■ 空知川ラベンダーの森ゴルフコース by 富良野のオダジー new! 2026年06月12日(金)

  58,515 byte今朝も空知川ラベンダーの森ゴルフコース「北コース」に一人で行ってきた。
天気は最高だった。1番ホールから半袖でプレーした。
スコアにはまだ結びつかないが、いいショットが何発か出たので、マインドは前向きです。
まだまだ良くなる実感がある。
写真は3番ロングホールから4番ショートホールに向かう途中にある橋から撮影した。
空知川ラベンダーの森ゴルフコースは、ホントきれいです。
 

■ 昨日の写真、その3 by 富良野のオダジー new! 2026年06月12日(金)

  62,098 byteこの写真は旭川から帰ってくる時に撮影した。
ここもオダジーの撮影ポイント。
ここを通る度に撮っている。
雲の形が“超”ダイナミック。
十勝岳連峰も見えたし、畑の土の色もいいし。
やっぱり、撮ってしまう。
 

■ 昨日の写真、その2 by 富良野のオダジー new! 2026年06月12日(金)

  63,975 byteこの写真も上富良野町。
私の撮影ポイントのひとつ。
林が素晴らしい。
 

■ 昨日の写真、その1 by 富良野のオダジー new! 2026年06月12日(金)

  57,254 byte昨日、旭川に行く途中に撮影した。
上富良野町の丘の風景。
青空、雲、畑のグリーン、いい感じだった。
 

■ 第8回「富良野が好き!オダジー物語」 by 富良野のオダジー new! 2026年06月11日(木)

  81,899 byte昨日、6月10日(水)に、私の友人(藤永さん)が運営しているベアーズマガジンのサイトに掲載している「富良野が好き!オダジー物語」の収録をしました。
今回で8回目。
オフィスフラノが企画・制作・販売したCD「夢のとき-Furano-」の話が中心だった。
このCDは、私の中学時代の同級生のヴィブラフォン奏者・浜田均と一緒に作った。
よろしくお願いします。
 

■ 今朝の芦別岳 by 富良野のオダジー new! 2026年06月11日(木)

  78,941 byte今朝は旭川に用事があったのだが、その前に御料ハウス(姉夫婦の自宅の愛称)に寄った。
写真はその時に撮影した。
芦別岳の雪も残り僅か。
今日の最高気温は久しぶりに23.5℃(13:48)まで上がった。
明日も天気が良さそうだ。
 

■ 昨日の夕方 by 富良野のオダジー new! 2026年06月11日(木)

  62,021 byte昨日の帰宅途中に撮影した。
ダイナミックな雲に夕陽が当たって、劇的な風景を作っていた。
左奥は十勝岳連峰。
右の橋はふらの五条大橋。
川は空知川。
 

■ 空知川ラベンダーの森ゴルフコース by 富良野のオダジー new! 2026年06月10日(水)

  215,137 byte6月1日以来の“久しぶり”のゴルフのラウンドになった。普通のゴルファーは月に1、2回が当たり前だと思うので、久しぶりにはならないよね。
先日のワイワイ日記に書いたように、ゴルフのスイングをチャットさんとやり取りして、早く試してみたいと思っていたが、ずっと忙しくゴルフに行けなかった。
今朝は小雨が降っていて、7時前にゴルフ場に向かった時に雨が強くなり、ちょっとひるんだ。
練習だけにしようかとも思ったが、幸い雨は弱まった。天気予報は雨マークは無かった。
いざ、新たなイメージでのスイングで1番ホールのティショット。距離は出ていないがまあまあだった。
結局スコアは良くなかったが、課題のドライーバーはOB無しで、ほぼ真っすぐ飛んだ。何ホールかはそれなりに距離も出た。
さらに、アイアンが良かった。全体的にコンパクトなスイングになったのが、アイアンにも良い効果が出た。
ゴルフを始めて40年ぐらい経つが、イメージ通りにワンラウンドしたことは一度もない。たいがい、途中で元に戻ってしまう。今朝は元に戻らなかった。奇跡に近い!
終了してからチャットさんに報告し、スイングを写真で確認してもらったが、的確なアドバイスをしてくれた。
写真は今朝のゴルフ場のシカたち。1頭だけ、こっちを向いてくれた。可愛いね。
 

■ 『オダジーとチャットさんの対話録』 by 富良野のオダジー 2026年06月09日(火)

  75,554 byte現在(7:18)の気温は12.7℃。
私は2Fの事務所にいるが、1Fの灯油ストーブを点けている。会社に着いた時の室内温度は17℃だった。
写真は今朝、出勤途中に撮影した。雨は止んでいた。
昨日のワイワイ日記の流れで、今までチャットさん(ChatGPT)とやり取りしたことをシリーズで紹介したいと思います。

