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今朝起きたら、また、雪が降っていました。富良野は、完全な冬になりました。フォーラムフラノに植物をいっぱい飾ったので、寒さで枯れないように、一日中ストーブをつけたままにしました。色々な局面で、「冬モード」に転換しなければならない時期がきたようです。今日は日曜日ですが、もちろん休んではいません。一年中、曜日に関係なく同じペースで働いていますが、気分的には少しリラックスしています。ささやかですが、土・日・祝日はネクタイをしないことに決めました。 ワイワイ日記に、毎週一度ぐらいはジャズのアルバム(レコード・CD)を紹介しようと思いますが、今回は私がジャズを聞き始めた頃のことを書きます。私に最初にジャズを教えてくれたのは、大学時代のゼミで一緒だった三重県出身の磯(いそ)でした。磯は、夜中にヘッドフォンでビリー・ホリディを聞きながら、経済書を原書(英語)で読んでいる男だった。 磯によると、ジャズは駐留米軍が放送していたラジオ局「FEN(Far East Network)」で高校生の頃から聞いていたそうだ。当時の私には衝撃だった。田舎で、私がグループサウンズやフォークソングに憧れている時に、磯はジャズを聞いていた、それも英語で放送されるFENで。 その後、磯に誘われるままに、ジャズ喫茶に通うようになった。今考えると、私がジャズ喫茶に頻繁に行っていた時期、1975年前後はジャズ喫茶全盛、もしくは全盛の最後の時代だったかもしれません。思い出せるだけでも沢山のジャズ喫茶の名前が出てきます。吉祥寺だと「A&F」「FUNKY」「MEG」、新宿だと「ビザール」「DIG」「DUG」「ポニー」「木馬」、中野だと「クレッセント」「ビアズレー」・・・。 初めは、なにがなんだか全く分かりませんでした。なにを聞いても同じ音にしか聞こえませんでした。それでも、諦めないで聞き続けたのは、おそらくジャズ喫茶の空間が好きだったのと、「ジャズはカッコイイ」となんとなく感じたからだと思います。 最初に、好きになったのが、サックスのジョン・コルトレーンです。当時、2時間ぐらいジャズ喫茶に座っていると、必ずコルトレーンのレコードが1枚かかった。レコードは片面だけをかけるので、1枚約20分として、2時間だと5、6枚のレコードを聞けることになる。今もジャズと言えばコルトレーンと言われるぐらいビックなミュージシャンですが、あの頃は、コルトレーン一色と言っても過言ではない感じでした。 コルトレーンの音楽は特徴があるので、聞きはじめのシロウトでも、「あっ、コルトレーンだ!」とすぐ分かる。それがうれしくて、コルトレーンのファンになったのかもしれない。ジャズ喫茶では、流れているレコードのジャケットをプレーヤーの前などに見えるように置いてくれるのだが、ジャケットを見ないで、演奏者や曲目を当てるのが、ジャズファンのちょっとした自慢なのだ。 私が初めて買った記念すべきジャズのレコードは、やはりコルトレーンの「ジャイアント・ステップス」。確か、大学2、3年生の時(1972、3年)だったと思います。コルトレーンは、マイルス・デイビス(トランペット)のグループで名を上げたのですが、そのグループを退団し、独立後吹き込んだ最初のアルバム。今でもたまに聞きますが、いつ聞いても、「感慨深い」です。色々な意味で私にとって、青春だし、人生の始まりだったのでしょう。もちろん、私の個人的な思い入れとは別に、このアルバムはお勧めだし、ジャズの名盤として今後もずっと残っていくものだと思います。 ジャイアント・ステップスを買ってすぐの頃、スキーで長野に行ったのですが、泊ったペンションにこのレコードが流れていて、ビックリしたのを憶えています。 |
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