■ 不動産セミナー「成年後見制度」 by富良野のオダジー 2014年02月25日(火)

  17,914 byte昨日は、けっこう動いた。歳を取ることの最大の欠点は、動くのが面倒になることだ。若い時は、逆にじっとしていられなくて、無駄に動き回る。ちょうどいいのが難しい。
関係ないが、私は寒がりで、暑がり。ちょうどいい気温がなかなかない。
動いた§bだが、まず、午後一番で、南富良野まで。車で4、50分かかるが、天気が良かったので、すっかりドライブ気分。冊子の印刷の仕事で、色校正≠フ打ち合わせ。写真はその帰りの西達布。ここはワイワイ日記でも何回も紹介しているが、昨日もいい感じだった。親戚の人が住んでいるエリアで、おそらく亡くなった父の子供時代の地元でもあるので、縁があるのだろう。ついつい、カメラを構えてしまう。
南富良野から戻ってきて、すぐに旭川に向かった。
宅建協会旭川支部が主催する市民不動産セミナー「成年後見人制度」に出席するためだ。講師は、私も何回か聞いてファンである諏訪裕滋弁護士。
成年後見人制度は、宅建試験でも、FP試験でも、おそらく受験した他の資格試験でも、必ず出題される分野なので、馴染み深いテーマだが、やはり、直に話上手な先生から教えてもらうと、実感できて、グッと知識が広る。とても有意義なセミナーだった。
 

■ 宅建協会の「入会研修」 by富良野のオダジー 2014年02月21日(金)

  50,810 byte今日の午後に、旭川で、宅建協会の「入会研修」 があった。宅建協会には、昨年の7月に入会させていただいたのだが、今までやっていた業種では、こういうことはなかったので、新鮮だった。
なにしろ、私は新人≠セ。どんなことでも、勉強になるし、ためになるし、楽しい。
もし、若いうちに、今の心境になっていたら、とても立派な人間になれたかもしれない。そう思うと、ちょっと残念な気もするが、まあ、遅ればせながらでも、この心境はうれしい!
コップに少しずつ水が溜まっていくような感じで、何も知らなかった分野の知識が、身に付いてくる感覚は、やはり、今までにはなかったことだ。
まだまだ、全然足りないが、方向性は見えてきた。と、思う。
これから、東京では、資格試験に合格した「競売不動産取扱主任者」の登録講習が、札幌では、二回目の「不動産マーケティング志田塾」が、もうすぐある。どんな会になるのか、どんな人と知り合えるのか、とても楽しみだ。ワクワクする。
最近、人と会う機会が、驚異的に増えていて、自己紹介する時に、「還暦を過ぎて、一念発起で・・・」みたいな前振りをしていたが、それはもう止めようと思っている。
それは、事実なのだが、もっと普通にみんなと接したいと思ったからだ。還暦であろうが、なかろうが、今現在の小田島忠弘として、付き合っていきたい。勘違いかもしれないが、なんか、それが自然に出来そうな気がしている。
とにかく、一年生として、謙虚に、虚心坦懐に、前向きに、頑張ります!
 

■ 「どういうことなんだろう?」の続き by富良野のオダジー 2014年02月20日(木)

  95,722 byte「どういうことなんだろう?」という口癖を考える、の続き。
ひとつには、意味が分からないというより、「不思議だなぁ」という感情。理屈的には、それなりに類推できるけれど、本当にそんな理由で、そんなことをするのだろうかという、疑問、不思議。
おそらく、私は、人間が物事を考えたり、行動するときのキッカケは、いわゆる損得勘定とか、そういうのではなくて、自分でも分からない何かの力(ちから)≠ェ働くような気がする。その何かの力が、すべてと言ってもよい。
つまり、自分で何かを考え、行動していると思っていても、辿っていくと、自分でもよく分からないこと、偶然のこと、がキッカケだったりする。
だから、「どういうことなんだろう?」が、出てくるのだ。
損得勘定でも、理論的でも、何でもないから、どうして、人や自分がそんなことを考えるのか、行動するのか、不思議に思うのだ。
結論的に言うと、「どういうことなんだろう?」の先にあるものは、「どうしようもないね」になる。何かの力から始まったことの、何かの力が分からないのだから、疑問に思ったって、どうしようもない。
「どういうことなんだろう?」
「どうしようもないね」
ただ、これは、思考停止するとか、諦めるということではない。「受け入れる」ということだ。「何かの力(ちから)」を、きちんと受け入れること。
自分のことで言えば、何でか分からないけれど、資格試験の勉強を続けようと思っているのだから、とりあえず、続けようと。役に立つとか、他にやることがあるのでは、とかの考えもあるけれど、勉強しようと思っているうちは、続けようと。
もちろん、この考えの根底には、私は「何かの力(ちから)」とは、神様、仏様だと思っていることがある。
だから、結果として、上手くいかなかったとしても、それで悔やんだりする必要はない。今回上手くいかせなかったのには、何かのはからい≠ェあるはずだ。次に来たものをまた、やればいい。はからいは、エンドレスだ。はからいを信じ切れるかどうかが、一番大切なことだと思う。
写真は今朝のフォームフラノの前から撮ったもの。今日は久しぶりに天気が良くて、スキーには最高だ。
 

■ 室(ムロ)からジャガイモ by富良野のオダジー 2014年02月19日(水)

