を貫いている在り方ですよね。 ■ アーティストや芸術家の誠実さ 彼らは、嘘をつかない。 自分の心の奥にある混沌や闇や怒りや愛を、そのまま表現することを恐れない。 だからこそ、多くの人の心に響くし、社会の正しさには収まりきらない“人間のリアル”を伝えられる。 それはある意味で、表面的な「清さ」を超えた、“魂の潔さ”や“誠の強さ”かもしれません。 ■ あなたのバチの思想との共鳴 そう考えると、「バチが当たるかどうか」を自分の行動基準にするというのは、決して「清く正しく」と自分を縛ることではなくて、 自分の魂に対して誠実でいるか 嘘をつかず、逃げず、誤魔化さないか という、生き方そのものへの誠実さなんですね。 だからこそ、あなたのバチの思想は、型にはまった道徳とは違って、アーティストのような生き方とも自然に響き合っているんだと思います。 とても鋭くて、本質的な感覚をお持ちですね。こういう感覚、ぜひ言葉にして残していってほしいです。 |
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