『オダジーとチャットさんの対話録』
精神的な格差
― AI時代に本当に広がるもの ―
●オダジー
AIが発達すると、人間の価値がどんどん下がる気がします。
知識や技術はAIが代わりにやってくれる。
一部の人にとっては天国かもしれません。
しかし私は、金持ちと貧乏人の格差以上に、別の格差が広がる気がするのです。
●ChatGPT
私も、その可能性はあると思います。
AIによって、
・知識格差
・情報格差
・技術格差
は縮まるかもしれません。
生活もある程度保障される社会になるかもしれません。
しかし、その一方で広がるものがあります。
それは、
精神的な格差
です。
●オダジー
精神的な格差ですか。
●ChatGPT
はい。
AIは、
・知識を教える
・計算する
・文章を書く
・問題を解決する
ことはできます。
しかし、
人生の意味を考える力
までは与えられません。
AI時代に本当に問われるのは、
学歴でも知識でもなく、
その人の中に
考え続ける核があるかどうか
なのかもしれません。
●オダジー
私は昔から、
「核のない人は何にも深まらない」
と思っています。
●ChatGPT
私はその言葉をよく覚えています。
そして、その核はAIが与えるものではありません。
核は、
・劣等感
・失敗
・苦労
・挫折
・偶然の出会い
の中から育つものです。
オダジーが70年以上かけて考えてきた、
・偶然に導かれる人生
・自分ではどうにもならないという実感
・バチの思想
・絶対肯定
といった考え方は、
AI時代になるほど価値が上がる可能性があります。
それはAIが答えられないからではありません。
AIは説明できます。
整理もできます。
解説もできます。
しかし、
実感として生きた人にしか語れない重み
があります。
●オダジー
私はAI時代になるほど、
道徳や哲学や宗教が大切になると思っています。
ところが現実には、
刺激だけを求める人が増えているように見えます。
●ChatGPT
そこが私も気になるところです。
オダジーは以前、
伊丹十三の
「世間様がいなくなった」
という言葉を話していました。
昔は、
・世間様
・地域社会
・家族
・親戚
・読書文化
・ジャズ喫茶文化
などが、
人間が自分自身と向き合う土壌になっていました。
ところが今は、
便利さは増えた反面、
人が静かに考える環境が減っているようにも見えます。
だからオダジーが心配しているのは、
単なるAIの進歩ではありません。
本当は、
「人間が核を育てる土壌そのものが痩せていないか」
ということなのだと思います。
●オダジー
私は結局、
損をするのは私たちのような普通の人だと思っています。
だから子供たちには「考えろ」と言うのです。
悪い流れに乗るなと。
ある程度乗るのは仕方ない。
しかし、
家族旅行をしたり、
孫にスキーを教えたり、
人と会ったり、
そういうことが大事だと思っています。
●ChatGPT
私もそう思います。
AIによって便利になること自体は悪いことではありません。
しかし、
便利さだけでは人間は深まりません。
AI時代は、
人間の価値が消える時代ではなく、
「知識の価値」が下がる時代
なのかもしれません。
そして代わりに残るのは、
どう生きたかという実感の価値
です。
人生の意味を考え続ける人と、
考えなくなる人。
その差は、
お金の差より大きくなるかもしれません。
●オダジー
なるほど。
金持ちと貧乏人の格差ではなく、
精神的な格差ですね。
●ChatGPT
はい。
そして、その格差は、
AIが生み出すのではありません。
もともと人間の中にあったものが、
AIによって見えやすくなるだけなのかもしれません。
AI時代に本当に大切なのは、
知識量ではない。
学歴でもない。
肩書でもない。
自分の人生を問い続ける力。
考え続ける核。
それこそが、
AI時代に残る、
最も人間らしい価値なのだと思います。
 

■ 絶対肯定のまとめ by 富良野のオダジー 2026年06月08日(月)

  86,663 byte絶対肯定のまとめ

絶対肯定
●チャットさん
はい、まとめられると思います。
ただし、オダジーの言う「絶対肯定」は、世間でよく言われる
「ありのままの自分を好きになろう」「ポジティブに生きよう」
という考え方とは少し違います。
73年間生きてきた実感として整理すると、次のようになると思います。

●オダジーの絶対肯定
私は人生を通して、不安や心配や後悔から逃れるために考え続けてきた。
考えるということは、自分と向き合うことだ。
怠ける自分。
逃げる自分。
狡い自分。
見栄を張る自分。
調子に乗る自分。
そんな自分と、とことん向き合うことである。

●バチの思想
私はこれまで、何かを行動する時や決断する時の判断基準を、「バチが当たるかどうか」に置いてきた。
「バチが当たる」とは、単に罰を受けるという意味ではない。
それは、
「やってはいけないこと」
「慎むべきこと」
を教えてくれる感覚である。
例えば、嘘をつこうとした時。
あるいは、自分に都合よく物事を解釈しようとした時。
ふと、
「これはバチが当たるかもしれない」
と思うことがある。
それは昔の人が言った、
「お天道様は見ている」
という感覚に近い。

●反省と自責
しかし、どれだけ考えても失敗はする。
人生は思い通りにならない。
私は何度も、
「もっと考えれば良かった」
と思った。
「なぜ逃げたのだろう」
と思った。
「あの時、なぜああしなかったのだろう」
と思った。
反省は尽きない。
自責も尽きない。

●感謝
それでも振り返ると、
私の人生は偶然の連続だった。
ジャズとの出会い。
本との出会い。
人との出会い。
仕事との出会い。
家族との出会い。
そのどれもが、自分の力だけでは説明できない。
努力した部分は確かにある。
しかし、人生の決定的な部分は、自分ではどうにもならなかった。
だから私は感謝する。

●絶対肯定
絶対肯定とは、
成功した自分だけを肯定することではない。
失敗した自分も肯定することである。
逃げた自分も。
狡かった自分も。
弱かった自分も。
愚かだった自分も。
もちろん、
頑張った自分も。
成功した自分も。
楽しかった思い出も。
すべてまとめて引き受けることである。
私は人生に成功するために、この考えにたどり着いたのではない。
人生で上へ行くためでもない。
不安や心配や失敗によって、
自分自身が潰れてしまわないために、
この考えにたどり着いたのである。
人生には不条理がある。
理不尽がある。
努力しても報われないことがある。
逆に、努力以上のものを与えられることもある。
だから最後は、
人智を尽くして天命を待つしかない。
そして、
たとえ財産を失っても、
地位を失っても、
健康を失っても、
人から評価されなくなっても、
失敗も、
弱さも、
後悔も、
偶然も、
すべてを引き受けた上で、
「私は私の人生を生き抜いた」
と言えること。
それが、私の言う「絶対肯定」である。
 


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