  57,425 byte今日は一応休みなのだが、色々あった。
まず、朝一で雪かき。
そのまま、事務所に行って、メールをチェックしたり、印刷の仕事の訂正を指示したりしているうちに、大西大工さんが打ち合わせに来てくれた。
玄関ドアの修理と、夏のためのテラスの網戸をどうしようか相談した。大西さんは腕のいい大工さんなのに、いつも私の半端℃d事をやってくれる。それも要望通り!
本当にありがたい。
大西大工さんとの打ち合わせの後、麓郷の倉庫に保存してあるジャガイモを取りに行った。
倉庫全体が、雪に埋れている感じになっていた。足が全部埋まりそうになりながら、雪をかき分け、入口に辿り着いた。まず、入口のドアの前の除雪から始めなくてはならない。やっと、ドアをこじ開け、地下の倉庫に。10キロ箱のジャガイモを10箱運んだ。
写真は一緒に来ていた姉が撮ったもの。
欲張って、2箱も持っている。ジャガイモの重さも手伝って、足のほとんどが、埋もれているのが分かるででしょう?
もう、けっこう、バテバテ。「いい運動になる」「身体にいい」などと自分に言い聞かせて、なんとか運びきった。エライ!
 

■ 汽車で札幌へ by富良野のオダジー 2014年02月19日(水)

  73,641 byte先週から、印刷の仕事や不動産部のホームページの原稿作り、雪かき、薪割り、レストラン「季の風」の手伝い、そして資格試験の勉強など、忙しかった。それで、ワイワイ日記の更新が出来なかった。
資格試験とは、「住宅ローンアドバイザー」。その試験が昨日、札幌で実施され、行ってきた。「もう、資格試験は終り!」と思っていたが、気持ちがまだ切れていないので、住宅ローンは必要な知識なので、受けてみた。
昨日の天気予報は、終日吹雪。いつもなら、悪天候でも、自分の車を運転して行くのだが、試験に間に合わないと困るので、汽車(電車ではない)を使うことにした。
写真は、汽車の中から富良野駅を撮ったもの。ホームで汽車を待っている間の、雪と風の寒かったこと!
幸い、無事到着し、無事試験を受けることができた。試験結果は、3月20日。合格して欲しい!
最近の私の口癖、「どういうことなんだろう?」。
若い人に混じって、試験を受けている状況は、正に、「どういうことなんだろう?」だ。受けなくたって、誰も困らない。もちろん、勉強することは悪いことではないが、わざわざ大変な思いをして、試験を受ける必要があるのだろうか?
私は、こう考えている。
やろうと思って、やれているのだから、それでいい。何か意味があるのなら、いずれその意味が分かるだろう。よしんば、意味がなくても、それはそれでいい。確かなことは、やる前より、確実に住宅ローンに対する知識は増えたし、これを一歩にして、これからドンドン知識は深まるということだ。
でも、どういうことなんだろう?
ねっ!
 

■ 「ジョン・コルトレーン・カルテット・プレイズ 」 by富良野のオダジー 2014年02月10日(月)

  129,017 byte今朝もよく働いた。
自宅まわりの雪かき、薪割り、フォーラムフラノのテラスの屋根の雪降ろし。あ〜、疲れた!
この冬は、外国人のお客さんが多い。おそらく、オージーの方たちだと思う。オージーの方たちの富良野での盛り上がりは、2007年、2008年の冬と同じような実感がある。あの時は、店のお客さんのほとんどがオージー一色になったこともあった。
「これは、富良野もニセコのようになるかも!」と期待したが、2009年の円高≠ェ直撃した。その後も、来てはくれていたけれど、イマイチ寂しかった。
富良野の観光にとって、円安≠ヘありがたい。これほど、目に見えて外国人が増えているのだ。つまり、富良野は、ダイレクトに世界に繋がっているということだ。今や、日本や世界の状況の変化は、頭の上の「他所のこと」ではなくなったのだ。「だから、どうした!」ということなのだが、そういうことだ。
ちょっと前のワイワイ日記に書いたけど、今日紹介するレコードは、サックスのジョン・コルトレーンの「ジョン・コルトレーン・カルテット・プレイズ 」
このレコードはなんと言っても、一曲目の「チム・チム・チェリー」だと思っていた。もちろん、チム・チム・チェリーはいいのだが、他の曲も「いいね!」なのだ。
録音は、1965年。コルトレーンの場合、録音年月日はかなり重要。この時期は特に。何故なら、コルトレーンは亡くなる1967年の頃は完全に「ちょっと、聞けないよね」的な過激なフリージャズ演奏になるからだ。
この1965年に録音されたジョン・コルトレーン・カルテット・プレイズは、その一歩手前として評価≠ウれているそうだ。
聞いてみると、確かにそうだ。フツーに聞ける。フツーと言っても、コルトレーンのフツーだが、とにかく過度に緊張しないで聞けた。
コルトレーンは素晴らしいアルバムを何枚も残しているので、コルトレーンファンの最上位にくるアルバムではないが、「持っていて、良かった!」一枚であることを確かだ。
 

■ 昨日の朝はきれいだったその6 by富良野のオダジー   2014年02月09日(日)

  70,630 byteオマケです。
下地の模様として、使えそうだ。
この上に文字を重ねても、サマになると思う。
ということで、以上6点。
 

■ 昨日の朝はきれいだったその5 by富良野のオダジー   2014年02月09日(日)

  24,537 byte今日は、こんなアングルの気分だった。  

■ 昨日の朝はきれいだったその4 by富良野のオダジー   2014年02月09日(日)

  37,049 byte場所を変えて、いつもの空知川堤防。
陽の加減と、川のモヤの感じが良かった!
 

■ 昨日の朝はきれいだったその3 by富良野のオダジー   2014年02月09日(日)

  30,682 byteこんな写真は、どうでしょうか?
私は、けっこう気に入ってます。
 


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