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昨日は寒かったし、雨も降ったが、今日は良い天気だ。 東京の知人(女性)から、辛夷(こぶし)について、メールが届いた。 辛夷はもうほとんど散ってしまったが、折角なので、気になっていた辛夷を撮った。なまこ山の一角にあるが、おそらく、植樹したものだと思う。 辛夷がまとまって咲いている風景は見たことがないので、ここの木が大きく育ったら、けっこう見ごたえがあるはずだ。(いつになるか、見当もつかないが・・・)
『今日は、富良野の写真の中に、私の好きなこぶしの花を見つけたので、思わずメールがしたくなりこうしてお邪魔しています。 こぶしの花が咲くころ、いつも思い出す話があります。いつだったか全く覚えていませんが、多分20年近く前の事だと思います。朝日新聞の日曜版に載っていた写真です。もちろん写真はこぶしの花です。そして、こぶしの花にまつわる一つの話として、記事が書かれていました。 それは、1185年4月25日・・・平氏と源氏の壇ノ浦の戦いで、源氏に追い詰められた平氏が、もうここまでは追ってこないだろうと一息ついて眠りにつき、翌朝目覚めた時のことです。辺り一面の山が真っ白な源氏の旗で・・・やはりもう逃れられないと思った平氏が次々に海に飛び込んだという話でした。いっせいに花開くこぶしの花を、源氏の旗と思ったということなのでしょうね。 事実かどうかは別として、こぶしの花のあり方から生じたこの話しは何故か物哀しく、印象深く私の心に残りました。以来こぶしの花を見ると、単に壇ノ浦の戦いが歴史上の出来事ではなく、必死に生きてきた人間模様が身近なものとして感じられ、大袈裟かもしれませんが涙すら出てしまいます。』
もちろん、私は初めて聞いた話だ。 今までは、辛夷と言えば、千昌夫の「北国の春」を思い出し、ついつい♪白樺 青空 南風 こぶし咲く あの丘 北国の ああ 北国の春・・・・・♪と、歌っていた。 来年からは、「壇ノ浦の戦い」に想いを馳せるかも。(どうかなぁ、やっぱり、歌っちゃうか) |
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